彼女は天然危険物?
夕暮れの海岸というのは、カップルが群がる絶好のスポットである。そこに、若いカップルが一組、甘いセリフを語り合っていた。しかし、漁港が近いせいだろうか、この海岸は人気がほとんどない。程よい小波の音とからすがお家に帰る鳴き声がこだましていた。
「大好きよ、太郎さん。」
甘い声で女は囁く。その声にうっとりとしながらも男は「僕も大好きだよ、愛子さん。」と波音にかき消されんばかりの声で囁いた。思う存分、彼らは愛を囁き続ける。
「ああ、どうして太郎さんは、いつも素敵なのかしら。」
「愛子さんの方が美しいよ。」
「私達、いつまでも一緒よね?」
「・・・・。」
突如、太郎は沈黙した。愛子は、会話をたたれて不機嫌そうに聞き返してきた。
「いつまでも一緒よね。」
「実は・・・・」
太郎は口ごもった。そして、ふるふると首を横に振ると、愛子の目を見つめ真剣な顔で答えた。
「僕達の気持ちはいつまでも一緒だよな。」
「何を言ってるの。」
愛子は不思議そうに首を傾げると「当たり前でしょ。」と付け加えた。それを確認すると太郎は、恐る恐る口ごもりながら言った。
「実は、俺ちょっと修行の旅に出たいんだ。」
太郎は、調理師学校に通っており、料理人の卵であった。それを真剣な目で見つめ返した愛子は、悲しそうに瞳を閉じた。そして、わかったと言わんばかりに首を縦に振ると声を震わせながら問うた。
「あなたの夢だもの、私は止められないわ。どこへ行くの。」
「海の向こう・・・」
男は静かにそういった。
「いや・・・」
つい愛子は口に出してしまった。いくら太郎が修行に行くことを許したとはいえ、いきなり離れ離れになることはとてもつらかったからだ。
「すまない。俺はどうしても大好きな――・・・」
太郎が言いかけたところを何を勘違いしたのか、愛子がものすごい剣幕で怒りだしたのだ。
「なんですって!誰よ。私の他に好きな人でもできたというの?いわんかボケ――!」
愛子は、太郎の首をつかみ上げガクンガクン前後左右に振り回している。あせって訂正する「違う・・・」という太郎のか細い声も聞こえていないようで、その愛子の行為は数分間(太郎には永遠に感じたが)続けられた。
先に、ノックアウトされたのは太郎のほうだった。愛子が振り回すのを止めると同時に倒れこんだ。
「キャーー。太郎さん大丈夫?」
我に返った愛子は悲鳴をあげた。自分がしたことを棚にあげて、「誰が、こんなことをやったの」だの「早く、救急車よばないと」などと叫び散らしている。そして、やっと落ち着いたのか、太郎の頭を持ち上げ膝枕をしてやった。彼女の膝元で、うんうんと苦痛な呻き声を上げながら太郎がやっとのことで目を覚ました。そして、枕元?に向かって訂正した。
「愛子さん、違うんだ。大好きな調理人になるためだ、と言いかけたんだよ。」
「なんだ。私早合点してしまって、ごめんなさい。」
「いや、僕の言い方が悪かったんだ。ごめんよ。それから――」
太郎が何か言いかけたところで愛子が放った言葉によって遮られた。「まぁ、太郎さんたらっ。」
愛子はテレ隠しに、思いっきり手に持っていたハンドバックで太郎の頭を殴りつけた。財布やら化粧道具やらで硬くコーティングされたハンドバックは、見事に太郎の脳天を直撃し、ぎゃっ、と蛙を潰したような悲鳴とともに太郎は意識を無くした。次の日、太郎が彼女の部屋で目を覚ますまでひと時の安らかな眠りについてしまった。
遠くで、彼女が自分を呼ぶ声が聞こえた・・・気がした。しかし、自分はお花畑で夢中に遊んでいた。これは、臨死体験というものなのだろうか。
次の日。脳天の激痛とともに愛子の家で目を覚ました太郎は、現在の状況を確認し、昨日のことを思い返していた。台所では、いいにおいが立ちこめはじめていた。
「あら、起きたの?大丈夫、太郎さん。」
エプロン姿に包丁を構えた愛子に、太郎は目を奪われる。太郎は、「新婚夫婦って、こんな感じなのかな。」と、ぼやいた。包丁は太郎の目からはシャットアウトしていた。そして、その言葉が聞こえた愛子は、頬を高潮させ「いやだぁ〜。」と言った。そこまでは、よかった。次の瞬間、ぶんぶんと振り回された手から持っていた包丁が太郎目掛けて飛んできた。太郎は驚いて身をかわした。しかし、飛んできた包丁は太郎の右頬に掠るか掠らないかくらいの壁に突き刺さった。
「あら、ごめんなさい。つい・・・」
太郎は硬直したまま動かない。返事をするのも忘れていた。愛子は、すたすたと壁に刺さった包丁をひょいっと抜きそれを太郎にかざしながら、「もう少し、待っててね。」と言って、また台所に姿を消していった。
太郎は切実に思った。愛子と付き合うことは命がけだと。しかし、このことは誰もが知っていることだった。友人からも、「あの子はやめとけ」だとか「死にたくなかったらやめとけ。」だとか脅されていた。愛子は、これといいって見た目は可愛い普通の女の子である。そういえば、愛子の友人から「あの子は、天然危険物だよ。」とか言われていた。事実、死に目に何度かあったことはある。しかし、彼女と別れようなどとは太郎は思ってもいなかった。
テーブルに料理が丁寧に並べられ、見た目一般的な食卓の準備が整った。太郎がテーブルに着くと愛子もご飯を盛りながら他愛のない会話をしてきた。
二人は手を合わせ、口をそろえて「いただきます。」と言い、料理に箸を運んだ。
太郎は、彼女の作ったスクランブルエッグを箸につかみながら息を呑んだ。一度彼女が作ってくれた弁当を口にしたことがある。しかし、彼女の料理は見た目のすこぶる美しさとは相反する破壊的な味がするのである。どうも、彼女はかなりの味覚おんちらしい。料理人の卵として、心して彼女の気持ちを食べているが、食事の後は、当分胃が破壊され死ぬ思いをする。わかってはいるものの・・・
「おいしいよ。」
涙をこらえ震えた声で太郎は、愛子に笑みをなげかけた。
「本当!うれしい。」
愛子にとってその涙交じりの太郎の声は絶賛のほめ言葉に聞こえたらしい。太郎は、苦笑しながら料理を黙々と食べ続けた。そろそろ太郎の胃が限界を迎えたとき、ふと疑問が浮かんだので愛子に問いかけた。
「そういえば、僕をどうやってここまで、運んだの?」
愛子は、恥ずかしそうに手をもじもじさせながら答えた。
「太郎さん、重かったけど一人で運んだのよ。」
太郎は驚いた。どんなに自分は小柄だといっても体重は70キロ近くあるし、海岸からこの家まではかなり離れている。
「うそだろ?」
唖然として太郎が問い直すと、くすっと笑って愛子は言った。
「夜中で誰もいなくって、だからちょっと大変だったけど頑張ったわよ。」
呆気にとられて、太郎の口はだらしなく締りを失っている。
「すごいね。」
それだけしか、太郎は答えることができなかった。
「うん。そういえば太郎さん。昨日何か言いかけてなかった?」
「え?うん。海を越えて立派な料理人になって帰ってくるからそれまで、待っててもらえるかを聞きたくて。」
なんだそんな事といわんばかりに愛子はにっこり笑うと、頷いた。
「まぁ!そんなこと。待ってるに決まってるじゃない。」
「本当かい?」
一抹の断られる不安のあった太郎は嬉しそうに笑みを浮かべた。愛子もあまりの太郎の嬉笑みにつられて笑みを浮かべたが、すぐ真面目な顔をした。
「ええ、もちろんよ。でも――。」
太郎は、不思議そうに小首をかしげた。
「でも?」
「約束して。」
太郎は、何を約束しなければならないのかと一瞬不安に駆られ息を呑んだ。
「何をだい?」
「私、ぴーちゃんといつまでも待ってるから・・・」
愛子の隣におとなしくじゃれ付いていたペットの5メートルはあろうニシキヘビ、ピーちゃんがシャーっと声を上げてる。
「私のこと一時も絶対忘れないで。お願いできる?」
太郎は(よかった、一緒に連れて行ってなんていわれなくて。)とどこかで安堵していた。そんな事言われなくても当たり前だ。
「わかった。一時も絶対忘れない。ここに誓うよ。」
愛子は念を押すようにもう一度聞いてきた。
「絶対だよ。」
「絶対。」
太郎は、愛子の部屋に飾られていた髑髏の掛け時計を目にした。付き合って一年ほどになるが彼女の趣味は今一理解しがたい。髑髏の掛け時計は、十一時を指していた。
「そろそろ帰らなきゃ。」
「もう?」
不満そうに愛子は太郎に甘えて見せた。
「うん。実は明日ここを発つんだ。」
「そんな!急に。」
愛子は飛び上がって驚いた。オーバーアクションはいつものことだ。太郎は、早く家に帰りたかった。昼まで彼女の超絶まずい料理を口にしたくはなかったし、一刻も早くでて、さっき食べた食事(?)を吐き戻したかった。いくらなんでも、彼女の前で吐くわけにはいかない。まぁ、目の前で吐いた所で、「なにか悪いものでも入ってたかしら」とか言うくらいだろうが。
「じゃあ、もう帰るね。準備もあるし。さ・・・」
適当な理由を付けて、最後の言葉を交わそうとしたが、それは愛子によって止められた。彼女は、「さよなら」を言いかけた自分の唇に「しっ」と人差し指を立てた。
「それ以上は言わないで、悲しくなるから。」
わかったよ、のつもりで太郎は頷いた。そして、玄関へ向かう。玄関で靴を履きながら思いつく限りの言葉を彼女に投げかけた。
「明日は、別れるのがつらくなるから出発場所は教えないね。さよなら・・・あっ!!」
その言葉を放ってから気づいた太郎は、フルフルと身体を震わせた愛子を見やった。恐る恐る顔を覗き込んだ。「ゴメン」といいかけてそれは、愛子の怒りにかき消される。
「言わないって、言っただろう――!」
手が付けられないほどに怒りだした愛子を背後に太郎は、猛ダッシュで愛子の家を後にするしかなかった。
<数年後>
浜辺に近い公園で、少し大人びた愛子がいた。
「太郎さんはいつ帰ってくるのかしら。行く場所くらい聞いておくんだったわ。」
隣にいたぴーちゃんがつまらなそうに、愛子に絡み付いていた。「くすぐったいわ」などとぴーちゃんと戯れるが、太郎のことがふと頭をよぎると溜息が漏れた。
「はぁ。」
こつこつ硬い靴がアスファルトを鳴らす音が、どんどん自分の方へ近づいてくる。怖くなった愛子は、悲鳴をあげ、振り返った。
「きゃあ!誰?」
そこには、身長の高い、がたいのいい男が立っていた。
「誰だと思う?」
男が、にやりと笑った。
「そ・・・その声は、太郎さん。」
数年かの間に、身長も大きくなり筋肉のついた太郎がそこにいた。
「やっと帰ってこれたんだ。」
「ねぇ、いったいどこへ修行に行ってたの?」
「北海道に・・・、本格派札幌ラーメンの修行に。」
“北海道?”。愛子は、小首をかしげた。
「え?でも、行く前に太郎さんは、“海の向こう”って言わなかった?」
性格のほうは、変わっていないらしい太郎は、不思議そうに彼女に問い直した。
「え?え?でも、北海道には海を渡らないといけないだろう?」
小波の音とかーかーとカラスが鳴き声だけが辺りに響いた。
「なんで早く言ってくれなかったのよ!!?」
低い呟くような声で「ピーちゃん、やっちゃいなさい。」と愛子はニシキヘビに命令した。それに、従うかのようにピーちゃんは、太郎の首元へするすると登ると首をじわじわと締め付け始めた。
「く・・・苦しいよ。止めて・・・」
太郎は涙声で懇願したが、彼女は聞き入れる様子はない。それどころか、愛子の怒りは頂点へ達しそうだった。
「私も北海道くらいだったら一緒にいったのに!!」
太郎は死にそうになりながら、(顔はどんどん血の気が引いてきている)必死に言い訳をする。
「だ・・・・って、修行に力が入れたかったから・・・・だから・・・やめ・・。」
言葉が途切れがちになり、意識を失いそうになった。その時、愛子はピーちゃんに「やめて」と優しく言った。太郎は酸欠寸前でピーちゃんから開放された。
「まぁ。そんなことだったら仕方がないわね。」
不満そうに愛子は答えた。太郎は荒い息を漏らしている。息を整えきれない。
「はぁはぁ、助かった。」
太郎は、息をきちんと整えてから気を取り直して太郎は愛子の瞳を真剣に見つめ、両手を取ると言った。愛子は、胸をときめかしていた。こんな雰囲気は、まるでプロポーズみたいではないか。太郎がどんなことを言ってくるのかという期待が膨らんだ。
しかし、太郎から放たれた言葉といえば・・・
「お・・・俺の愛する札幌ラーメンをぜひ食べてくれ。」
「なんですって?」
愛子の血管が浮き出る。
「俺は、札幌ラーメンの専門店を作るのが夢なんだ。」
「私より・・・・」
バシン!!
愛子は、太郎の顔を素手で思いっきりぶったたくともの烈火の如く怒り始め、そして涙ぐみながら言った。
「私より、札幌ラーメンを愛しているのね。ばかーーーーー!」
きいきい声で叫び散らかし泣き出した。そして、泣き終わるときっと太郎を見つめて、もう一度「大嫌い。」と捨て言葉を吐いて、太郎から見ると反対方向へ走りだした。しかも、近くにあったものを太郎に投げつけながら。
「待って!違うよ!一番は君だよ。」
その中の一つ(空き缶)が太郎に当たったが、離れていく彼女を必死で追い駆け出した。途中でピーちゃんが置いてきぼりを喰らっているのを思い出した。五メートルはあろう大蛇があんな一般の公園にいたら大変な騒ぎになるので、ピーちゃんを肩に担いだ。そして、そんなことをしている間にも太郎を襲ったのは、重いベンチなども投げつけられた。前よりは少し反射神経はよくなった太郎は一応避けた。しかし、彼女が走り去った後は、物々しい数のごみが散らかされて行った。
そのごみを避けていかなくてはいけなかったので一向に愛子に追いつけない。ついでに、ピーちゃんも抱えているので走る速度は落ちてしまう。追いかけながら、一生懸命訂正をしたが、聞き入れてもらえなかった。
二人の体力が続く限り追いかけっこは、一日中続いた。一般人から見れば、異様な風景だったであろう。手当たり次第にものを辺りに散らかす迷惑極まりない馬鹿力女と大蛇を肩に担ぎ必死に説得している体格のいい男が追いかけっこをしているのだ。警察に捕まるもの時間の問題だろう。
この互いの勘違いが解決できたかは、彼女達にしか知らない。
読んで頂き、誠に有難うございます。ご感想を頂けるととても嬉しいです。感想次第では、頑張って続編を書くかも知れません。
え?いらない??うっ・・・そうですか。
それはそうと、以前はこんなに明るい小説が書けたのに、今では・・・心が荒んでしまったのでしょうか・・・そんなことを考える今日この頃です。
太郎と愛子はこれからどうなるんでしょうか(笑)
きっと素晴らしい家族を作ってくれると願っています。