少年と少女のおつかい・4
その一族は、その世界において、特に優遇されていた。
「姉さん? ……姉さーん」
赤髪の少年が辺りを見回しながら歩いていた。歳は10歳過ぎ。彼がいる庭園は端が何処か判らないくらい広いので、何も知らない人が見れば可哀想な迷子だと思ったかもしれない。実際にはそんなことはなく、というのもここは彼の住む屋敷の庭だから。文字通り彼の庭であり、迷うはずもなかった。
真紅の薔薇が咲き誇ったエリアに着くと、彼はこの美しい庭園に不釣り合いなものを発見して軽い溜め息を吐いた。
いつも不可解なことをしでかす人だが、これは特にわけがわからなかった。
「姉さん、何してるわけ?」
視線の先には通路の上に空いた大きな穴と、本来その中に収まっていたであろう土の小山があった。
そして、穴の中で楽しそうにシャベルを突き刺していたのが
「うん? 何か用事ー?」
彼の探し人である、姉であった。
少年とお揃いの鮮やかな赤髪をたなびかせて、少女はこちらへ振り向いた。服装は繊細なレースと刺繍が施されたドレスだったが、土にまみれて残念なことになっていた。少女の顔や手もだいたい同じ有様。
穴からふわりと浮き上がってきて土をはたく姉から少し距離を取り、少年は告げた。
「姉さん、課題出してないでしょ。先生が探してたよ」
「ああ、あれね。だいぶ前に終わらせて、すっかり忘れてた」
「早く出してあげなよ。毎日顔合わせてるのに忘れるとか……」
その世界に生まれた者は皆、幼い頃から魔術の習得に励む。主な方法としては、学校に通ったり、家で教わったり。前者は一般家庭の、後者は貴族の子どもが多く、この姉弟の場合は後者だった。
「あははー……ねえ、親愛なる我が弟よ」
「代わりに出してこいというならお断りします」
「な! さては認識系統心理掌握魔術の使い手か!」
「その魔術は習得してないけどね。習得してたら、この穴の意味も解ったんだけど」
少年は横目で、自分の姉が掘った穴を見た。
少女は悪びれることなく、胸を張って自慢した。
「すごいでしょーこれ! 一人で掘るのすごく大変だったんだから!」
「で、なんなの? これ。落とし穴でも作りたかったの?」
「ううん、地層を調べてみたかったの」
「ち、ちそう?」
「ねえ、知ってる? この大地は、いろんな層が積み重なって出来てるんだって。うーんと、例えるなら野いちごとカスタードクリームのパイみたいな感じで」
「で、それを見てみたいと思ったわけ?」
「思ったわけ! でも、もっと掘らなきゃ見られないみたい」
パイの話をしたらお腹が減ったと、少女は屋敷のほうへ歩き出した。少年は、穴の傍に落ちていたペンダントに気づいてそれを拾い、姉を追いかけた。
「姉さん、忘れてる」
「あ、ありがと。外しておいたんだ」
「せめてしまっておくとかしなよ……失くしたら父さんと母さん怒るから」
「大丈夫よ。むしろ失くしても、認識系統探知魔術のいい練習になるでしょう?」
「……そのときは手伝わないから覚悟しておいて」
この頃の少年の周りにいたのは、姉と両親、叔母、現当主である祖父、この家に仕えている者達、あとはときどき会う他の貴族くらいだった。
だから、多くの人間を見てきたと言えるほどではなかったが、それでも彼の姉が他の人とは少し違うということは明確だった。
主に、好奇心の異常な強さという意味で。
彼女は、ありとあらゆるものに興味を持ち、そしてそれを調べるためにすぐに行動を起こした。
先ほど姉が調べようとしていた地層だが、一応その存在は認知されている。しかし、魔術が生活のほとんどを担っているこの世界で、その重要度は高くない。穴を掘る時間があるなら、魔術を追究したほうがいいと大抵の人間は考える。その程度のものだ。
それを姉は喜々として調べる。魔術に関係ないものだと分かっていながら、率先して調べようとする。それが少年にとっては不思議だった。
「姉さんは今、地層以外に何か興味ある?」
「あるわよ。他の世界」
その意味が分からなくて、少年は一瞬思考停止した。
「他の世界って、他の世界?」
「うん。特に、魔術のない世界。どうやって生きてるのか興味ない? 魔術がないのにどうやって火とか水おこすのかな」
想像以上の特殊な興味に、少年は唖然とした。それこそ、この世界で生きる上では必要のない知識だ。
特に、この世界で生涯を終えることを定められている自分たちの一族には。
魔術は系統ごとに分類されており、習得すべきものが決まっている。血筋によっては苦手とする魔術もあるが、最低限この程度使えればいいというレベルが設定されており、それをクリアして皆大人になる。
しかし、中には特殊な魔術を代々受け継いでいる一族が存在する。魔術の有益度によって貴族に認定され、国に尽くす代わりに絶大な権力を有する。
司法を担う魔術を行使する少年の一族は特に優遇されており、王家に継ぐ第2位に君臨していた。
それゆえ、姉弟はこの世界から出られない。責任を果たす必要があるから。
が、姉はしれっと弟を諭した。
「貴方、頭堅いわね。どうして絶対にその道しかないって思うの」
「だって、父さんの跡を継ぐんだったらそうなるわけで」
「あのね、私たち2人いるでしょ。一方が継いで、もう一方は別の道を歩むかもしれないじゃない」
少年はこれにも目を丸くした。この仕事は重要職であるため、兄弟が複数いた場合でも全員が継ぐことが慣例となっていた。実際に彼らの叔母も嫁には行かず、3月後には婿をもらう予定になっていた。
それを分かっていながら、姉は些細なことだと笑った。
宝箱を見つけた冒険者のように。
真紅の瞳を爛々と輝かせて。
「だって私、今あるものが私のすべてだって思いたくないんだもの。この世界には、素敵だったり、荘厳だったり、綺麗だったり、奇妙だったり、いろんなものが溢れてる。この世界以外にも、ね。私はそれを諦めたくない」
赤の一族の長女は、気高く宣言した。
「私は、出来ることならなんでもやりたい」
本当に敵わないなあ、と少年は思った。そして、この姉だったら本当にやるだろうとも。
「家の仕事よりもやりたいことが見つかったら、跡を継ぐのは貴方に任せちゃうかも。あ、でも、貴方がやりたいことを見つけたら、その時は私が継いであげるからね」
「……どっちもやりたいことを見つけちゃったら?」
「その時は交代制にしましょうよ!」
妙案だと頷く姉を見て、少年は笑った。この分だと、家を継ぐのは自分だけになりそうだと。
屋敷の方から姉弟を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、いけない! 先生だ」
「ちゃんと謝りなよ」
「その前に、シェフのお菓子……」
「姉さん?」
その一族は、その世界において、特に優遇されていた。
次の日も、その次の日も、ずっと穏やかな日々が続くものだと思っていた。
そう思っていた。




