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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第2章・少年と少女のおつかい
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少年と少女のおつかい・3

 時折、思い出したかのように強い風が吹く。

 こんな夜中に、こんな場所でわざわざ和菓子を食べるとか、どうしてこいつはこんなに酔狂なことをしでかすのだろうかと秋水(あきみず)は思う。

 弁当屋の棟の3階ベランダに設置された梯子を上り、屋根の上に出ると、そこには体育座りで腰かけた未知(みち)がいた。

 黒いコートをはためかせながら、楽しそうに街の明かりを眺めている。身体を前後に揺らしているのは、高い所にいるときの彼女の癖だった。

 「おい、未知」

 秋水が声をかけると、未知はこちらに気づいてにこやかに手を振った。そして、無言のままタッパーを突き出す。

 「ん」

 「……何だ」

 「見て分からない? 桜もち」

 「いや、そういうことを言ってるわけじゃなくて」

 「食べないの? 最後の桜もちなわけだけど」

 そう言われてしまうと、食べなければいけないような気持ちにさせられる。タッパーを下ろそうとしない未知を一瞥して、秋水はしぶしぶ桜もちをつまんだ。未知の隣に腰を下ろす。

 「これ、美琴(みこと)ちゃんが『余ってるのでどうぞ』ってくれたんだ。これはどうみょうじっていうタイプだけど、他にも種類があるらしくてさ。せっかく巡り会えたんだから、そっちも食べてみたいよね」

 桜もちを口に含みながら、そんな話をしている。その間、未知の視線は街に注がれたままだった。

 それで気づかないふりをしているつもりか。

 何故秋水がここに現れたのか、その理由を。

 未知は秋水の用件を察しているはずだ。しかし、自分からその話題を振るつもりは一切ないらしい。

 このままだと、桜もちの話題から離れられなくなる。そんなことに時間を費やすのは真っ平だったので、秋水は諦めて率直に本題に入ることにした。

 「お前、気づいてたのに言わなかったな?」

 「んー? 何がー?」

 「とぼけるな」

 ようやく未知と目が合う。

 「白南風玖凪(しらはえくなぎ)という奴のことだ」

 未知の中から、必要以上の明るさがすっと消えたような気がした。秋水はそれをはぐらかすことを止めた合図だと受け取った。

 「いやあ、最初から気づいてたわけじゃないよ。そうであったら、ここで働くことは撤回してた」

 「……本当か?」

 「うん。普通だったら気づいてたかもしれないけどね。何の因果か、初めて出会ったときには玖凪ちゃんが力を抑えていたから。『あれ?』って感じたのは、あの子が力を暴発させる前日くらいだったよ」

 「……じゃあ、やっぱりあれは」

 「うん。まあ、十中八九、


 魔力だね」


 次の日の天気予報を話すような気軽さで、未知はその言葉を使用した。

 十分予想していたことではあった。むしろ、それ以外の言葉は出てくるはずがなかった。それでも、その言葉を認めたくない自分がいて、恨みがましい呟きを発してしまう。

 「なんで、魔力持ちが現れるんだ――」

 当然のことながら、その呪詛は未知まで届き、彼女に困った顔をさせた。

 「秋水くん、君が魔力を厭うていることはよく知っている。それから離れるためにこの世界に来たことも、魔力という概念自体を自分の周りから消し去ってしまいたいと思っていることも。でもね、人間がいる世界である限り、魔力やそれに準じる不思議な能力というものは多かれ少なかれ発生してしまうものだ。魔力が公式に認知されていないとはいえ、この世界で今まで遭遇しなかったのは幸運以外の何物でもなかった」

 だから理解してくれ、と未知は頭を下げる。

 かなり無理なことを突きつけていると自覚して、秋水は自らを恥じた。そんなことは、こちらへ来る前に確認していたことだ。今さら文句を言うのは八つ当たりにもほどがある。しかも、未知は巻き込まれた側の人間であって、付き合わせているのはこの自分なのだ。

 「いや、俺が悪かった」

 決まりが悪くなって、秋水は手にしていた桜もちを囓った。甘ったるい中に不思議な塩味が混在している。一体自分は何を口にしているのか、そもそも何故ここにいるのかと変な気持ちになった。

 「驚いたことに、玖凪ちゃん本人にはあれが魔力だっていう自覚はないみたいなんだよね」

 「あれは、自覚がない故の暴発か」

 「そういうことだね。正確には、本来魔術に使われるはずの魔力が、正しく変換されずに燻っているわけだ。こちらの世界で一般人として生活するには、玖凪ちゃんの魔力量は多すぎる」

 秋水は昨日のことを思い出す。途方に暮れている玖凪に手を差し伸べたとき、秋水は本当に大したことは何もしなかった。ただ、玖凪が本来持っている力を調整しただけで、自分の魔力を渡す等の積極的な行為は一切なかった。

 秋水としては、最低限あの騒ぎが収まればそれでいいと思っていた。そして、実際に魔力の暴走は止んだ。――が。

 予想外だったのは。

 玖凪が暴走の跡を完璧に直してしまったことだった。

 時空間系統の復元魔術。

 「やってみろ」とは言ったものの、まさかあれだけの事象を引き起こしておきながら、なおも魔術を行使できるだけの魔力を保持していたとは。しかも、高等魔術をあれほどの広範囲で。

 玖凪が成し遂げたものを見て、ようやく秋水は慄いた。

 まずいものに関わってしまった、と。

 玖凪は自分が起こしてしまった騒動をひどく悔いていた。元に戻したいという強い意志があった。魔術を行使するためには、イメージや強い意志が不可欠である。

 しかし、意志だけでは魔術が使えないのも、また事実だ。

 「この世界でそれほどの威力だったら、あっちではもっとすごかっただろうね」

 玖凪ちゃんは生まれる世界を間違えた、と未知は付け足す。

 本当にそうだ。

 可能であれば、自分と玖凪の生まれた世界を交換してもらいたいくらいだ。

 「それにしても、君が力を使ったのが玖凪ちゃんのためだったとはねえ。世の中、こんな偶然もあるんだね」

 「俺は大したことはしていない。騒ぎを起こしたのも収束したのも全部あいつだ」

 「でも、血を使ったことは確かだ」

 それはそうなのだが、自分でも何故玖凪に手を貸そうとしたのかよく分からなかった。自分から魔術に関わるなど、一番忌避していたことなのに。

 これ以上考えていると、さらに後悔したくなってくる。秋水は昨日の一件を強制的に頭の中から締め出した。

 「さあ、秋水くん。これからどうしたい?」

 桜もちの最後の欠片を口に入れて、未知は問うた。

 「どう、とは?」

 「君としては、厄介な魔力持ちが出てきてしまった以上、すぐにでもここを離れたいんじゃないのかな?」

 それはその通りであった。だが――。

 「そうは言っても、次の場所に引っ越せるだけの金がないだろう」

 「うん。そうなんだよね」

 非常に現実的で切実な問題だった。

 ここで働き始めてからまだ間もないが、これほど割りのいい仕事はないというのが秋水と未知の共通見解だった。給料はそこそこだが、秋水と未知が共に働けて、住み込みもできて、おまけに美味しい食事にもありつける――。これほど条件のよい仕事には、もう奇跡が起きない限り巡り合えないと思う。

 魔術に頼ればもっと楽に大金を得ることは難しくない。が、それをやってしまったら本末転倒である。

 秋水は少しの間悩んで、最終的な結論を出した。

 「しばらくはここにいる。ただし、白南風玖凪が魔術のことを詮索してきたり、魔力の暴発を頻繁に起こしたりするようなら、早々に他所へ移動する。新しい仕事も探す」

 未知は「いいんじゃないかな」と賛同してくれた。

 秋水としては、玖凪自身を嫌っているわけではない。交わした会話も僅かなのに、それで彼女の人間性が分かるはずもない。

 ただ、魔術と接する機会が増えて、必要以上に意識してしまうことが嫌なのだ。

 そもそも魔力持ちが無条件に嫌なのであれば、自分や未知の存在も許せないということになってしまう。

 「人間がいる世界である限り、魔力持ちは存在する」これは厳然たる事実で、今まで出遭わなかったのが幸運だった。しかし、第二の白南風玖凪がいつ現れるとも限らない。

 他の魔力持ちに遭遇しても平気でいられるよう、そろそろ許容する訓練をするべきなのかもしれなかった。

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