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刻まれるは生きた証 ③悲嘆の落日

 子供を抱え、空中からガーデンツ達を見下ろす異形の魔。


 その姿はまるで羽の生えた人間───否、その顔つきは人ではない。口腔は顎と共にせり出し、口は裂けたように大きく、尖った牙が飛び出している。もはや獣か爬虫類の類に近い。背には鳥のような翼を携え、比較的痩せてはいながらもやはり魔の一族である故か、その筋肉は発達している。肌は鱗のような物に覆われて青く煌き、赤き魔と双璧を成すような存在だった。


 双璧の片割れは、赤色せきしょくの体を軋ませつつもなんとか空を見上げた。二つの魔の視線が交錯したのはほんの一瞬だった。すぐさま、それすらも許さぬと不可視の力が五体を歪ませる。


「早くしやがれ!」


 青き魔はガーデンツの応答も待たず、抱えた子供の頬に自身の長い爪を走らせた。子供が小さく身じろぎし、空中で血しぶきが舞って、ぴちゃりと地面に落ちる。


 途端、赤き魔を圧迫する力が消えた。鈍重な音を立てて再び蛇の尾が地面を這う。


「捕まえてきたぜ、ジュエ。随分と面倒な仕掛けだとは思ったが、まさかそいつが功を奏すとはなァ……!!」


「────い、いいところに来てくれたな、ストウナ。正直、助かったぞ」


「ハッ、そいつぁ重畳。俺もめんどくせえ役回りを引き受けた甲斐があるってぇもんだ。てめえがそこまで苦戦するのは予想外だったけどよお」


 赤き魔、ジュエと呼ばれた魔物が解放感に大きく息をついて上空を見やると、青き魔、ストウナは鼻を鳴らして眼光を鋭くする。


「子供を人質にとるとは……」


 ガーデンツの呟きを受け、青き魔は愉快げに口を大きく開き、真っ赤な舌を覗かせた。


「クハハ!こっちの騒ぎのおかげで城外の警備はザルだったぜえ?」


はかられたか」


 ガーデンツは口惜しげに唇を歪めた。

 見たところ、脅しによる子供の傷は軽微。騒がないところを見れば既に気を失っているのだろう。話しぶりからするにこれも初めから襲撃計画の内か。


 ───なんとしたたかな。


 力と物量に物を言わせることしかできない通常の魔物とは一線を画している。人質の意味を把握しているとはつまり、人の心の機微まで知っているということに他ならない。


 状況はより悪化してしまった。


 今直面している危機だけでなく、今後も厳しい戦いになるであろうことを予感し、ガーデンツの心は戦慄に揺れる。


「見捨てれば良い」


 されど、この場には揺らぐことの無い男もいる。自身の目的を見失うことなく、ただ一つの先を見据えて動くことのできる男がいる。幾多の戦場を渡り歩いた証左である傷を乗り越え、確固とした己を貫くことの出来る、ムオンと言う男がいる。


「あれは名も知らぬ子供なのだろう?どちらを取れば国の、引いては国民のためになるのか、答えは明白。ガーデンツ殿の命の方を優先すべきだ」


「それはできんよ」


 受け入れられない、とガーデンツは首を横に振った。


「…………」


 応答は無言。それを否定と受け取ったか、ガーデンツはさらに言葉を続ける。


「ムオン君。君も分かっているのだろう?私達は魔物ではない。人なのだ」


 そうであろう。それは正しい。間違いなく正しい。だが現実は、往々にして人としての正しさを歓迎しない。


「……承服しかねる」


「なに、全員の命を守れば良いだけだ」


 理想論はどこまでいっても理想でしかない。

 ガーデンツほどの経験を積んだ者がそれを理解していないはずがない。

 ならば、事実手があるのか。

 視線だけで問うムオンに、ガーデンツは小さく頷いた。


 そして状況は進む。あるべき歴史の通りに進んでいく。


「ガーデンツさん!」


 少年のような若々しい声がガーデンツの背に浴びせられた。その声の主こそ、既に英雄との呼び声高い天才剣士、レクス・アールヴィンであった。


 燃えるような意志を讃えた瞳が現状を捉え、煌びやかな金髪を揺らして狼狽する。

 さらに、同じく駆けつけた者達も一様に息を呑んだ。


「今すぐあたしの術で……ッ!」


 恐るべき魔力を秘めた魔術師の少女、アイヴェ・クレイムルは、状況を把握するなりすぐさま魔力を練り上げ、桃色の髪を逆立てさせるが、


「落ち着けアイヴェ。あれでは子供も巻き込みかねん」


 大精霊を使役する稀代の召喚術師にして異端の魔術研究者、グランス・F・マイスターが冷静にそれを制止する。


「でも……ッ!!」


「焦りは禁物ですよ、アイヴェさん。傷は私の術で癒せますから」


 慈愛の少女と呼ばれる清廉潔白な神光術師、ミーティ・アリアードはそう言いつつも、普段の優しげな眼差しを歪め、切迫した表情で携えた杖を握り締めていた。


「ねえ、レクスッ!!」


「分かってる!けど……ッ!」


 彼らもまた一騎当千のつわもの達。赤と青の魔物の強さは言葉無しに理解できる。加えて、人質の存在が易々と手を出せない状況を作り上げていた。


「おうおう、なんかわけえのが出てきたなあ」


「ストウナ、侮るなよ。お前の悪い癖だ」


「ヘイヘイ、っつーわけでテメェら、余計な手出しすんじゃねェぞ?こっちにゃ人質がいるんだからなあ!」


「卑怯なッ!」


「クハハハッ!本当に若ぇなあ!いくさに卑怯もクソもあるかよ!」


 ゲラゲラと笑うストウナに対し、少年は幼さの残る顔を鬼神の如き表情で塗りつぶす。


 ───憤怒。


 凄まじい敵意が撒き散らされた。それは英雄などと言う呼び名と程遠い、まるで獣のように無造作な威嚇。されどその質は獣等とは比べるべくもない。


「おー、おー、おっかねえ。……マジでおっかねぇなテメェ」


「その辺にしておけストウナ。我らが目的を忘れたわけではあるまい」


「わぁーってんよ。用があんのはあの小僧じゃねえ」


 ストウナとジュエの爬虫類のような瞳がガーデンツを射抜いた。


「それにしても驚いたぞ、オリヅア。まさか力場魔術フォーススペルとはな。アレほど異質な魔術は見たことが無い。あるいはルヴォルク様に匹敵するかもしれぬなあ」


「……究極にもっとも近しいといわれたあの男にか。光栄だな」


「まさに。嫉妬を覚える。この身が赤く染まるほどにな」


 くくく、と赤き魔は己の戯言に笑う。そこにあったのは嘲りでもなく、怒りでもなく、余裕であった。敵地で掴みえた己の有利に、目論んだ通りの状況に、赤き魔はしたり顔で哄笑する。


「……それで、何が望みだ」


「主の命は宣戦布告のみだったがな、土産に貴様の命を貰い受けたいのだよ。オリヅア」


「やるがいい。ただし、私の命と引き換えにその子の命は奪わないと誓え」


「良かろう。貴様が死ぬところを見届ければ子供は返す。取引は成立だ。……しかし、随分とあっさり受け入れたな」


「とっておきが阻まれたのだ。もう打つ手が無い」


「真意とは思えぬな。先程の貴様の所業からして油断ならん。我の埒外にある手段を取るやもしれぬし、不用意に近づくは愚行よな」


「ならばどうする」


「炎の蛇に拘束されたまま焼け死ぬがいい」


 言うなり、赤き魔は潰れた指先を持つ片手を天にかざし、《炎蛇縛咬ファグラジェイア》の呪を唱え、瞬く間に炎の蛇を顕現させた。腕にまとわりつく炎蛇が不気味に蠢く。それを見るなり、すかさずムオンと英雄達が動こうとするが、


「来るなッ!!」


 ガーデンツ自身の釘刺しで誰も彼もが足を止めてしまった。


 しかし赤き魔は止まらない。止まらぬまま炎の奔流をガーデンツ目掛けて投げつけた。ほんの一瞬、制止の一声で皆がたたらを踏み硬直する瞬間を見逃さなかった。誰もが阻むこと叶わず、炎の蛇が踊り狂い、ガーデンツを飲み込む様子を呆然とみつめることしかできなかった。


「ガーデンツさんッッ!!」


 赤い奔流の中で人影は微動だにしない。ただ燃え尽きることを待っているかのように静止していた。灼熱の炎が生む陽炎の中でゆらゆらと揺らぎ、やがて黒い影はゆっくりと倒れこむ。


 不意に炎中から光が走った。

 炎の蛇はひとしきり獲物を焼き焦がして天へと昇り、消失する。


 そこに残されていたのは黒こげとなった、かつて人間だったもの。倒れ伏したガーデンツの肉体だった。


 英雄たちの心に絶望が、魔物たちの心に喝采が生まれる。


 それは油断だった。


 死体のはずのそれから突如として異様な魔力奔流が溢れ出したのだ。

 その場にいる誰もが反応できなかった。黒い影は一瞬でそこから消え、代わりに現れたのはストウナの手中にいたはずの子供。


 そしてストウナが手中にあったのは、皮膚が焼け爛れ、半ば炭と化したかつてガーデンツだったもの。


 焼けた眼球は既に何も映さず機能を失っていたが、眼窩の奥には異様な光が覗けて見えた。そこから生まれ来る魔力奔流は止まらない。


 ───瞬間転移ッ!?焼かれながらも術をッ!?


 魔物達が理解し始めたときには既に二度目のそれが果たされていた。地上にいたはずのジュエの巨体が、ストウナの目前に現れたのだ。


 同一地点にまとまった一人と二体を、死に体から噴出する魔力が取り囲む。


「貴様生きてッ!?」


「テメェ何をッ!?」


 驚愕する魔物二体の言葉を無視し、死体だったはずのガーデンツは焼けて癒着した唇を無理やりに引き剥がして叫ぶ。


「あとは頼んだッ!」


 残っていた瞬間転移の魔術言語マギウスワードが、術式が()()()()()()()()()()()()()()()様を目撃し、赤と青の表情が更に引きつった。


 呪文の詠唱が無い。詠唱破棄に伴う魔力の減衰、異常消費すら全く無い。理解不能。魔術を知るものであれば誰しもがそう感じる現実が今ここで起きている。


 ───《転換魔チェンジリンク魂絶炎生エグゾート・バジェ


 瞬間転移から転換されたそれは、魂を起点にした魔術。


『人に宿る魂は精霊の一種である』


 グランス・F・マイスターが提唱した説に基づく理論を体現したその魔術は、稀代の魔術研究者二人の語らいを通して生まれた消滅の魔術である。己が内にある根源精霊を召喚し、他者の根源精霊と混ぜ合わせて分解、命の律動規則を失わせる、ある意味では究極の魔術だった。


 その余波を持って、ガーデンツは己の体を制御している。魂そのもので肉体を制御している。


 ───まさか、三度みたび究極に近しい魔術を見れるとは。


 終焉を目前にしてジュエの心に浮かぶのは純粋な賞賛だった。力場、転移、そして根源制御。それらの術式を頭で理解したわけではない。魂を解するのは同じく魂。魔の道に堕ちたからこそ理解できる魂の変化。


 ───敬意を表し、全力を持って貴様に一矢報いよう!!


 赤き魔の豪腕が唸りを上げる。もはや止めることのできない最後の魔力集中の一瞬。そこに賭けて、腕を振るった。鈍い音が鳴る。


 直後、己がはじかれたことに気付いたストウナが目を見張る。

 視線の先ではガーデンツとジュエの肉体が光に溶けて、光となって消えていく。音もなく、動きもなく、まばゆいばかりの光が魂を無へと変遷させていく。


 静寂。

 静寂の内に全てが終わる。


 ひどく静かな───死に様だった。


「…………」


 残ったのは彼の偉大な魔術師が身に着けていた衣服のみ。ばさりと落下したそれを拾い上げ、ムオンは無言でその結末を受け止めた。


 その胸に去来するのは果たして如何なる感情か。茫洋とした視線からは全くもって読み取れない。ただ、灰に近い衣服が強く握り締められぼろぼろと崩れ落ちていた。


 英雄達もまた、それぞれの反応を見せ、嘆きを上げていたが、それ以上にその場に響く叫びがあった。


「あ、あああ、嗚呼嗚呼嗚呼アアアあッ!!ジュエ……ジュエええええッ!!」


 一体どれほどの間柄だったのか。そも、魔の間に親愛なる感情が存在するのか。あるいは人にあらざる者故の特異な機微なのか。それにしては余りにも───ストウナの見せる狂態は、人が悲しみの果てに見せるそれに酷似していた。


「ああ、嗚呼アア、テメェら……テメェら必ず殺してやる、殺してやんぞ……いいや、いいやッ!テメェらだけじゃねえ!皆殺しだァッ!ヴァルシュナ平原であらゆる人間を殺しつくしてやるッッ!!」


 そして、続く反応もまたそうであった。憎しみに埋め尽くされた感情の爆発。しかしそうであっても、魔を束ねる一人である。現状は多勢に無勢。引き際は間違えない。無謀は試みない。


「がああああああああッ!!」


 唸りを上げて魔力を解き放つ。翼をはためかせ、その身を空に持ち上げると、突風が城門内に吹き荒れた。


 悲しみに揺れる嗚咽は青き疾風となって遠ざかっていく。

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