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第漆話 巫女と異界とエレベーターと

 和装で町民の注目を集め、買い物帰りに血塗れの少年を拾い、夕方と夜の二回にわたって口裂け女と戦い、夜の街で祓い屋少女と命がけのかくれんぼをした怒涛の土曜日から一日が経過した。

 月曜日、である。

「……朝か」

 はめなおした窓ガラスより差し込んだ陽光に目を細めながら、はベッドから上体を起こした。

 両腕を伸ばして思いっきり伸びをすれば、背中からぽきぽきと小気味のいい音が鳴る。

「……学校、二週間目ね」

 そう呟き、なんとはなしに傍の窓を開けた。どこか朝露の香りがする、そんな涼しい風が部屋の中へとなだれ込んでくる。枕元の時計を見れば、その時針は午前5時きっかりを指していた。どこの爺ちゃんだよ、というツッコミは受け付けない。

 そうして、道路そばの電線にとまり、チュンチュンと鳴いている小鳥を一瞥してから、僕はゆっくりとした動作で洗面所へと向かった。


     ◇ ◆ ◇


 結局、例の祓い屋とはあの土曜日の夜に顔を合わせて以降、一度も遭遇することはなかった。

 あの夜、あたかも逃走したかのように見せかけてその場にとどまっていると、案の定、あの少女は煙が晴れた後、擬態している僕には目もくれず、いない僕を追って夜の街へと繰り出していった。予定通り、僕は彼女の気配が随分と遠ざかってから擬態を解いて悠々と帰宅したのだが――いやはや、まさか本当にこんな地味で単純な作戦に引っかかるとは。……まあ、妖怪や神すらも騙しぬいた実績を持つ僕の幻惑呪法を前にして、あんな小娘に見切って見せろ、と言う方が酷か。

 なにしろ平安で晴明に攻撃系の術式を教わるまでの1500年余りの間、僕はずっとこの呪法と我流剣術だけで生きながらえてきたのだから。磨き上げてきた時間が違う。

「……さて」

 朝食に使った食器を洗い終えると、丁度時刻は午前7時を回っていた。

 5時に起きた後、1時間かけて剣の鍛錬をし、その後簡単に符や刀の手入れや学校の準備をして、朝食。これが、現代に戻ってから続く現在の僕の朝のスケジュールである。

 平穏平凡な学生生活を求めるのだから、今までのように常に帯刀するようなことはしない。しないが、長い年月を通して最早習慣となっているこの朝の流れだけは、なかなかどうして簡単に変更などできない。まあ、もしものときになにかあったら嫌だし、みたいな軽いノリで、僕は現代帰還後も剣の鍛錬を続けている。

 ――というより、そもそも帯刀なんかしていたら、すぐに警察に通報されてしまう。

 実は土曜日のようなことがいつ起こるか分からないので、今後は可能な限り刀や符を持ち歩きたい気持ちもあるのだが――しかし、僕は色々な意味で裏の世界に浸かってしまってはいるが、まだまだ前科者にはなりたくない。

「……ま、別に見つからなければいいんだよね」

 学生服に着替えると、僕はそう呟いて壁に立てかけておいた刀を手に取った。

 全体的に古ぼけた印象を与える直刀だ――まあ、実際にとてつもなく古い刀である。黒塗りの鞘に同色の柄。鞘から抜き去れば、どこか神秘的な銀色の輝きを纏う、片刃のつるぎが現れる。銘はたしか「絆」だった。これは、遥か太古の時代に世話となった、当時天才鍛冶師と名高かった友人が自ら打った刀で、銘は僕がやがて元の時代に戻れても、自分たちとの絆を忘れないでいてほしい、とか、そんな意味だった気がする。彼は「自分の生涯で最高の出来だ」とか言ってこの刀を完成させた後、しばらくもしないうちに老衰で死んだと覚えている。思えばこれはただの武器ではなく、彼と僕の友情が詰まった、思い出の品でもあった。

「……懐かしいことを思い出したな」

 そういえば、あの時代はまだ、刀は今のように反り返った形ではなかった。両刃の直剣が主流だったと思う。日本神話に出てくる草薙の剣なんかも、たしか直剣であったし、うん、たしかそうだった。

 思い出せば、この刀が今の日本刀と同じように片刃なのは、当時の僕が彼にそう頼んだのだ。おそらく、人を殺めたくなくて、峰打ちが実現できるようにそう言ったのだと思う。

 ……まあ、今はそんな裏話はどうでもいいか。

 僕は手に持ったその古代刀を再び鞘に戻すと、そばの机から幾枚かの札をとってきて、それを鞘や柄に貼りつけた。

 ――よし。

 僕は静かに息を吸うと、静かに瞼を下ろした。

「――安倍流陰陽術・封印系第三級術式――」

 静かに、淡々と唱える。

「――“眠れ”。――」

 刀に貼った札へと指を添える。

「――《封》」

 瞬間、部屋を眩いばかりの光が満たした。そして光が収まり、僕が瞼を上げたとき――僕の手には、札に包まれたミニチュアサイズに縮んだ刀が、ちょこんと静かに載っていた。

「……成功、か」

 息を吐く。

 小さくなっても重さは変わらないんだな、と思いながら、その刀を幾枚かの符と一緒に学生鞄の中に突っ込んだ。

 このサイズなら、別に通報される心配もないだろう。

 僕は満足げにそう呟くと、普段より明らかに重くなった学生鞄を提げて部屋を出て行った。

「……さあ、今日も今日とて、平凡な一高校生を始めますかね」


     ◇ ◆ ◇


 ――ここ・・に来てしまってから、一体、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 潜んでいる場所からちらりと、赤黒く染まった空――らしきものを見上げて、少年は一人、言い知れぬ焦燥感に駆られた。胸を押さえ、できる限り音を出さぬように細心の注意を払いながら、乱れた呼吸を整える。瞼を閉じてみるが、開いたときに広がっているのは、先程までと変わらぬ、薄暗い不気味な世界。

 そもそも、今は昼なのだろうか。夜なのだろうか。

 ――わからない。

 ……は――今、どうなんだろう。

 少年は一人、そこでうずくまる。

 ――わからない。

 ――なにも、わからない。

 そもそも、これは一体なにが起こっているのだろうか。

 そもそも、なぜ自分は、こんな目に遭っているのだろうか。

 そもそも、――自分の他に・・・・・一体何人生・・・・・き残れている・・・・・・のだろうか。

「…………うう」

 ――なんでこんな目に。

 帰りたい。

 家に、帰りたい。

「……帰り、たい、よ……」

 まだ十年と少ししか生きていない少年は、つい、小さな泣き言を漏らしてしまう。

 ――そして。

 びくり、と。

 少年は気づいた。

 先程までなかった。

 ――自分の上に・・・・・大きな影が落ちている・・・・・・・・・・

 つまり。

 ――うしろに・・・・なにかいる・・・・・

「…………ぃッ」

 小さく、声を漏らす。

「…………あ、あぁ……」

 声が、震える。目に涙がたまる。

 ――とうとう

「……ぉ、おと……さん……おか、ぁ……さん……」

 ――とうとう、自分の番が来たのか・・・・・・・・・

 少年は、後ろを振り返ることなく、ただ震えながら呟いた。

「…………た、たすけ……て……」

 それが少年の最期の声で。

 次の瞬間。

 生々しいまでに美しい、が舞った。


     ◇ ◆ ◇


「――異世界よッ」

 僕が大浜市立第三高校の自分のクラス――二年三組の教室に入ろうと引き戸を開けると、すぐ目の前にショートヘアに綺麗な顔立ちをした少女が仁王立ちしていて、彼女――神谷葵かみやあおいは、開口一番にそうのたまった。

「……は?」

 僕が呆けた声を出すと、葵はさも愉快そうにその整った顔をゆがませた。

「だから、異世界よ。異世界」

「いやいや。そんな、当たり前のことを言ってるけど? 的な顔されても困る」

 神谷葵。

 僕のクラスメイトで、同時に中学時代からの友人である。何を隠そう、先週ずっと欠席していたという「いつもつるんでいるメンバー」の一人とは、この葵のことである。

 忘れてる人のためにあえて言うと、僕に、慧、そしてチビタにこの葵を入れた四人が、「僕がいつも高校でつるんでいるメンバー」の構成員となる。

「そもそも、一週間ぶりに会った友人に対する第一声が『異世界よッ』てのは、どうなんだろうね?」

「さあ。普通じゃないの?」

 普通じゃないんですよ。

 葵の切り返しに心の中でそう答えながら、僕は頭を抱えたくなった。

「そういえば葵、先週はどうしたんだい? たしか家庭事情だかで欠席してたけど……」

「ああ。それ?」

 葵はそこで、その大変失礼だがたいして育っていない胸をのけぞらせると、大仰に、一言放った。

「修行してたわッ」

「…………へえ」

 あ、あら、そう。

 そう小さく返すと、僕は未だに胸を張っている葵の横をすり抜けて、自分の席へと向かった。

「ちょ、ちょっとッ。なんで逃げんのよッ」

 そしてその後ろを慌てて葵が追いかけてくる。

 僕は席に学生鞄を下ろすと、そばの机で談笑していた慧とチビタに声をかけた。

「おはよう」

「おう、おはよう」

「おっはー、健」

 ちなみに上から僕、慧、チビタである。

「ちょっと、健ッ。ちゃんと私の話を聞きなさいよッ」

 追いついた葵が僕にかみついてくるが、僕はそれを手で制しながら、「冗談だよ、冗談」と言った。

「もちろん、聞いてるよ。修行って、あれだろ? どうせ巫女のだろ?」

 僕の問いに、葵は「もちろん」と頷いた。

 ――巫女。

 そう。この友人、神谷葵は、実は大浜神社で働く現役の巫女さんであったりするのだ。

 なんでも両親ともに神官の家系なんだとか。

 ――慧といい、葵といい、なにこのクラス。オカルト関係者多過ぎね?

 ちなみに余談だが。

 葵はその端正な容姿に現役巫女であるということが相まって、裏では隠れファンクラブなんてものも存在しているらしい。……性格はあれだが、たしかに美人だからな。しょうがない。

 更に余談だが、隠れファンクラブ自体は、今僕の隣に座っているこの慧にも存在している。スポーツ刈りの爽やかイケメンで、運動と勉強ができ、更には誰にでも優しく、友達想い。……うん。内外問わずイケメンだからな。しょうがない。

 もちろん、平々凡々な顔立ちを致しております僕とチビタには、当然のごとくそんなものは存在していない。するわけがない。

「ところで。葵、今度は一体なんの話だい? 異世界とか言ってたけど」

 僕の問いには、なぜか葵ではなく慧が答えた。

「最近、小学生を中心に広まってる、まあ、都市伝説……なのかな。なんでも異世界に行ける方法があるらしい」

 へえ……?

 声を上げながら首をかしげる。

 異世界、異世界か。

 異界という定義で考えれば――うん、まあ色々ありそうだ。実際に、妖怪やってる旧友の結構な数が「霊界」だかいう空間作って引っ込んでるし。……いや、あれは異界と言うよりも人払い結界多機能版みたいなものか。

 完全な「異界」と言われても、彼岸とか神霊界ぐらいしか思い浮かばない。

「それでね。その方法なんだけど……」

 慧が続ける。

「どうもね。どこか階数の多いところでエレベーターに乗り、手順に沿って階を上がったり下がったりしたあと最上階で降りればいい……らしい」

「はあ……異世界とかいう割には、また随分とお手軽だな」

「まあ、そうだね」

 チビタが相槌を打つ。

「それでね。葵がどうも試してみたいらしくてさ……。健、今日は暇?」

「――ああ、なるほど」

 そういうことか。

 ちらりと、そばに立っている葵を見やる。

 実はこの女。見た目こそは気品のある深窓令嬢みたいな顔しているくせに、性格は勝気でお転婆で好奇心旺盛、というとんでもない奴なのである。葵と知り合ったのは中学一年生の終わり頃なのだが、その出会い方と言うのも――まあ、ここでは言わないが、相当に非凡なものだった。

 昔から色々面倒事を運んでくる上に、やけに僕につっかかってくる残念美人。それが僕の中での葵の印象だ。

「ああ、大丈夫。用事はないよ」

 答えると、そばで葵が目を輝かせて、にへらと笑った。

「そっか。じゃ、今日も今日とて――」

 慧が爽やかなスマイルを浮かべ、そう続ける。

 ――そういえば、これも2600年ぶりの“活動”になるのか。

 懐かしいな。そう、思いながら僕は隣の少女へ顔を向けた。

 ――先週は先週で、こいつがいなかったから“活動”も何もなかったからなあ……。

 僕の視線に何を思ったのか、葵は照れ臭そうにコホンと一つ咳をすると、堂々と胸を張り大声で言い放った。

「――『赤沼探偵団』、活動開始よッ!!」


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