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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第2章・少年と少女のおつかい
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少年と少女のおつかい・5

 日曜日は、見事と言う他ない晴天に恵まれた。

 恵まれたのは結構だが、哀しいかな特にすることもない秋水(あきみず)は暇を持て余して弁当屋の中をウロウロしていた。

 折角の休日なのに、連れ立って遊びに行くような人間はいないし、熱心に興じるほどの趣味もない。こうなってくると、弁当でも配達していたほうが有意義な休日を過ごせそうな気がしてくる。手伝いを申し出るべきだろうか。


 あの木曜日から、3日が経過した。

 あれから、白南風玖凪(しらはえくなぎ)とは何度か顔を合わせている。

 だが、会話らしい会話をする時間はなく、すべて会釈程度。

 それにホッとしている自分がいて、同時にいつ魔術の話をふられるか怖れている自分がいる。そして、それを不甲斐ないと感じている自分も。


 しばらく歩いていると、弁当屋と別棟をつなぐ廊下に出た。

 機械音とカーペットが擦れるような音がすると思ったら、そこにいたのは掃除機をかけている親孝行娘・琴弾美琴(ことひきみこと)だった。ワンピースの上にはエプロン、頭の上には三角巾。近くには彼女が持ってきたのであろうハンディモップやバケツが置いてあり、親孝行娘というより掃除業者の貫禄が漂っている。こういうことは未知(みち)に任せてしまえばいいのに。習慣なのか。

 「寒凪(かんなぎ)さん、おはようございます」

 「ああ、おはよう」

 お互いに挨拶を交わす。――が、なんだろう。

 この少女の警戒心バリバリな視線は。

 秋水は年下の子どもとふれあうのが得意なタイプではない。周りにいたのがほとんど年上の人間だったせいか、年下の扱い方がよく分からない。

 一方の美琴も、間違いなく誰にでも人懐こいタイプではない。聡いが故に、まずは人のことを観察する癖があるようだった。

 お互いこういうタイプだったから、従業員と雇い主の娘として仲が良いとも悪いとも言えないニュートラルな関係だった、はずなのだが。

 日が経つにつれて、秋水に対する美琴の態度が悪化しているように感じるのは何故だろう。

 掃除機を動かす手を緩めず、ジトッとした目で美琴は秋水を見ている。何か言いたげである。

 「何か手伝おうか」

 申し出てみたが、そんなこと望んではいないというふうに美琴は首を横に振った。そして、先程と変わらぬ態度のまま、秋水に問うた。

 「寒凪さん。あなた、玖凪さんに何をしたんですか」

 飲み物を口に含んでいたら吹き出していたであろう、超弩級の質問だった。

 してない。

 否、確かにしたけど。

 それは、この少女がイメージしているようなものでは断じてない。ないはずだ。

 「……やっぱり」

 動揺を隠しそこねた秋水を見て、美琴は眉根を寄せる。失敗したと思ったが後の祭りだ。美琴は掃除機のスイッチを切り、自分の身体に傾けて預けると拳を固めて演説を始めた。

 「まだ出会ってから数日しか経っていない寒凪さんがご存知ないのも無理はありません。無理はありません、が! 仕方がないので教えて差し上げます。玖凪さんはとても優しい方です。しかも聡明でいらっしゃいます。さらに穏やかでお美しく、おまけに歌もお上手です。つまりは素晴らしい女性です」

 「……はあ」

 「何が言いたいのかと申しますと、玖凪さんは幸せになるべきだということです。幸せになるべき方であって、それを邪魔することは誰であろうと許されません」

 この少女が玖凪に懐いていることは、秋水も知っていた。だが、ここまで熱烈に好いているとは思いもよらなかったし、そもそも何故その怒りの矛先が自分に向いているのかがよく解らない。

 それが顔に出ていたのだろうか。美琴はジロリと秋水を睨めつけた。なんだかノラ猫を彷彿とさせる目だ。

 「あなたがこちらにいらしたころから、玖凪さんに元気がありません。特にこの前の木曜日、あなたに挨拶した後はずっと何かをお考えのようでした。何かしたわけではないというのなら、何かおっしゃったのでは?」

 それは。

 心当たりがないとは言えない。むしろ心当たりしかない。

 たしかに、あのとき彼女の謝意を拒絶したのは、この自分だ。

 美琴は握りしめていた拳を真上に突き出し、ピンと人差し指を立てたかと思うと秋水に向けて振り抜いた。

 小学生女児らしからぬ強い意志をもって堂々と宣言。

 「玖凪さんを不幸にしたら許しませんから!」

 と、ここまでは美琴の独壇場だったのだが。

 腕を振り抜いたときに勢いがつきすぎたのか、掃除機のパイプがぐらりと傾いて美琴の身体を離れた。その先にあったのはこの空間に調和した小棚で、上には硝子製の花瓶。掃除機のパイプは、吸い込まれたかのようにまっすぐぶつかった。そして当然のようにその衝撃に耐えられなかった花瓶はカーペットの上に落下し、ガチャリという嫌な音を立てて華奢な胴体にヒビを入れることになった。中の水が派手にこぼれてカーペットを侵食していく。

 「……」

 「……」

 「……割れたな」

 花瓶の亡骸を呆然と見つめていた美琴は、秋水の視線に気がつくとぱっと顔を赤らめた。慌てたように顔を逸らして背中を向ける。表情は見えないが、自らのらしくないミスを酷く恥じているであろうことは容易に想像できた。

 なんだかんだ言ってもこの少女も人の子か。

 「み、みこちゃん! 大丈夫!?」

 直後、下宿棟の2階から叫び声と共に降りてきたのは、当の白南風玖凪だった。

 「く、玖凪さん」

 今日は休日だから当然玖凪が着ているのは制服ではなく私服だった。白い糸で刺繍がなされた清楚なブラウスに、桜色のカーディガン。下は薄いグレーのスカートという出で立ち。

 秋水は内心、反射的に身構えた。

 身構えてしまった。

 しかし玖凪は秋水に目をくれることもなく美琴の正面までまっすぐ進むと、彼女の手を取って割れた花瓶から引き離す。

 「怪我ない!? ごめん、ごめんね……!」

 「だ、大丈夫です。玖凪さんが謝ることなんて、何もありませんよ?」

 「あ、うん……でも、ごめんね……あ! そうだ、ちりとりとほうき持ってこないと!」

 「玖凪さん、落ち着いてください。そちらではないです」

 噛み合わない会話と必要以上に慌てふためいている玖凪を見て、秋水は気づいた。どうやら玖凪は、花瓶の惨状を自分のせいだと思いこんでいるということに。

 おそらく玖凪は、自室でまた指パッチンをしてしまったのだろう。そしてそのタイミングで花瓶が割れた音が聞こえたため、自分が原因だと勘違いをした。

 秋水にはわかる。これは美琴のミスであり、玖凪が責任を感じる必要はまったくない。魔力の規模からして、玖凪の自室にあるハンガーから服が落ちたとか、立てていた本が横になったとか、その程度のことしか起きていないはずだ。

 だが秋水は、言わない。

 「これはお前の魔力が原因ではない」などと、自分からは絶対に言わない。

 たとえ玖凪が背負わなくてもいい責任に胸を痛めていたとしても。

 逃げるようにちりとりとほうきを取りに行った。そのまま逃げるわけにもいかないので戻り、3人で片付けを始める。

 「ありがとうございます……」

 「すみません……」

 えもいわれぬどんよりとした空気。

 なんだか面倒なことに巻き込まれてしまった。

 「おや、どうしたんだい?」

 オーナー・美琴の父が弁当屋の厨房から顔を出した。新しい料理を試作していたのか、手には菜箸とボウルを持っている。

 「お父さんごめんなさい。花瓶を割ってしまいました」

 謝る美琴に

「い、いえ! みこちゃんは全然悪くないんです。花瓶は、その、割れるべくして割れたと言いますか……とにかくみこちゃんのせいではありません!」

フォローを入れようにも説明しきれない玖凪。

 「大した花瓶じゃないからそれはいいよ。誰も怪我はしてないね?」

 たまにノリがおかしい以外は基本的に人格者なオーナーは、さほど気にしていないと手を振った。

 しかし、玖凪は責任を取らなければ気が済まないのか

「私、新しい花瓶を買ってきます!」

と言い出した。

 そんなに気にしなくてもいいのに、と秋水は思う。この少女がかなり生真面目なことはよくわかったが、この場所の花瓶がなくなったことでコトリ弁当と下宿の生活に支障が出るとは考えられない。従業員の立場で勝手に判断するのもどうかと思うが、すぐに買いに行く必要はない代物だと。

 オーナーもそう考えているのか、玖凪の申し出に対してどう答えようか悩んでいたが。

 ふと、オーナーが秋水に視線を固定した。

 あ、これはまずい。

 その表情に既視感を抱いて、直感した。これは戯れで作った新しい料理を試食させられたときの顔、すなわち秋水にとって厄介なことをオーナーが思いついた顔だった。

 「よし、じゃあ玖凪ちゃんには花瓶を買ってきてもらおうかな」

 「はい! 任せてください」

 「ただし、秋水くんも連れて行ってね」

 こうきたか。

 「いやー、さすがにか弱い女の子に重たい花瓶を運んでもらうのはどうかと思うんだよね! こういうときはジェントルマンの出番だよね! 秋水くん、文字通りここは男として力の見せどころだよ! ファイト!」

 「えっ、でも、寒凪さんがご迷惑なら……」

 「いーのいーの。だって秋水くん暇だし」

 言ってくれる。

 しかも事実なのが腹立たしい。

 「待ってください! お二人が行かれるのなら私も……」

 ちりとりに硝子の破片を掃き入れていた美琴がバネの如く振り向いた。

 「だめ。美琴はここでお掃除すること」

 「でも……」

 「それに、すぐには外出できないだろうし」

 オーナーが指差した先、美琴のワンピースの後ろ側の裾は花瓶からこぼれた水で濡れていた。

 自分が花瓶を落とした負い目もあるためか、美琴はそれ以上無理を言わなかった。

 ……悔しさやらやるせなさが満ち溢れた眼差しを向けられたが。

 「まあ、秋水くんは配達以外でこの街を探索してないだろうから。荷物持ちの代わりってことで、玖凪ちゃん案内してあげてね」

 オーナーとしては思いやりで言ってくれているのだと思う。

 しかしこれは、下手したら美琴に解雇されかねないような気がしないでもない。

 「じゃあ寒凪さん。よろしくお願いします」

 玖凪がにこりと笑いかける。

 こうして秋水はおつかいに行くこととなった。

 未だどういう態度をとればいいのか決めかねている相手と共に。

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