3~普通じゃない女子高校生の仲間~
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次の日の朝、校舎までの林道を爛堂と並んで歩きながら、俺はどんよりした眠気とまったく解消されない疲労に悩まされていた。昨夜は狭いベッドの中でドキドキの一夜……と言いたいところだが、実際にはヒヤヒヤしっぱなしの一夜を過ごして、ちっとも眠ることができなかった。完全なる睡眠不足で全身が重くだるい。
爛堂が寝入った後で俺も深い眠りに落ちていったけど、突然にみぞおちを強打されてすぐに目が覚めてしまった。見ると爛堂の右手が俺の腹の上にあって、寄せようとしたところをさらに深くえぐられたのだった。それだけじゃない。容赦ない拳は顔も襲うし、上半身に意識を集中すれば両足で思いっきり蹴られるしで散々な有様。爛堂はとんでもなく寝相が悪く、身体の一部がちょっと触れて赤面する、なんてドキドキも夜半にはなくなった。俺はいかに爛堂の攻撃を交わすかに必死になったが、朝方には結局、コアラのようにぴったりと抱きつかれて体の自由を奪われていた。
「ねむいぃ……」
「あら、だから早く寝たほうがいいと言ったじゃない」
しれっとした顔をして言う爛堂は、寝ている間に自分が何をしたか知らない。じっとりした目つきで見返すも、奴は何食わぬ顔で「眠りが浅いのかしら?」と呟くだけ。眠りが浅くなるのも、お前のせいだっつぅの。
それに加えて、今朝の俺には普段感じない肩の重みがあった。肩こりよりも酷く、両肩に米俵がのしかかっているような……。
「ていうか。コイツはいったい、何だ?」
そう。寮を出るときから俺の肩には着物を着た幼女がしがみついているのだ。俺がその子をおぶっているわけじゃない。勝手にその子が制服の襟をつかんで背中へ張り付いていた。推定六歳。まっすぐに切りそろえられた前髪のおかっぱ頭に、丸く大きい獣の耳がピコピコと動いている。
「……そんな感じで、壁を元通りにするのは大変だったんでございますよっ! しかしながら、美禰はがんばってヒビを埋めていったんでこざいますっ」
少女の甲高い声が耳にキーンと響く。しかも、着物の下からひょろりと出ている尻尾らしきものが、俺の頬をぺしぺし叩くのが鬱陶しい。
「ありがとう、美禰。急なお願いだったのに、苦労を掛けたわね」
「いいえいいえ。氷御さまの依頼とあらば、喜んでお請けいたしますですよっ」
「だーかーらっ! コイツは何なんだ?」
誰も俺の質問に答えてくれなくてイライラしてしまう。
「この子は小玉鼠の美禰。山の神、姿乎命さまにお仕えする物の怪よ」
「姿乎命さまと氷御さまは昔から仲が良くてな。無礼なマタギが山に入ると、姿乎命さまが動くより早く氷御さまが吹雪を起こしてくれて、人間共をこらしめたものよ」
「小玉鼠は木や土を扱うのが上手なの。だから昨日みたいに、形を損なうと困るものが壊れると助けてもらっているのよ」
この女の子が『小さな靴屋さん』か。まあ、小さいってところでは童話の小人と一緒かな。ぐちゃぐちゃに破壊されつくした俺の部屋を一晩で元通りにするなんて、人間にはとうてい無理。黄色の帽子をかぶっていれば小学一年生にしか見えないんだけど、この美禰という幼女もきっと何百年と生き続けているんだろうな。
もちろん、新築そのものに部屋を整えてくれた彼女に対して、俺は深く感謝している。けど、机の上に置いていた私物を勝手に見たことには納得がいかなかった。さらには、その私物が気に入らないと、初対面であるにもかかわらず、彼女は俺を厳しく叱りつけたのだが。それはどういうことだろう?
「ですから、氷御さまっ。やはりこの人間は信用しがたいでありますよっ! こんな本を隠し持っているなんて、不潔極まりないっ。世が世であれば大罪に値しますですよっ!」
言いながら、美禰は某アイドルの写真集を取り出す。汚いものでも触るように表紙の端を人差し指と親指の二本でつまんでいる。
「わわわっ!」
それこそが、机の上に置いたままにしていた俺の私物。コンセプトが『恋人との秘密旅行』という、なんとも魅惑的な写真集だった。人気急上昇中のアイドルが水着を着たり、ベッドの上に寝そべったり、目を閉じて唇を突き出すキス顔をしたりと、思春期の男子にとっては心躍る一品。しかし、そんな写真集を美禰が開口一番に「ふしだら!」と激烈批判しやがったのだ。ていうか、なんで持ってきてんだよっ。
「ほら、氷御さま、見てくださいまし。この女子は裸同然でございますよっ」
美禰が爛堂にビキニの水着写真を見せつけるのを、俺は必死で止めた。幼く小さな手から写真集を取り上げ、慌ててバッグの中にしまい込む。
「こらチビ! やめろって。お前の姿は結界を張っていて周りから見えないけど、写真集は消えてるわけじゃないだろ!」
そう。爛堂が張る結界とやらで、背中にしがみついてる美禰は周りの人間には見えないようなのだ。しかしそれは、あくまで陰の世界に生きる者を消すためのもので人間界のリアルは消えない。朝っぱらから女子生徒にアイドル写真集を見せつけるとは、どんなド変態だよ。勘弁してほしい。
「ロリコン……」
ぽつりとつぶやいた爛堂の一言が胸に突き刺さる。
「ち、違うからっ!」
強く否定しても、写真集のアイドルは確かに丸顔でタレ目の童顔。でも、ロリコンはないだろう! ああ、なんでこんなことになっちまうんだ!
「それにですね、氷御さま。この人間は、着物を上手にたたむことができないようでございます。鞄に入ったままの衣服はくちゃくちゃと入り乱れて、みっともない有様でした。これなど見てくださいませ。生地は皺だらけで腰紐もゆるゆる。男子たるもの、下穿きからビシッとするべきかと。やはりふんどしが一番かと存じますですっ」
また美禰は、どこに隠し持っていたのか、履き古して腰のゴムが伸びたボクサーパンツを取り出した。俺は爛堂がそれをまじまじと見つめる前に取り上げ、回収してしまう。
「やめっ! やめなさいっ!」
そりゃね、コイツが言うとおり、俺は洋服や下着をデパートの陳列棚に並んでいるようにきれいにたたむことはできないさ。自分でも不器用な方だと自覚している。でも、普通に生活していてパンツを他人に見せびらかすことはないんだから。美禰にとやかく言われる筋合いはないし、ふんどしをつけるつもりもない。
思わずため息が出て、俺は肩越しに顔を覗かせる美禰に言った。
「あのねぇ……部屋を元通りにしてくれたことには深く深く、ふかぁーく感謝しているよ。でも、本人の了解も得ずに私物を持ち出したり、鞄の中身を見たりするのは、ちょっとお行儀が悪いんじゃないのかな?」
見た目がピカピカの一年生だからか、初対面だからか、自然と言葉遣いは丁寧になったけど、俺は内心『ふざけんじゃねーぞ、このクソガキ!』と思っている。口元に引きつった笑みが浮かんでいても、目は鋭く凄んでいるに違いない。
「人間よ、偉そうに口答えするでない! ワシはありのままを述べているだけだ。自分では瑣末なことと思うかもしれないが、それは実に重大な問題であり、他人が客観的な視点でもって判断するからこそ、揺るぎなき真実として明らかになるのだっ!」
美禰は、可愛らしい外見に似合わない難しい言葉で反論しながら、俺の後頭部をぱしぱし叩いた。爛堂に対しては敬語なのに、俺にはやたらと高飛車な態度を取りやがる。生意気なヤツめ……。
「ていうか、どこまでついてくるんだ? 俺らはこれから学校なんだけど。授業中もずっと背中に張り付いてるつもりじゃないよな?」
いたずらに髪の毛をぐいぐい引っ張っている美禰に、目で『邪魔』と訴える。
「そうね。そろそろ校門に着いてしまうから、美禰はもう戻るといいわ」
十数メートル先に茶色の校門が見えてきて、爛堂も美禰に帰るよう促した。
「夜中に無理を言って悪かったわね。阿弓君の部屋を直してくれてありがとう。それと、あとで姿乎命さまのところへお伺いするわ。天刃鬼と冷御の件で、ご報告したいことがあるの」
「かしこまりました。お伝えしておきます。では、また何かありましたら、何なりとお申し付けくださいませ」
美禰は爛堂にうやうやしくお辞儀をしてから、なぜか俺の顔を覗き込んで
「おい、人間。くれぐれも氷御さまにご迷惑をお掛けするでないぞっ!」
と念を押した。迷惑をこうむっているのは俺の方だとカチンと来たが、何か言い返そうと思って背中を振り返ると、もう美禰の姿はなかった。
「ああ見えて、美禰は私よりずっと年上なのよ。もう三百歳は越えているかしらね」
「えええっ!?」
どう見ても、小学一年生なのに。さんびゃくさいって! 今から三百年前というと江戸時代中期。暴れん坊将軍、吉宗の時代じゃないか。さかのぼるにも程があるだろう……。
「昔から姿乎命さまにはいろいろと良くしてもらっていて、美禰とも長い付き合いなの」
「その姿乎命さまってのは爛堂の味方なのか?」
「味方だなんて恐れ多いわ。姿乎命さまは山の神様で、私たち物の怪とは住む世界がそもそも違うもの。動物や植物、川の流れを守って山の恵みを授けてくださるお方よ。基本的には誰の肩も持たないし、つねに中立的な立場を取ってらっしゃるわ。でも、穏様の復活には強く反発していて、天刃鬼の行動も良くは思っていない。そのあたりでは、私と同じ考えを持ってくださっているわね」
「なるほど。あいつらは神をも敵に回してるってことか」
そして、穏様とやらは神をも脅かす存在だということでもある。実体のない念がなぜそんなにも恐ろしいのか、俺にはまだピンとこないけど、そんなものを今莉に憑依させようとしている天刃鬼と冷御は許せない。
「爛堂、できるだけ早く今莉を見つけたい。どうすればいい?」
「わかったわ。今日の放課後、ちょっと付き合ってちょうだい」
「了解」
俺を待っていると切実に訴えた今莉を思うと焦燥感に駆られる。本当は呑気に学校なんか行ってる場合じゃないんだろうけど、俺一人ではどうにもできない。男鹿で眠っているという爛堂の予測に頼るしかなかった。
「焦らなくても大丈夫。第七節気のゴールデンウィークまでは奴らも動き出せないから」
さらりと俺の心を読んで焦りを静めてくれようとする爛堂。それは不躾な優しさか。虜にしている俺を管理しているだけか。
「おや、東京少年じゃないか」
ちょうど校門へ着いたとき、渋谷が道路の向こう側から声を掛けてきた。スカートの裾から黒のスパッツが覗いているが、彼女的には問題ないらしい。サンディ、春木と並んで堂々と大股で歩いてくる。
「あれっ、爛堂さんも一緒なのか!」
俺の隣の爛堂に気づくと、渋谷はととと、と駆け寄ってきて俺の背中をバン! と強く叩いた。
「早くも恋しい人と一緒に登校だなんて、この幸せ者!」
親指を立ててウインクしつつ「やるじゃないか」と囁くのに対して、俺は呆れたように首を振るしかない。
「あいやー、もう付き合ってんのかや? 良がったなぁー」
続いてサンディが声を掛けてくるが、こちらも完全に誤解してしまっている。俺と爛堂を交互に見てニッコリ微笑む彼女に、すかさず「付き合ってないから!」と否定した。
「おはようございます。お二人はもう公認の仲ですのね! おめでたいことですわぁ」
春木、お前もか……。肩までのふわふわカールを揺らして嬉しそうに俺たちを祝福してくれるけど、そんなのいらないから。俺はもはや苦笑いを浮かべて、「勝手に公認しないで」とだけ訴えた。
「恥ずかしがらなくてもいいんですのよ、阿弓さん。高校生活は恋あってのもの! 運命の人とめぐり逢って恋をしなければ、高校生をしてる意味がないですわっ」
いや、春木それは言い過ぎだろう……。このコは『運命の人と出逢わなければ症候群』なんだろか。
「はぁ、俺だって出逢いたいさ。自由に恋愛したいし、雪女の虜なんかやってらんないよ」
「?」
ポロリとこぼれた本音に春木が首を傾げる。しまったと思ったとたん、喉の奥が冷たくなって呼気が粘膜に張り付くような息苦しさを覚えた。
「ゴホッゴホッゴホッ!」
普通に息をすることもできなくなって、俺は堪らず咳き込んでしまう。むせながら爛堂を見ると、鋭く威圧的なまなざしを向けていた。その強い光を放つ目が言わんとすることを、俺は十分理解していたつもりだったが油断したようだ。
「大丈夫か? 風邪には気をつけたほうがいいよ。東京に比べると秋田はまだ寒いからさ」
渋谷がくれる親切な言葉に俺は曖昧な笑みを返す。
「そうよ、阿弓君。特に夜は冷えるから、あったかくして寝るといいわよ」
と渋谷に何食わぬ顔で同調したのは、あろうことか爛堂。「夜は冷えるから」って、床の上で寝ろと言ったのはどこのどいつだよっ。咳き込みながら睨みつけてみても爛堂はまったく動じない。無表情で淡々と俺を見返すだけ。
「優しいなぁー、爛堂さん。いい彼女でぎで幸せだべ、阿弓くん?」
サンディが爛堂の下手な演技にだまされているのが悔しい。思いっきり首を左右に振って否定したいけど、また喉を凍らされても厄介。口惜しく思いながらも適当にやり過ごした。
「もしかして……阿弓さんってふたご座でいらっしゃいます? 今月のふたご座の健康運は喉の風邪に注意、でしたから」
「いや、俺はいて座だよ」
唐突な春木の質問にかすれた声で答えるが、今の俺に星占いなんか当たらない。だって、俺の身体は爛堂に囚われているんだから。もし風邪を引くとしたら、それは運勢のせいじゃなく、爛堂の機嫌を損ねることが原因だといえる。
「あら、そうですの。でも、今月のいて座さんは新しい恋に期待! と出てましたから、阿弓さんはそのとおりですわね。素敵ですわぁ。わたくしも頑張らないと! 今年のかに座は大勝負をかけると大恋愛ができるようですから」
両手のピースは爪のつもりか、チョキチョキするしぐさを見せる春木はかに座らしい。女の子は本当に占いが好きだ。
「それに、今日のかに座の恋愛運は、異性との間に心を浮き立たせる出来事があるでしょう、なんですの! それはきっと、私がついに運命の人と出逢うって意味なんですわ。きゃあ!」
目をキラキラと輝かせて朝からエネルギー全開。今日の運勢でここまで盛り上がれるなんて乙女すぎる。
「おひつじ座は? 今日のアタシはどんな感じ?」
渋谷が聞くと、春木は「早とちりをして身近な異性に迷惑をかけそう、注意!」と即答した。それって、まさに今の俺に対する態度じゃないか。今日のみならず、昨日から渋谷は早とちりしまくり。
「おうし座は? なんかいいこと、ありそうが?」
サンディには「のんびりしすぎて恋のチャンスを逃すかも」という答え。今日が特にのんびりしているというより、サンディはそもそもの性格がのんびりさんに見える。
というか、自分以外の星座の運勢まで覚えている春木がすごい。
「爛堂さんは? 何座なんですの?」
不意に、きゃぴきゃぴした賑やかな女子の会話が爛堂へ振られた。瞳に星がきらめく乙女な春木はニコニコしながら答えを待つのに、爛堂はまごつく。何か言おうとして、不器用に言葉を飲み込んだ。
「私は……」
「さそり座」
「え……?」
「コイツ、さそり座だってよ」
代弁したのは、俺。考えるより先になぜか答えていた。
「まあ、ミステリアスな魅力を持つさそり座は、爛堂さんそのものですわね。今日のさそり座さんは、片想いの相手から助けられるでしょう、ですわよ」
「璃亜の占い好きは相変わらずスゴイね。全部の星座を覚えてるんだから」
「んだんだー。すげぇモンだ」
明るい声ではしゃぐ仲良し三人組は昇降口に入っていく。その後についていきながら、爛堂は小さく「ありがとう」と呟いた。
「え? ああ……」
突然の感謝の言葉があまりにも意外。俺は素直に驚いた。さっきは俺を半殺しにしかけたっていうのに。
「私、自分がいつ産まれたか知らないの」
まあ、そんなこったろうと思った。
「でも……私がさそり座ってなぜ?」
「なんとなく。毒があるあたりが」
「ふうん」
妙に納得したように頷きながら、爛堂は珍しく笑みを浮かべた。
陰りある雰囲気を漂わせる神秘的なさそり座は、大人しそうに見えて突然に毒針を刺す激しさを隠し持つ。しれっとした顔でとんでもないことを言い出す爛堂にはぴったりの星だと思った。