刻まれるは生きた証 ①門前の急襲
ヴァルシュナ戦役―――
史上、もっとも過酷でもっとも強大といわれた人と魔の戦い。
大国ミッドガーズはその戦いに備え、広く力を求めた。
その中に、以後英雄として名をはせる四人の姿があった。
彼らの活躍は誰もが知るところである。
後世でも詩人が謳い上げ、伝え続ける魔王討伐の英雄譚。
しかし、ここに語られるは英雄の影に隠れ、戦場を駆け抜けた一人の男の話。
時はアメリア暦一二〇二年。
ヴァルシュナ戦役を目前に控えたミッドガーズにて始まる。
◆
ミッドガーズは騒然とした雰囲気に包まれていた。
街中は戦争への高揚を見せる者、不安を隠しきれない者、近しい人の安否を気遣い祈る者―――そういった人々で溢れている。もっとも、戒厳令が敷かれてあまり屋外に人がいるわけではなかったが。いや、だからこそ余計にそういった人々が目に付く。
そんな中を一人の男が腕を妙にだらりと脱力させて歩いていた。比較的短くそろえてある頭髪の中で、唯一長い前髪が視線を隠してその表情はようとして知れないが、見える箇所には無数の傷が走り、それは彼が激しい戦いの中に身をおいてきた結果と考えるに他ならない。
さらには石畳の上を歩いているというのにほとんど足音を立てておらず、その不自然さが不気味さをより一層際立てており、妙な威圧感さえ振りまいていた。
住民の一人が彼を見て、いよいよ物騒になってきたなと呟いていた。その声は彼にも届いていたはずだが、それについては何の反応も示さず、ただ歩みを進める。
彼の目指す先にはミッドガーズ城があった。
城と町とを隔てる城壁前につくと、彼の持つその物々しげな雰囲気のせいか、さっそく二人の警備兵に詰め寄られた。
「貴様、傭兵志願か?」
尋ねたのは二人のうち、いかにも真面目そうな方だった。男は軽くうなずき、言葉を返す。
「傭兵を集めていると聞いた。私も力になりたいのだが」
「ならば身分を証明するものを提示しろ」
「根無し草の私にそんなものはない」
「ふん、なら帰る事だな」
真面目そうな兵士はぶっきらぼうにそう言った。すると、もう一人の警備兵がフォローを入れるように理由を説明してくる。
「すまねえけどな、ルヴォルクとの戦いで慎重になってんだ。人に化けた魔物のスパイが紛れ込んだら大変だから不用意に城に入れるわけにもいかねえのよ。戦力は欲しいんだがなあ」
「ならば仕方がない」
そう言って男は簡単に引き下がった。城に背を向けて歩き出そうとする。
しかし、二、三歩足を進めたところで、思い出したように振り向く。
「ひとつ聞きたい」
「おう、なんだ?」
「ここにオリヅア・D・ガーデンツがいると聞いたんだが、間違いないか?」
「ああ、なんだ、あんたあの人の知り合いか?あの人なら――」
警備兵が言いかけたそのとき、突然城内の方向から轟音がひびいてきた。音は一度では鳴り止まず、連続してドン、ドン、と鳴り続ける。
「な、なんだ!?」
「魔物だ!魔物が現れたぞ!空から降ってきやがった!」
誰かの叫び声が聞こえてくる。途端に周囲が騒がしくなり、音のした方向、城壁内部へと兵士達が駆けていく。
―――好都合だ。
男は警備兵の注意がそれた瞬間に地を蹴った。警備兵達が振り返ったときには男の姿は既に無く、一瞬で掻き消えたようにしか見えなかっただろう。
あっけにとられる警備兵を背にして男は駆け抜ける。
城壁門を抜けたすぐそこでは、兵士達が人だかりを作っていた。そのさらに先には数匹の魔物の姿が見える。城内に魔物の侵入を許すとは、ミッドガーズもそう長くはないかもしれない。
その魔物、どうやら潜伏あるいは潜入に向いたシャドウリザードという種族のようだ。人型の蜥蜴を思わせる容貌をしており、その体表を覆う鱗は周囲の景色と同化する保護色の機能がある。今は城壁の灰色に同化して視認しづらいが、戦闘状態に入ったせいか縦長の瞳孔を持つ金色の眼球が爛々と輝いていて、そこばかりが異様に目立っていた。
それら十数体を統率している魔物は下半身が蛇となっている魔物だった。上半身は人型を象っており、その赤く染まる鍛えられた肉体からはとてつもない威圧感が溢れ出している。そこらにいる魔物とは一線を画すユニークな固体、おそらく高位の者だろう。
知能も高いのか、額に生えた一本角から灯火を燃え上がらせながらシャドウリザードに指示を飛ばしている。横長の隊列を組んだ人型トカゲ達が中門と外門を区切る壁を作り上げると、赤い人型蛇は数匹の供を引き連れて、ローブをまとった魔術師然とした中年男性───先程男が名を口にしたオリヅア・D・ガーデンツその人と睨み合いを始めた。
駆けつけた兵士達は既に応戦していたが、中門前は狭く、行く手をさえぎる魔物達が邪魔でガーデンツの方へ援護に回ることができないようだった。音に聞こえたガーデンツとはいえ、高位の魔物その他と多勢に無勢。見るからに状況は劣勢だった。
―――魔物が邪魔だな、蹴散らすか。
状況把握は一瞬で。行動選択は即断で。男は強く地を蹴り、兵士達の頭の上を越えて一番近くにいたシャドウリザードへと飛び掛った。
骨の砕ける音が響く。男が繰り出した蹴りはシャドウリザードの首を捉え、その首はありえない方向へと曲がっていた。強靭な灰色うろこの防護能力も全く意味を成さなかった。爬虫類特有の縦長の瞳孔が色を失う。
次いで、命を散らした一体が倒れきる前に別の固体の背後へと滑り込む。シャドウリザードが振り返るよりも速くその頭部を踏み抜き、男はその反動を利用して空中へ飛び上がった。そのまま行く手をさえぎる数匹の魔物の頭上を飛び超え、ガーデンツに襲い掛かろうとしていたシャドウリザードへと、縦回転しながらかかと落しを叩き込んだ。
ガーデンツのもとへ辿り着くまでに三撃。どれも急所である頭部を一撃で粉砕し、数匹の魔物達が男に正対したときには攻撃を受けた魔物全てが事切れていた。ガーデンツにはその一連の動作が疾風のように見えたかもしれない。
「君は……」
問いかけたガーデンツに背を向け、男は魔物に凄まじい殺気を放った。幾多の戦場を潜り抜けたガーデンツですら思わず閉口してしまう程の威嚇だった。
「何奴だ」
脅威。
蛇の下半身を持つ赤い魔物はそう判断したが、突然割って入った男に見覚えはない。今までに見聞きした人類強者のどれにも該当しない。いぶかしげに男へと視線を向けるが、男は無言をもって答えとした。
「……答えぬとも、誰が相手だろうとも、我はただ殺しつくすのみ」
赤き魔は弱き人間種であろうと油断はしない。強者の顔と名、技と癖、強みと弱みを記憶しておくのもその油断を防ぐための一つの手段だ。情報という武器が意味を成さないのならば尚の事、鍛え上げられた肉体を弓引くが如く引き絞る。
大きくそり返った体、その口元に赤き閃光が集まっていく。肌から伝わる莫大な魔力量に、ガーデンツは思わず声を荒げた。
「この場全てを吹き飛ばす気か!?」
魔力とは即ち、人の内なる力を持ってして、世の摂理に手を加え、超常現象を起こすための原動力。
魔術とは即ち、魔力によって人為的に引き起こされる超常現象そのもの。
赤き魔が行おうとしているものが、その中でも格別に影響が高いものであることは一目瞭然であった。大魔術としか言いようがない。ほんの少し時間がたてば、城が崩れかねないほどの破壊の嵐が吹き荒れるだろう。
―――正体、実力、共に不明の敵に全力の一撃。なるほど、理にかなっている。
もっとも、それは相手が男でなければ、の話だ。反り返った赤い体がしなると同時、魔物が突き出した顔下から衝撃が突き抜ける。
男の足が無防備になった顎を蹴り上げていたのだ。赤い閃光は無残に散り、行き場を失って暴走する魔力が赤き魔物の口内で暴れ狂う。結果、爆発。赤い体がぐらりと揺らぐ。男は爆発よりも早く飛び退っており、再びガーデンツの目と鼻の先にその背が現れた。
「速い……!」
構築しかけていた防護魔術を別のものに書き換えながら、ガーデンツは驚嘆の声を漏らした。
魔術というものは、精神を集中し術式を構築するための時間と、その術式を世界に反映するための詠唱を必要とする。ゆえに、魔術使いと相対した場合に有効な戦略とは速攻だ。男の行動はその基本対応策に則ったものであったが、それを当然と言うにはあまりに乱暴すぎた。
なにしろ、赤き魔は本来必要な精神集中、術式構築をほんの僅かな時間で成し遂げ、さらには詠唱破棄を重ねるという尋常ならざる技術を見せつけたのだ。それも大魔術と呼ばれる程の高威力のもので、だ。
しかし、男はさらにその上をいく速度の体術を駆使してそれを阻止した。他にどれだけの人間が同じことを成せるのか。ガーデンツはその強さに一種の恐れさえ抱いていたが、現状では心強い味方であることに違いはない。自身の力を加算すれば、強大な赤き魔も滅ぼしうる、と判断した。
そう、未だ赤き魔は滅びを受け付けていない。されど、痛手は確かに負ったのだろう。苦渋を味わっているのか、爆煙の中から獣の如き唸り声が響いている。
男とガーデンツは油断せず反撃を警戒していたが、赤い体は煙の奥に隠れ、魔力のうねりも見られない。
続けざまに連撃を叩き込む好機ではあるが、視界を奪う煙の中に飛び込むのはリスクが大きい。魔術による遠隔攻撃であっても同様、煙が立ちこむ中では狙いを定められず、魔物の背後にいるはずの兵士達を巻き込みかねない。
自然、場は一時の膠着状態に陥った。
その合間を利用して、男は背を向けたままガーデンツに問う。
「オリヅア・D・ガーデンツ殿で相違ないか?」
「ああ、そうだ」
「折り入って頼みがある」
「今は立て込んでいる。話は後で聞こう」
「うむ」
言葉少なに二人が会話している間にも、徐々に煙は晴れていく。長話をする時間はない。今のうちに煙中で唸りを上げる脅威への対策を練っておく必要がある。
「煙が晴れたら私がトカゲ共を倒す。君はあの赤い魔物をひきつけてくれるか」
「承知した」
ガーデンツはかなりの無茶を言ったつもりだったのだが、男があまりにも簡単に頷いたので拍子抜けしてしまった。あるいはできて当前と男が考えているということか。それとも短時間で練れる策などこの程度と諦めているだけなのか。目前の背中を見ながらガーデンツはいや、とかぶりを振った。
どちらにせよ、男にやって貰わなければ死が待っているだけだ。彼としても、ここは男を信じるしかない。
「最後に一つだけ。名を聞かせてくれないか?」
「ムオン」
「ならばムオン君、あちらは任せたぞ!」
魔物の姿が視認できるようになった瞬間、ムオンの姿が掻き消え、赤い魔物に肉薄していた。それを確認すると、ガーデンツはすぐさま練り上げていた術を魔術言語に乗せて解放した。
『彼の者を青き流れの中に沈めよ!《水撃》!』
初手は初級攻撃魔術。初級とはいえ、多重発動。突き出した手のひらから水流が幾重にも分かれて放たれる。狙いは宣言通り赤い魔の背後に控えるトカゲ達だ。凄まじい勢いで迫る水流は石の様に硬化して、灰色鱗をしたたかに打ち付け、水飛沫が舞う。
『轟く天の白光、《電光一閃》!』
続く魔術は中級。突き出した手を横向きに振り抜くと同時、稲光が横列を組んだトカゲ達全てをなぞる様に一直線に走る。濡れた鱗が電撃で焼き焦がれた。
『穿て、《地槍乱舞》!』
重ねて中級魔術。振り上げた拳の動きと連動して、トカゲ共の足元から鋭利な石槍が花畑を成すかのように咲き誇る。焼き焦がされた鱗は炭化して防御能力を既に失っており、ろくな抵抗も見せること叶わず、十数個の針山ができあがっていた。甲高い断末魔があたりに響き、それを背にした赤き魔が感嘆する。
「これがかの連続魔か。まるで詠唱遅延が無い。なるほど、恐るべき技術だ」
「……確かに」
相槌を打ったムオンが赤き魔の腹部を蹴りつける。凄まじい速度の前に赤き魔は反応すら出来なかった。体ごと吹き飛ばされ、蛇の胴体がずざざと地面を削っていく。
しかしそれまで。恐るべきことに、シャドウリザードの首を難なく圧し折った威力の蹴りですら、赤き魔にはそれほどダメージを与えることができていなかった。蛇の尾を地面に打ち付けて吹き飛ぶ勢いを殺し、安定姿勢を取り戻すと口元を緩めて笑う。
「くくく、さすがはオリヅアか。雑兵とはいえこやつらを一瞬で蹴散らすとは」
「残るはお前一人だ。今なら見逃すぞ」
「笑止。元より彼奴らは肉壁でしかない。この身があれば全て事足りる」
赤き魔は爆発のダメージからもほとんど回復しているようだった。そもそもがそれ程の傷を負っていなかったのか、その表情には余裕すら感じられる。
されど、事実として状況は一変した。二対一。二のひとつは既に一を圧倒するほどの力を見せている。優位に立つのは紛れもなく人間二人だ。
「強がるなよ。彼と私の二人を相手に勝てると思うのか」
「勝てるとも。貴様らには不足しているのだ。圧倒的に火力がな。中級魔術程度では我が肉体を傷つけることも叶わぬ」
ならば大魔術を使えば良いところだが、この状況下ではそうもいかない。赤き魔が大魔術を放とうとした時ガーデンツは狼狽したが、例え自らが大魔術を放つとなっても同じことだ。威力の高い魔術は往々にしてそのまま範囲も拡大する。考え無しに放っては周囲の被害が甚大なものになる。ここは王城なのだ。万が一の事もあってはならない。
シャドウリザードの体を串刺しにして肉の壁としたのは、相手の戦力を削ると共に、いくらか魔術戦闘の余波による事故を減らすためでもあった。ガーデンツ唯一の誤算は赤き魔にとってその算段が大した問題ではなく、むしろ望む通りの形に近かった事だ。
「そこな男がいかに速かろうと、武器の一つも無ければ我の肉体には傷一つつけられぬと見た。認めろ、震えろ、おののけ、貴様達は決して我に勝てぬことを思い知れ!」
哄笑する赤き魔をムオンは冷徹な視線で射抜きつつ、策を巡らす。
まだ全ては見せていないが、見せたところで簡単に倒せる保証もない。下手に手を晒し、赤き魔の肉体に傷でもつければ、せっかくの侮りから来る油断が台無しになる。やるのなら無理だと高をくくっている今、息つく暇も与えず一気に、だ。自分にそれだけの高威力技は無いが、ガーデンツの方はどうか。一般的に魔術は剣技や体術よりも高威力だ。
「奴の言う通り、数発入れたが全くもって効いていない様子。正直我が手に余る。ガーデンツ殿。奴を倒しうる魔術はあるか?」
「ある。が、ここで大魔術を使えば二次災害が出かねんよ」
「だからと言って一次災害を見逃すわけにも行くまい」
「そうだな……一つ試してみたい事がある。もう少し時間を稼げるかね?」
「何をするつもりだ」
「私の得意分野。その延長線上の技術だよ」
オリヅア・D・ガーデンツのもっとも得意とする所は、先で見せたような魔術の連続詠唱である。
連続魔と呼ばれるその技術は、一つ目の魔術詠唱の途中から二つ目の魔術詠唱を混ぜ込み、さらに二つ目の中に三つ目を、三つ目の中に四つ目を、と傍目から見れば詠唱を超短縮化したかのような高速発動を可能とするものである。また、場合によっては一つ目の中に三つ目を含める場合もある。
これだけであれば比較的簡単なことのように思われることも多いが、実際は術式の構築においても、前の術式の一部を残す形で次弾魔術の詠唱短縮を図っており、一朝一夕で成せるものではない。難易度は単純に大魔術を習得するよりも相当に高いとされる。
しかし、これを極めてしまえば詠唱破棄に比べ負担が少ないどころか、前身魔術の術式を再利用する形となるため、単発魔術の通常行使よりも消費魔力量が減るのだ。また繋ぎようによっては大魔術をもほぼノータイムで連続発動できる驚嘆すべき技術であった。
現時点で完璧に使用できる人間は開発者であるガーデンツのみであり、そのことから彼は世界で三指に入る大魔術師の一人として名を連ねていた。ムオンが彼に会おうとしていたのもその腕前を見込んでの事である。
そんな男が試してみたいという内容。果たしてどんな魔術が飛び出すのか。ムオンには想像もつかないが、賭けてみる価値は十分にある。