少年と少女のおつかい・6
コトリ弁当から歩いて10分程度のところに商店街がある。
その商店街の入口にはスーパーと百貨店の中間くらいの商業施設があり、秋水と玖凪はそこに向かって歩いていた。
玖凪曰く、2階にインテリア雑貨を扱っている店舗が入っている、とのこと。
「花瓶を扱っている店なんてよく思い浮かぶな」
「? そうですか?」
秋水がこちらの世界に来てからすでに5年経つが、今まで花瓶を買う必要に迫られたことはなかった。だから秋水は花瓶を売っている店舗を知らない。というよりもどういう店舗が花瓶を扱っているのかわからない。
花瓶に限らず、秋水にはそういうものがいくつかある。
買った経験がないから、接した経験がないから、それがどこに所属しているのかわからない、というものが。
「あ、でもどうしましょう。花瓶よりも先に、商店街の辺りを見て回りますか?」
「見て回る?」
「重たい花瓶をぶら下げて散策するのはどうかなーって。最後に買ったほうが疲れませんよ」
律儀にも玖凪はオーナーからのお願いを守ろうとしているらしい。そしてこのニュアンスだと、街の隅々まで案内されそうな気がする。
「別にいい。オーナーの言っていたことは気にしなくていいから、さっさと買ってさっさと帰ろう」
「寒凪さん、この辺り詳しくないんですよね? 知っておいたほうがお得なお店とかいろいろありますよ?」
「得と言われても、普段それほど行く用や暇があるとは思えない」
「それは知らないからそう言えるんですよ。知ったら行く用ができるかもしれません。だったらなおさら今日見ておいたほうがいいです! ――暇なんですよね?」
……何も言い返せないのが哀しい。
「じゃあまずはこっちですね。商店街の裏通りには小さなお店がたくさんありますから」
玖凪は軽い足取りで石畳の道を進む。規則的に並んだ敷石のうち青い色の部分だけを踏んでいたかと思いきや、急に途中の小道を左折して行くものだから、秋水は急いでその後を追いかけた。
裏通りはギリギリ車がすれ違えるかどうかという道幅だった。狭い通りに沿って小さな、しかし個性豊かな店々が軒を連ねている。原色の外壁が眩しい若者向けの服屋や、落ち着いた雰囲気の雑貨屋。近くに焼き菓子を売っている店でもあるのか、ふわりとした甘い匂いが漂う。人通りもそれなりにあり、裏通りという名前のイメージとは正反対の活気が溢れていた。
ほんの一瞬、通りの空気にのまれた。
我に返ると道の先で玖凪が待っている。秋水が横に並ぶと玖凪は歩行を再開し、こちらを向いて尋ねた。
「寒凪さん、コトリ弁当でのお仕事にはもう慣れましたか?」
「まあ、それほど難しいものでもないからな」
「そうは言っても、うちの高校の昼食販売は大変じゃないですか? いつも人が群れててカオスな世界になってますが」
「あれは、たしかに」
ミツバチの群の気持ちになれる人口密度ではある。
「コトリ弁当はとっても美味しいからしょうがないんですけどね! 同じお金を出すなら、コンビニ弁当よりも断然コトリ弁当です! 寒凪さん、好きな食べ物あります?」
「特にない」
「うん? なんでも食べられるってことですか?」
「基本的には。食べられれば味にこだわりはない」
「ふうん。私のイチオシは琴弾のおじさんが作ってくれる出汁巻き卵です! ふわっふわで、汁がじゅわーって出て、ホントのホントに美味しいんです」
秋水が知らない食べ物の名前を口にして、玖凪は幸せそうに笑っている。こうして見ているぶんにはまったくもって平和な少女だ。
本当に。
魔力さえ行使してくれなければ。
「私、和食と洋食だったら和食派かなあ。……あ! ここ!」
玖凪が指差したのはこじんまりとした、しかし趣のある1軒の店舗だった。
落ち着いた色調の竹が漆喰の外壁をぐるりと囲んでいる。木目が美しい一枚板の看板には『紅梅堂』という文字。入口に和紙が貼られていて、墨で書かれた商品名が目を惹く。
「すっごく美味しい和菓子屋さんです。私もみこちゃんも、よく買いに来ます。寒凪さんも桜もちをもらいましたか?」
この質問で、先日 未知からもらった菓子はこの店のものだということが分かった。
玖凪は商品名の貼り紙を見て「みこちゃんにお団子買って帰ろうかな」と呟いている。やはり気にしているらしい。
「……気にしすぎじゃないのか」
「ん、今何かおっしゃいました?」
「いや、別に」
「寒凪さんは、うぐいす餅とみたらし団子、どっちがいいと思います?」
「どっちも食べたことがないから意見しかねる」
「え! どっちもですか! 随分と和菓子と無縁な生活を送ってきたんですね……」
「悪かったな――何だその目は」
「いいですか。黄緑色で粉がまぶしてあるのがうぐいす餅。みたらしがかけてある焼き団子がみたらし団子です。味はどちらも甘くて美味しいです。和菓子の代表格です。悩ましいです」
「だったら両方買えばいいんじゃないのか」
秋水の意見を聞いてもなお、玖凪は貼り紙に意識を集中させて悩んでいた。
こんなに悩む必要はあるのか、秋水は理解しがたいと思いながら玖凪を観察する。自分も未知も買い物に時間をかけるということがほとんどない。これほどまでに真剣に吟味して買い物する人間がいるというのは、少しばかり新鮮だった。
「……よし! 決めた!」
3分程度悩みに悩んだ後、玖凪は和紙から顔を離した。
意を決して店内に入ろうと体を傾けたとき。
唐突に、店の中から一人の女性が飛び出してきた。反応が遅れた玖凪とぶつかる。
「あっ! ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「いえ、こちらこそ」
30代くらいの女性だった。
玖凪に謝りはしたものの、心ここに在らずというふうに辺りを見回す。上品な服装や化粧が台無しになるほどその表情には焦燥感が漂っていた。
「あの、どうしました? 何かお困りごとですか?」
ただならぬ雰囲気に、立ち去ろうとした女性を玖凪が呼び止める。
女性はビクリと身体を硬直させた。振り向いたのは今にも泣き出しそうな顔で、異常事態だということは明らかだった。
すがるように、祈るように、女性は途方にくれた様子で訊ねてくる。
「娘を捜しているんです。歳は6歳。髪を二つに結っていて、ピンクのトレーナーを着ているんですけど……どこかで見ませんでしたか?」
「いえ……ということは、迷子ですか?」
「お恥ずかしいことですが、買い物中に目を離してしまって」
聞けば女性の一家は数日前にこの街に引っ越してきたばかりらしい。日用品や近所の挨拶に持参する菓子を買いに来たはいいものの、娘と離れてしまった。母娘共に土地勘がなければ互いに見つけられないのも無理もない話かもしれない。
「この辺りはお店が多いですからね。気になったものを見ている間にはぐれてしまったのかも」
玖凪は軽く握った右手を口元に添えて考える。
「早めに見つけてあげないと。――うん!」
思案していたのはほんの一瞬。さっきみたらしだかうぐいすだかで悩んでいた時間は何だったのかと問い詰めたくなるほどの即断で、玖凪は女性の手を取った。
「私もお手伝いします! 娘さんを捜すの!」
「え、でも……」
「お母さんもこの辺りは不慣れなんですよね? 独りで捜すにも限界があります」
「それは、そうですが……」
「ね。こういうときは地元の人間を頼ってください。私、こう見えて商店街に知り合いが多いんですよ。皆で協力すればすぐに見つかります」
「よろしいんですか?」
「もちろん! 人手は多いほうがいいに決まっています」
右手で胸をドンと叩き、玖凪は迷子捜しを快諾した。
――秋水には一切相談なしで。
ここで初めて玖凪は秋水の存在を思い出したらしい。秋水のことを見て、ばつの悪そうな顔をした。
「あ、えーっと、その、すみません、寒凪さん」
「別に謝られることはないが」
「こういうことになったので、先に帰ってもらえませんか。花瓶は私が買って帰りますので」
「いや、さすがにその選択肢はないだろ……」
もしここで「じゃあ帰る」と言える奴がいたら、そいつは男として以前に人間としていろいろ終わっている。
そもそも、一人で手ぶらで帰ったりしたら琴弾親子からどんな尋問を受けるか分かったものではない。特に恐ろしいのは娘のほう。
「人手が多いほうがいいって言ったのはお前だろう」
「でも! これは私が勝手に決めちゃったことですし。寒凪さんが付き合う必要は」
「――どうせ暇だしな。街を見て回るついでに人捜しも悪くない」
恐縮していた玖凪は、ここで目をぱちぱちと瞬いた。……何が彼女にこんな顔をさせたのか。おかしなことは言っていないはずだが。
「あ、ありがとうございます。寒凪さんって……」
言いかけてから、
「いえ、なんでもありません」
ゆるりと首を振って微笑むに留める玖凪。
……何を言おうとしたのか。気になったが、問いただすほどのことでもあるまい。




