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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第2章・少年と少女のおつかい
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少年と少女のおつかい・8

 商店街の南西には街の中心を流れる大きな川がある。その川にかかっている橋の一つ、中ノ瀬橋の近くに辿り着いたときだった。

 「寒凪かんなぎさん、あれ」

 玖凪くなぎが川の反対側を指さした。

 ポツンと。

 約50メートル先、目を凝らすと一人の女の子の後ろ姿が見える。

 ピンクのトレーナーに白いスカート。そしてうさぎを象った大きなリュック。

 聞いていた特徴と一致する。

 「……いた」

 「ようやく見つかりましたね。まさかこんなところまで来ていたなんて」

 玖凪は安堵の表情を浮かべながら感心していた。

 「それにしても、よく見つけたな」

 一方、秋水あきみず千佳ちかを見つけた玖凪の目に感心して、

「私、目はいいんです。目は」

と軽く自慢された。

 「やっぱり、自分の意志で離れていたというのが正解か」

 「みたいですね。まあ、答え合わせはすぐ出来ますよ。早く追いかけないと」

 千佳は中ノ瀬橋を背に川沿いの道路を歩いていた。その歩幅は狭いとはいえ、少しずつ橋から離れていっている。

 千佳の周りに通行人はいない。人混みにまぎれてしまう心配はなさそうだった。が、また見失っては厄介なので、千佳を保護すべく玖凪と秋水は急いで橋を渡ろうとして――。


 その目が違和感を捉えた。


 歩いている千佳の左脇にある古びた写真屋。鉄紺色の外壁を有したレトロな造りのそれは周りのオフィスビルから少しばかり浮いている建物だった。5階建てで高さは十分なほどあるが横幅が狭く、角度によっては両隣のビルの間からほっそりと生えているように見える。

 5階部分に掲げられているのは建物が持つ雰囲気を損なわないようにデザインされた、店名が書かれた巨大な看板。


 その看板が、明らかにおかしい角度で外側に傾いでいた。


 ざわりと身の毛がよだつ。

 真下を歩いている千佳はそれに気づいていない。変わらぬペースでただ歩いている。

 思いがけず現状を整理するための時間を必要として、秋水と玖凪は凍りついた。

 この距離では声が届かない。走れば間に合うか、それとも、千佳が無事に通り過ぎるほうが先か?

 この僅かな時間は、誰であっても発生してしまう類のものであった。そして同様に、時は残酷なほど律儀で平等だった。

 対応を考えつくより先に、日常生活ではまず耳にしないような鈍い音が一帯に響いた。看板はさらに不安定な体勢になる。

 音に反応したのか、破片でも落ちてきたのか、ようやく千佳が上を見上げた。

 それと同時に。


 小さな女の子を嘲笑う獣の如く、看板が建物から離れた。


 「っ!」

 看板が落ちる。落ちる。

 千佳は動かない。ただ固まって。

 間に合わない。届かない。

 何もでき――


 「危ない!」

 

 鋭い叫び声。

 強い衝撃。

 頭で理解するよりも先に全身でそれを感じとってしまった秋水は、反射的に息が止まりかけた。

 秋水の隣には叫び声の主である玖凪が立っていた。彼女は今起きた出来事から目を逸らすことなく、咄嗟に左腕を真っ直ぐ前に突き出していた。

 そして左腕の先。

 左手。

 玖凪の手首から荒々しいまでに迸っているのは――唖然とするほかない高濃度の魔力だった。

 時が律儀で平等ならば、こちらが先であればいい。瞬きよりも短い時間。

 風のような、光のような、確かにそこにあるものが弓矢の如く大気を貫いて爆ぜた。魔術に変換されていない純粋な力が看板と千佳の間に割って入る。

 「――くっ!」

 衝突によって凄まじい衝撃が発生し、余波が川を渡って跳ね返ってきた。吹き荒れる魔力の風にあてられて、思わず腕を盾にする。

 ようやく秋水の頭が現状に追いついた。

 ――なんだ、これは。

 目が眩むほどの奔流。竜巻の中にいるのかと思うほど。

 この場でこれほどのことが起きているのに、他の人間は察する気配すらない。認識できているのは自分だけ。一体どんな冗談だ。

 看板は重力に従ってなおも千佳の上に覆いかぶさろうとする。

 重力と魔力。二つの力が拮抗して、看板は宙に浮いた状態になる。

 ――それでも。

 玖凪の力は負けない。

 とどまることのない魔力が彷彿とさせるのは泉から湧き出る聖なる水。不浄を押し流す清流。

 千佳を守るように覆われたそれは勢いを増して膨張した。膨張して、膨張して、さながら絶対に破られない空気の盾のよう。

 そして遂に。

 看板は魔力に押し負け、重たい音をたてて千佳の横に転がった。


 最初に動いたのは玖凪だった。

 「千佳ちゃん!」

 突っ立っている通行人を押しのけ、中ノ瀬橋を猛烈な勢いで駆け渡る。

 秋水も我に返るとそれに続いた。

 「千佳ちゃん! 千佳ちゃん! 大丈夫!?」

 玖凪に両肩を掴まれた千佳は、何が起きたのか理解が追いついていないようで目をパチパチさせていた。

 「千佳ちゃん、怪我ない!? 怪我ないよね!? よかった…よかったあ…」

 玖凪は千佳がそこに存在することを確認するようにギュッと抱きしめた。

 千佳はしばらく、自分を抱いて泣いている知らないお姉さんと真横に落ちているひしゃげた看板を見ていた。

 そして、

「う、あ、あ…」

ようやく、

「う、う、うわぁああん! わぁぁぁあん!」

 認識が波のように襲ってきたのか、玖凪に顔を埋めて大声で泣き出した。

 

 秋水は泣いている二人を傍観していた。

 その胸中を占めていたのは、これまで感じたことのない類のものだった。

 千佳が助かったことによる安堵ではない。玖凪の魔力の強さに対する驚異でもなければ、魔力を行使した玖凪に対する嫌悪でもなかった。

 ただ彼は、違う可能性について考えを巡らせていた。

 今回、千佳は玖凪のおかげで助かった。玖凪が魔力を行使していなければ、千佳は大怪我を負うことから免れなかっただろうし、下手をしたら死んでいた。玖凪が成し遂げたのは本当に奇跡のようなことだったのだ。

 それでは――。

 その奇跡が起きなかったら?

 看板の下敷きになった千佳を目の当たりにして、自分は割り切れただろうか?

 「ああ、これは仕方のないことだったんだ」と。

 あのとき、何もできないと思った。

 だが、それは大嘘だ。その気になれば、玖凪と同じように千佳を救うことができたかもしれない。

 ――魔術を使って。

 できたはずのことができなかったとき、否、しなかったせいで最悪の結果になったとき、自分は何を感じただろう。

 あれほど厭うていた魔術を行使すればよかったと後悔してしまうのではないか。

 魔力なんて存在しないものだと思い込めずに、縋ってしまうのでは。

 このザラザラした感情の正体。

 それはすなわち、今まで必死に考えないようにしていた自分と魔術の立ち位置の問題を思いがけないところから突きつけられたことによる、恐怖と困惑だった。


 玖凪と千佳はまだ抱きあって泣いている。秋水に意識を向ける余裕はないようで、それは好都合だった。

 彼女たちが落ち着く前に、自分も心を平常に戻さなければならない。

 秋水はそう努めた。

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