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刻まれるは生きた証 ②異質な魔術

術式拡張起動エンハンスドブート……」


 それは異様な魔術だった。否、果たして魔術と呼んでいいものなのか。渦巻く魔力は魔術言語マギウスワードを象るに留まり、本来発動するはずの物理現象が何一つ起こらない。


「させぬ!」


 赤き魔は今度こそ魔術を放った。

 蛇のように連なる炎がうねりながらガーデンツへと迫る。


 先程の大魔術と同じく、詠唱破棄だ。すなわち、言葉という音を媒介にせず、直接魔力を魔術言語マギウスワードへと通し印として鳴動させ、さらに通常の数倍の魔力をもって物理現象への反映を加速させるという荒業である。


 さしものムオンもこの速度には対応できなかった。先程は大魔術であるからこそ抗し得たが、今度は中級魔術である《炎蛇縛咬ファグラジェイア》だ。もともと短い詠唱を超短縮化されたのだから、対応出来る存在は人を超えた魔物でもそうはいまい。


 しかし、大魔術ほどの絶望があるわけでもない。発動したならしたで、対応すれば良いだけの事。


 ───付与・水遁すいとん


 ムオンの両足に青い波動がまとわりついた瞬間、即座にそれは円形の軌道を描く。蹴り足がコマのように回転した後には青い円水膜が描かれていた。


「術も使うか!しかしその程度の薄膜では……ッ!?」


 赤き魔が口を挟む余地もなかった。続いて突き出された足に倣って水の円が炎蛇に向かって突撃する。


 二つがぶつかった途端、水蒸気が音を立てて吹き上がる。だが、それだけだ。薄い膜はほんの少し炎蛇の勢いを緩めただけで、障子紙のようにあっけなく突き破られ、あまり意味は成さなかった。


 それでもムオンにとっては計算づくのことだった。ぼう、と水蒸気が舞い上がった次の瞬間には、炎蛇の目前に迫っている。


 ───水刃すいじん


 蹴り抜く。水の波動をまとったそれは、炎蛇の口腔を縦割りに引き裂いた。その余波は飛沫を上げて水の刃となり、白い煙を上げながら長く伸びた炎の体躯を割断していく。勢いに勝った水刃は必然、炎蛇のやってきた軌道をなぞる。


「むうっ」


 赤き魔は己の太い両腕を前に掲げると、避けるでもなくその水の刃を受けきった。恐ろしいことに、やはり傷はついていない。先刻宣言した通りであった。


 それも当然と、ムオンは慌てることなく眼前の白いもやを見やる。


 炎と水。ぶつかった側から相殺された結果、気付けば水蒸気が向かい合う両者の視界を奪っていた。その瞬間を見逃すムオンではない。赤き魔の視界からその姿が霞み───


「もう一度」


 赤き魔が再びムオンの姿を捉え、その呟きを耳にしたのは至近であった。青の刃が再び空気を裂いて赤の肉へと迫る。


「無駄ッ!」


 気勢と共に振るわれた丸太のような腕が水の刃を一瞬で散らした。それだけに留まらず、刃の発生元、即ちムオンの体へと向かっていく。


 が、ムオンは不可思議な体術でその一撃を避ける。柳のようにゆらりと揺れた体が一瞬の残像を浮かべ、そこを赤い拳が貫くと、衝撃だけで鈍い音が鳴り響いた。


「やはり硬いか」


 ───ならば、鍛えようの無い箇所をいただく。


 回避と同時、ムオンは屈んだ体勢から再び蹴りを放っていた。今度の狙いは足元。蛇の胴体へ向けての払うような一撃だった。


「愚かなッ!」


 赤き魔も同じように蛇の尾で払おうとその身を捻った。凄まじい力で地面ごと削られていく。足と尾。ぶつかれば間違いなくただの人間の方が砕ける。


 しかしそうはならなかった。ムオンは軸足となっていた片足でその身を跳ね上げたのだ。飛ぶには余りにも不自然な体勢だったにも関わらず、それを成してしまう。一体どれほどの修練を積んだのか。常識外れの脚力を受けた地面は深く陥没していた。


 そして空中。驚愕の表情を浮かべる赤き魔の眼前につま先が迫る。


 ムオンの狙いは初めから赤き魔の両眼だった。


 確かに頑強を誇る赤き魔と言えど、その部位に刃が突き立てられればただでは済まないだろう。唯一の弱点とも言える。しかし、そこを狙い打つには部位が余りにも小さすぎた。


 赤き魔が少々顔を俯けただけで狙いはずれ、代わりに額に生えた凶悪な一本角がつま先の行く末となった。このままでは痛手を被るのはムオンの方である。


 ───やはりそうなるか。


 ムオンは小さく舌打ちしながら、角へと向かう足をもう片方の足で蹴り上げる。無理やりに軌道を逸らされた足はそのまま上方へ向かい、その勢いでムオンの体は後方へと回転する。とても常識的には考えられない無茶苦茶な空中制動である。


 その時、赤き魔の双眸が逆さまになったムオンの背中を捉えた。全くの無防備、絶好の機会。だが、この僅か数瞬に対応できる速度を赤き魔は持ち得ない。苦し紛れに放った拳は空気を殴ることしかできず、ムオンはそのまま後方の地面へと回転しながら着地した。


「ちょこまかと!」


 赤き魔の豪腕が苛立つ感情そのままに空気を突き破って放たれる。しかし、ムオンはすぐさまこれを回避した。先程と違って空中ではなく自由の利く地面。速度に勝る彼には容易なことではあったが、肝が冷えたには違いない。赤き魔の拳はムオンに避けられはしたものの、容赦なく地面にその力を発揮し、石畳を爆砕したのだ。


 跳ね上げられた土砂と石畳の破片が降りしきる中、赤き魔が続けざま拳を放つ。ムオンは動きを止めず、時折反撃を交えつつもさらに回避を重ねていく。その度に爆音が轟いた。


 ───速度はこちらが上。が、この攻撃力。


 一所ひとところ触れれば死ぬ。

 ムオンの攻撃はかすり傷程度も与えることができず、相手の攻撃は当たらない。となれば、回避に徹するしかないムオンにとって、体力の限界がそのまま命のリミットだ。長引けば長引くほど不利となる。


 もしも、一人で戦っていたのならば。


「《同期接続シンクコネクト》……」


 背後ではガーデンツが異様な魔術を練り続けている。

 ムオンの体力が尽きるのが先か、ガーデンツの魔術が赤き魔を滅ぼすのが先か。攻撃を回避し続け、時間を引き延ばすとはつまり、そういう事だった。


「まだか」


「貴様に構っている暇は……ッ!」


 焦りを抱えているのは赤き魔とて同じだ。異様な術式から溢れ出す気配は、余りにも得体が知れない。何かしら手を打たなければと考えはするが、しかしだからといって目前の男を無視することもできない。

 なにせ、少しでも隙を見せればそれこそ急所を抉り取られかねないのだ。そうなればおそらく、ガーデンツの魔術は確実に避けられまい。


 ───早く、早く、一撃を。当てさえすれば打ち砕ける。


 どちらにも共通する未来への認識は現実と重ならない。

 二対一。やはり優位性は数に勝る方にあった。


「《転換魔チェンジリンク》ッ!」


 猛る叫びが木霊する。

 ガーデンツによって構築された術式に莫大な魔力が通る。まるで大魔術級のうねりが周囲の空気を波打たせた。


「ムオン君、()()()()()()()()!」


「承知」


 言葉短く受け答えた直後だった。茫洋と充満していた魔力が一点に収束する。


「《原点圧縮ジオアトミュレード》ッッ!!」


 小さな小さな光の玉がガーデンツの手元から射出された。しかれど、その勢いは凡庸。注すれば決してかわせぬ速度ではない。


 が、それを許さぬ男が一人、射線上に現れる。同時、再び赤き魔の眼球へと刃にも似た蹴撃が迫る。愚かにも先程と同様の結末と相成るはずだったそれは、角が目前に来るなり、異常な速度で後退した。先程よりも早く、より速く。まるで跳ね飛ぶかのように閃いた。


 瞬間、赤き魔の双眸に映ったのは至近へと迫る光の玉だった。


 ───やられた。


 急所への一撃を見事に囮として使われた。危険視すべき光玉もその背に隠れて見失った。


 もはやかわせぬ距離と知り、咆哮が魔力を伴って迸る。途端に展開された障壁が光の玉の行く手を遮り───


 炸裂した。


 収束、収縮、収斂しゅうれん

 一旦弾け飛んだかに見えた光の粒子たちが炸裂した一点へと向かい集中する。

 その流れは、赤き魔の体すら巻き込んでいく。


「ぐッがッ!!」


 圧迫。圧縮。圧殺。

 鍛えられた肉が軋むほどに吸い寄せられていく。障壁など意味を成さない。全てが一点へと収束していく。


 ───なんだこれは、なんだこれは、なんだこれはッ!!


 混乱する脳髄では現状への認識、解析が進んでいく。引きずられ、押しつぶされるような感覚を与えてくるこの魔術の正体は風魔術に近い。が、明確に異なる。肉を裂くような真空も起こらず、風の流れすら感じ取れず、ただただ単純に空中の一点へ引きつけられる。圧縮される。


 赤き魔の肉体が浮いた。蛇の尾ごと持ち上げられた。不自然に、跳ね飛んだでもなく酷くゆっくりと、中心へと向かって進むことを義務付けられたかのように。


 皮が、肉が、骨が、存在が潰される。


力場魔術フォーススペル───ッ!?」


 かろうじて震わせた喉から驚嘆の声が漏れ出ていた。


 力場───即ち引き合う力である引力、押し合い反発する力である斥力を意味する。概念は既に確立されていたものの、それを魔術で操ることはほぼ不可能とされていた。


 なにしろ、火、水、風、土、光、闇───エレメントと呼ばれる属性を介して操ることが出来ない無属性に区別されている術である。さらに、属性を介さないとは属性元素の先の構成要素を操ることに通ずるのだ。大魔術を超える魔術。更に推し進めれば、至る先は究極の───


 ありえない。

 赤き魔の脳裏で否定の文字が躍る。


 力場魔術フォーススペルの術式制御は微細、緻密の極地に当たり、加えて莫大な魔力、それこそ大魔術を何百、何千発も撃てるほどの量が必要になると言われている。理論的には可能だが成せるはずが無いというのが魔術師達の常識だった。無論、赤き魔にとっても。


 オリヅア・D・ガーデンツという魔術師はそれほどの魔力量を持つと言うのか。

 信じられぬ。到底信じられぬ。


 しかし、事実として体感している。既に最も細い指先の肉は骨ごと潰され、額の角は見る影も無い。胸や肩の筋肉も陥没を始めていた。

 恐ろしいほどの圧殺に必死に耐えながら、目を剥いてガーデンツを睥睨する。


「負け、られ、ぬ……!」


「くっ……!」


 対するガーデンツは額に玉のような汗を浮かべながら術式制御を行っていた。

 未だ術式は不完全。理論上、本来なら一瞬で力場は凄まじい重圧を発するはずだが、そこまで持っていくことはできなかった。収縮する力を徐々に強める術式へと常時魔力を送り込む必要があり、それを維持し続ければ凄まじい勢いで残存魔力が消費されていく。


 ある意味、賭けではあった。

 しかし、どうにか勝ち筋は見出せた。赤き魔の肉体がひしゃげていく速度と残存魔力の割合から見て、このままいけば魔力が尽きる前に赤き魔を滅ぼせる。


 ───と、その時だった。風が舞って、一つの影が地面に落ちた。

 浮かぶ赤のさらに上、異質な空気が渦巻いて、ばさりと羽ばたきが響く。


「おっと待ちな!こいつが見えるかあ!?」


 突如割って入った声を聞き、すかさずムオンがガーデンツの前に位置取り、上空を見上げて構えを取る。そして舌打ちした。


「今すぐ術を解除しろ!でなけりゃこのガキの命はねえぞッ!」


 そこには新たな魔が現れ、よりにもよって人間の子供を抱え込んで浮かんでいた。

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