第拾壹話 異界に血だまりに祓い屋少女 後編 其の弐
薄暗い廊下だった。どこもかしこも赤黒く染まったこの世界には時と共に変化する、およそ朝や昼などという概念はなかったが、その代わり常時深夜のような静けさと気味の悪さを保っており、特に薄暗い場所は赤い色が更におどろおどろしく闇の中に踊っていた。
そしてそこを、一人の少年が――大浜市立第三高校2年3組に在籍する少年、千田文太が駆け抜けた。茶色がかった短髪に、男にしては低い身長。線の細い体つきをしている割に、意外とその足は速い。健や慧、葵などの間でチビタと通称されている少年である。
文太は長く続いた廊下の角を曲がると、すぐそばにあった扉を開いて中に飛び込んだ。そして閉めた扉の裏に背を預け、そのまま身を隠すように腰を落とす。静かに息を整えながら、彼はゆっくりと扉に片耳を当てた。しばらくそのまま固まっていたが、やがて息が落ち着くと同時に扉から耳を離し、どっかとその場に座り込んだ。
「……まいた、か」
小さくそう呟くと、彼はふう、と息を吐いた。そしてつい先程まで己のすぐ後ろにぴったりと影のようにくっついて離れなかった、ある存在を思い出してぶるりと身を震わせる。
「……一体なんだったんだ、アレは」
思い返すのは黒い影。
人の形をした、あれは――
「――それより、あいつらは大丈夫かな」
文太は突然頭を振って落ち着かせると、そう呟いて虚空を見つめた。
あれが起こった後、慧と葵は一般人である文太を逃がしてから散開したようだった。この奇妙な世界へ足を踏み入れた時から姿が見えない健も、心配と言えば心配だったが――
「――まあ、健は大丈夫だろうな」
多分、俺より強いし。
ぼそりと。そう呟いて、ふと文太は再び扉へ片耳を付けた。どうも気のせいだったようで、すぐに耳を離す。
そこにいるのは、つい先刻まで慧と葵に青い顔で弱音を吐いていた「一般人」の千田文太ではない。かといって、学校での明るい活発な「普段」の千田文太でもなかった。
「……さて、これからどうするか」
彼が、何気なくそう呟いたときだった。
ぞわり、と。
彼の背中に冷水をかけられたような寒気が走った。
「――みィつけた」
すぐ後ろ、首元からそのような声がかかる。無邪気な、幼いような調子の声だ。
それは――自分の声だった。
(ッ――追いつかれた!?)
現状を理解すると共に、文太は身をひるがえして扉から離れる。
同時に。
甲高い音を立てて、扉が蹴破られた。
「もう――かくれんぼじゃあ、ないんだよ? 隠れるなんて卑怯じゃないか」
そう言ってにこにことその場に現れたのは、一人の少年。
茶色がかった短髪に、線の細い体つきをした低身長の――
――まさしくそれは、もう一人の千田文太だった。
しかも、よく見ればその背後には更に幾人もの影がうごめいている。
多勢に無勢。
「……鬼ごっこをした覚えもないんだけど?」
文太はそう言いかえすが、しかし、この状況。一般人であったなら――
(絶体絶命、だな……)
文太のその心の声を聞いたのかはわからないが、しかし同じ結論に達したと見えて、もう一人の千田文太も、にたりと不気味に口をゆがめた。
◇ ◆ ◇
何故こんなことになったのだろう。
一体、何がいけなかったというのだろう。
僕の人生、どこで選択肢を間違えたのだろう――って、これを言ってしまうと全てはあの日あの時、廃神社へ赴いたことが全ての元凶に違いないのだけれど。
そんなどうでもいいことを、なんとなくつらつら考えていると、ふと僕の傍を炎球が過ぎ去った。
別にかすめたわけでもないのに、僕の肩から腕までの肌が、一気に焼き爛れる。数瞬後にはそれも完治するが、いやはやすごい熱量……とそれ以前に、とんでもない速さである。鉄砲玉くらいはあるんじゃないだろうか。こいつを投げた奴はきっとメジャーリーグにさえ出れるに違いない。
「――と、思うんだけど、どうだろう」
目の前の少女に、そう声をかけてみた。すると彼女は目じりを吊り上げて、
「ばかにしないで――くださいッ!!」
と、更に大きな炎球をこちらへ放ってきた。
まったく、最近の若者はキレやすいというけれど、ちゃんとカルシウムをとっているんだろうか。牛乳飲め、牛乳を。
そんな馬鹿なことを頭の隅で考えながらも、次々に襲ってくる焔を避けきると、僕は軽くステップするかのような調子で十メートルほど後ろへ退避した。
「逃げてばかりいないで、さっさと攻撃してきなさいッ!! この卑怯者ッ!!」
「いや、そう言われても……ねえ?」
小さく呟いて、頭をかく。
おそらく、あれだ。彼女は、僕が攻撃しないのを相手が疲弊するのを待っているのだと勘違いしているらしい。
勿論そんなことはない。事実無根の、言いがかりである。
第一、現在の万全な状態の僕ならば、彼女程度は力技でねじ伏せるのにそう時間はかからない。ただ、そう。一つだけ、問題があるのだ。
現在、僕は非常に萎えていた。
なにをわけわからんことを、とか言わないで欲しい。別に相手が人間だから、ましてや女の子だから戦いたくないなどでは断じてない。今までの人外人生の中で、人間と敵対するような場面も少なからず何度かあったし、喰ったことは一度もないが、仕方なく殺すことも時折あった。そしてそれに年齢性別は関係なかったと覚えている。
じゃあ、なにが問題なのかというと、それはやはり、気分なのだった。
最初に出会ったときのように、妖怪との戦闘直後ならば、勿論いい。そうでなくとも、普段の特に何もないときであるならば、それでもいい。
おそらく僕はきちんと相手をしていただろう。
だが、今は駄目だ。とてもじゃないが、わざわざ戦う気にはなれない。元々僕という奴は人間と戦うことには少なからず気が引けていたし、今は仕方がなかったとはいえ、子供の形をした奴をさながら殺人鬼のように惨殺した後なのだ。そして目の前の彼女は、おそらくそれを見て逆上してしまったのだと思われる。たしかにあれは吐き気がするほどに、なかなか出来がよく、まだ駆け出しだと推測されるこの祓い屋にはただの子供に見えたに違いない。
つまり、はたから見るとこの構図は正義の味方VS人殺しなのだ。どう見ても僕が悪者のほうである。
――ハア。
ため息を吐く。
これで気が滅入るな、と言う方に無理がある。いくら生きようとも、僕は自分が人間だと思っているし、だから人の形をしている奴を殺したことに、多少なりとも呵責を感じるのである。……まあ、同時に心の隅でこれが未だ人間である証拠のように思えて少々嬉しい気持ちがある、というのは僕だけの秘密なのだが。
「……なあ、いい加減僕の話を聞いてくれないか?」
飛んできた焔を避けながら、何度目か分からない言葉をかける。そろそろ避けるのも、誤解を解こうとするのも面倒になってきた。相変わらず気は乗らないが、これでだめなら反撃に移ろうかと思う。
「なにが誤解なもんですかッ!! この人殺しッ!! この悪魔ッ!!」
次々に飛来する焔の球塊。
それを肌が焼けながらも避けながら、僕はふと気づいた。
彼女はもうかれこれ何十球も生成している。流石にそろそろ疲労が溜まっているんじゃないだろうか。
見てみると、たしかに少女は少し息が乱れており、それに伴い肩も荒々しく上下していた。
――あれ? このまま反撃したら、まるで僕が本当にこれを狙ってたみたいじゃね?
衝撃的事実が脳裏をかすめる。
なんということだろうか。これじゃあ僕は、人殺しな上に相当の卑怯者であった。
しかし。それで反撃をやめるような、そんなやわな神経をしていたら三千年も生き残れない。汚名ごときがなんのこっちゃい。
僕は気にせず反撃に移ろうと刀へ手をかけ、そして――
ぴたり、と。動きを止めた。
見れば、少女も動きを止めている。遅れて彼女も気づいたようだった。
僕は刀へ手を添え構えたまま、油断なく周囲に気を巡らせる。その横で、頭の中は静かに思考の淵へと潜っていく。
――気づかなかった。
気をとられていたとはいえ、この僕が。こんなに近づかれるまで気がつかなかった。それに。
――囲まれている、な。
おびただしい数の気配が、僕と少女を取り囲んで、円形状に広がっていた。
気配だけはわかるが、姿は未だに現さない。
間違いなかった。
――霊界の主か。
準備を整えて、改めてやってきましたよ的なところなのだろう。次から次へと、めんどくさいなあ……と一瞬思うが、しかし、周囲から向けられる妖気にあてられ始めたのか、次の瞬間には、いつでもかかってこい的な感じの心境になっていた。我ながら、一番謎なのは自分の精神構造ではないかと思う。
「うそ、囲まれてる……」
つぶやきが聞こえ、目を向ける。するとそれに気付いた少女は、こちらに聞こえないぎりぎりまで声を小さくして、肩の狐と会話をし出した。
疎外感と言うなにかがぐさりと胸をえぐった気がするが、しかし、考えてみれば彼女と僕は元々もなにも敵同士であり、なんら気にする必要はないのだ。と、すぐに納得させてガラスのハートを修復させる。
「――さて」
ここからどうするか。
小さく、そう呟く。少女をのしてから向かおうか。それとも少女は放って妖怪のほうを優先させようか。……ふむ。祓い屋の少女は狐と話し込んでいるし、一々相手をするのもめんどくさいので、そのまま彼女を素通りして向かおう。
そう思い、一歩足を踏み出そうとしたときである。
「た、たすけてーッ!!」
幼い、女の子だった。廊下の向こう側に広がる暗闇から、一人の女の子が泣きながら駆けてきた。小学三年生か、それくらいの歳の女の子は、そうして祓い屋の少女のもとへと向かって――
「――ッ!?」
僕が刀を抜いたのと、祓い屋の少女が女の子へ駆け寄ったのは同時だった。
泣いている女の子を後ろに庇いながら、祓い屋少女はこちらへ向かって鋭い目を向ける。
「……この子は殺させません。私が守ってみせます」
そう言うや否や、僕に向かって術式を展開する少女に、僕は声を張り上げようとするが、それよりも早く彼女の肩の上の狐が切羽詰まった声で少女に怒鳴った。
『馬鹿者ッ!! 後ろだ、柚葉ッ!!』
「――――え?」
そして、狐に怒鳴られ後ろを振り向くと少女は、呆然と固まってしまった。なにがなにやらわからない、という顔である。彼女が振り向くとそこには、酸の涎を垂らし、鋭い牙が生えそろった巨大な口を広げ、今にも自分を食べんとしている醜い怪物がいたのだから。
『――ッ!!』
愚かにも呆ける少女の肩の上で、狐が自力で焔の術式を構成しようとするが、すべてが遅い。そのまま数瞬も後には、二人ともその怪物に噛みつかれて肉塊と化しているだろうことは容易に想像できた。
しかし、まあ――。
己を人間だと言い張る僕としては、目の前でみすみす人間を見殺しにしたりするのは忍びない。たとえそれが敵対している祓い屋だとしても、特に恨みがないのならば、助けることに異存はない。それが、遥か昔から僕が己に敷いてきた「常識」である。……別に助けても、直後にその人間から背後を襲われることもしばしばあったけれど、それはそれ。自業自得として納得している。
――難儀な性分だねえ――。
過去に友人の白夜から言われた言葉を思い出す。
本当に――難儀な性分だ。
「ふッ……!」
大地を蹴る。
手に持つ愛刀に、神通力を流し込む。
そうして、次の瞬間。
祓い屋少女が後ろを振り向き、その肩の狐が焔を生成しようとした――その、次の瞬間。
「ギィャアアアアァァァッッ!!」
耳障りな甲高い声を張り上げて、怪物は淡く輝く一刀のもとに両断されていた。
「――――え?」
後ろで少女がこぼした言葉を聞き流しながら、刀に更に神通力を込める。刀身を覆う淡い白光が、一瞬まぶしくなった後すぐに元の儚い輝きへ戻る。
ちらり、と。一瞬だけ背後の祓い屋へ意識を割く。肩の上の狐は今にも牙をたてん、という様子だったが、肝心の少女は継続して呆然としたままだった。
――おいおい、嬢ちゃん。まだまだ駆け出しだろうから予想外の展開についていけなくなるのは分からなくもないけれど、さすがにそろそろ正気に戻った方がいいと思うぞ?
……とは思っても、口には出さない。今は背後から襲われることはなさそうだ、ということが分かっただけで収穫である。
「――さて」
僕は呟くと、刀を肩に構えて腰を低く落とした。
周囲では、ぞわぞわごそごそとした不快な音が響き渡っている。
そして。
教室から。階段から。窓から。廊下から。果てにはダストシュートの中からも。
次々に異形の醜い姿へと変形しながら、ぞろぞろと血みどろの子供たちが――少年少女が、現れた。
皮が爛れ、肉が溶け、骨が飛び出て、醜く、どろどろごぼごぼと変形していく。
這う者。跳ねる者。他の個体と融合する者。様々な姿の者が、僕と祓い屋少女を取り囲んだ。
見渡すだけでも、五十人超はいる。
――たしか3週間くらい、だったか。
学校からマンションへと向かう途中、葵から聞いた「噂についての詳細」を思い浮かべる。
噂。
「エレベーターで異世界に行ける」という、噂。
3週間前、今月の始めから突然広まり始めた、噂。
そして――主に小学生にしか広がっていなかった、噂。
目を細める。今、僕の目の前にてうごめいている彼らは、おそらく――そう、なのだろう。
いつもと変わらぬ毎日を送っている中、唐突に学校で面白そうな噂を友人から聞くのだ。そして、彼らはその友人と共に放課後にでも試してみようとして、そして――がぶり、と。赤黒く染まった無音の世界にて、一瞬にして物言わぬ肉塊と化す。そして、気がついたときには己の身体は化物の血肉となり、己の顔は化物の手足となっている。そうして。自分の偽物が自分のときと同じように学校から連れてきた過去の友人を、そうと気がつかぬまま――また、がぶり、と。
血に塗れたスパイラル。
永遠に続く、おぞましきスパイラルである。
更に外の世界には、何事もなかったかのように化物のつくった偽物が帰っていく。だから次々と大量の小学生が死亡している事実に、世間が気づくことは――ない。
「……我ながら、ここまで推測できる自分が怖いな」
いくら自分は人間だと叫んでも――
所詮は同類だから。
同じ、妖怪だから。
推測というよりも――なんとなく、理解る。
わかって――しまうのだ。
「……ハア」
小さく、ため息を吐く。
過去に「ため息を吐くと幸せが逃げる」、とどこかで聞いたような覚えがあるが、今日の僕はまさしく幸せ逃がしまくりである。逃がして逃がして、それでもなお逃がしている。
いや――そもそも、廃神社で神隠しにされた時点で、もうすでに僕の下には幸せなどこれっぽっちも残っていなかった気がするから、別に今日のため息で逃げた幸せなどないのではないだろうか。それか、僕の幸せ値と呼ぶべきものがマイナスになっているのだろうか。
――いやまあ、別にどうでもいいのだけれど。
馬鹿なことを考えて、一度滅入った気分を回復させる。
――さて、今度こそ。
軽く刀の柄を握りなおす。
時を経て段々と高まっていくこの場の妖気に、少しずつ僕の身体も温まってくる。
見渡す限りの異形、異形、異形。まるでゾンビのような、蜘蛛のような、巨人のような――そんな様々な化物に、囲まれている。
50対1、ね。
いいじゃないか。
やってやろう。
いい、準備運動だ。
「さァ――始めるか」
次の瞬間。
淡く輝く刀を構え、僕はそこから飛び出した。
◇ ◆ ◇
あれが起こってから、大分時間が経ったように思う。
不死川慧は、よろけそうになる体を壁に預け、大きく息を吐いた。
「……ふゥ」
そのまま、ずるずると座り込みたくなる衝動を必死に抑える。
――駄目だ。ここで座ってしまったら、おそらく起き上がれない。
痛む左腕を抑えながら、改めて自分の恰好を見下ろす。白黒の学生服はところどころが擦り切れたり破れたりしており、更には返り血によってこの世界と同じような赤黒い色に染色されている箇所も多い。油断によって打撲した左腕にはほんのり紫色に輝く数珠が巻きつけてあり、右手には血糊のついた経典が握られている。
「……ははっ、ひどい格好だ」
小さくそう笑うと、自分が歩いてきた廊下をふと見やる。
床には血だまりや死体が、壁には飛び散った血と肉片が付いていた。これだけ言うとどこの惨殺現場だよ、と思うだろうが、よく見れば――いや、よく見なくても、そこらに転がっている死体は、そろって異様な――おぞましい姿をした化物であることがうかがえる。
更に言うならば、廊下に広がる最も大きい血だまりの中心には、どう見ても慧自身としか思えない死体が怖ろしい形相で転がっていた。
「……俺、よく生き残れたよなあ」
思わず、といった感じでしみじみと呟く。
慧が現在身に着けている霊装は、数珠と経典の二つのみ。僧とはいえ未だ見習いである慧が、たったそれだけの準備でこれだけの化物相手に善戦できたというのは、半ば奇跡に近いものがある。
しばらくそのまま休憩する慧だったが、五分も経つとゆっくりと壁から背を離した。
「そろそろ行くか……」
あれ――慧ら三人を囲んだ黒い影が子供の姿になり、そして同時にその中の三体が慧たちに化け、葵の術で攻撃してきたこと――が起こった後、慧と葵はなんとか文太を逃がした後に化物を引き連れて散開した。
しかし、考えてみれば逃がした先にも化物がいないという保証はないのである。この世界に足を踏み入れたときから姿が見えない健は勿論のこと、早いこと文太と合流してその身を守らなければならない。
そう、思っての第一歩だった。
しかしそれは、後ろからかけられた大声によって早々に解決してしまう。
「おォーい、フシガワー!!」
慧をその名で呼ぶ者は一人である。慧が振り返ると、そこには案の定、赤沼探偵団団長・神谷葵が立っていた。しかもそのすぐ後ろにて、血だまりや肉片を踏まないようにちょこちょこと飛びながら歩いてくるのは、これから探そうとしていた文太その人である。
「なんだ、お前らはもう合流できてたのか」
安堵と共に彼らに歩み寄ろうとして、しかし、慧はぴたりと足を止めた。
不思議そうにこちらを見る二人に、ためらいながらも、きっちりと目を合わせ、慧は言い放った。
「念のため聞くけど――お前ら、偽物じゃあないよな?」
瞬間、その場に静寂が訪れた。
ごくりと喉を鳴らす、見た目いかにも疲労困憊の慧。
彼の頭の中では、ある疑問が生まれていたのだ。自分よりもよっぽど才能も実力も持っている葵ならともかく、なぜ文太までもが綺麗な格好のままなのだろうか、と。それに考えてみれば、いくら葵でも返り血を一々気にして綺麗なまま戦闘を終えらせることができるものなのだろうか、と。
誰もなにもしゃべらない、そんな無言の時間が続く。
三人の間に、緊張した空間が広がる。
どのくらい経ったのだろうか。たったの数秒かもしれないし、数分以上経っているような気もしないではない。
慧の背中を、嫌な汗が流れ落ちた。
そして――葵が、にたりと笑った。
――まさか、本当に……!?
慧が慌てて構えると、にたにたと笑みを浮かべた葵が一気に駆け寄り――
ごちん、と。
慧の頭を思いっきり殴打した。
「いてェッ!」
思わず頭を抱える慧に、その上から葵が言い放つ。
「なに人をバケモン扱いしてんじゃ、こら」
殴った右拳にハアと息を吹きかけながら見下ろす葵を見上げ、慧は「ああ……本物だ」と確信した。
◇ ◆ ◇
――次……次……次ッ……!!
襲い掛かる種々様々な化物を、次々と一刀のもとに切り伏せる。もう、何体斬ったのか覚えていないが、しかし、着々と周囲の化物は減っていた。
ふと背後の方を見やれば、先程気を持ち直した祓い屋少女もまた、次々に化物へ向かって十八番の焔球をお見舞いしている。現状だけを見れば、共闘しているようにも見えるだろう。しかし、たしかに助かってはいる……のだが、ここにいる化物がいなくなれば、次にあの焔が向かう先はおそらく自分であると思うと、複雑な気持ちである。
そして、そのときは案外早く来るものであるらしい。
更に一体、更に一体、と黙々と襲いくる奴らの中を斬り進んでいると、突然開けた場所に出た。
後ろを振り返れば、血みどろの化物が倒れ重なる、文字通りの死屍累々とした廊下。起きて動いている個体は一つも見当たらない。そして、その屍たちの向こうに、同じく屍に囲まれた中、ぽつとんと立っている祓い屋少女を見つけた。違いがあるとすれば、僕の周りの死体は全て斬死体。彼女の周りのものは焼死体、という点である。僕の方は切り傷があるだけだが、あちらの方は焼けただれていたり、どろりと溶けていたり、と何故か人間のあっちが葬ったものの方が、人外の僕が葬ったものよりも凄惨な気がするのは気のせいだと思いたい。
祓い屋少女の方もこちらが片付いていることに気付いたようで、こちらへ振り向いた彼女と僕の視線がかち合う。
互いに無言。
奇妙な間がその場へ下りたが、その沈黙は祓い屋少女によって破られた。
「まだ……主が、残っています」
主。
この霊界を所有している妖怪――近辺の小学生らを先程の化物へと変えた張本人。
つまり、なんだろう。
どういうわけか彼女は、主を倒すまでは、この奇妙――というより珍妙な、なし崩し的な協力関係を保とう、とそう言っているらしかった。
初めて会ったときから、やたらと僕を祓おうとしていた祓い屋にしては、妙な――一種異様な発言である。もしかすると、僕と主を戦わせた後の漁夫の利的な展開を目論んでいるのかもしれない。
――まあ、別にどうでもいいか。
別に漁夫の利を狙っても、彼女程度の相手なら負けることはないだろうし、戦わなくても逃げることは簡単だ。僕には、幻惑呪法という切り札がある。
僕は彼女に向かってこくりと頷くと、ひるがえって、己の背後、その先に潜む闇を睨んだ。
――いる。
意識を向ければ、それとわかる。
軽く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
前座で、既に体はある程度温まっている。
刀を一度振り、具合を確かめる。
神通力もたいして消費していない。
疲労も、たいして溜まったわけではない。
大丈夫――ベストコンディションだ。
「……お先に失礼、っと」
人外な僕とは違い、相当疲弊しているらしい祓い屋少女を背に、思いっきり地を蹴ると、途端に爆発的な速度で廊下を駆け抜けていく。
疾風のごとく廊下を駆けていくと、やがて前方に夜のような闇が現れる。気にせずにそこへ突っ込むと同時に、闇の中から襲ってきた赤い槍を刀で切り裂いた。そして僕は、その闇の奥底に、赤黒くもぞもぞとうごめく主を発見した。
「やっぱり」
にたり、と。自分の口が歪むのが分かる。
先程までの化物。あれは、この主が時間稼ぎをしてまで用意したもの――つまり、こいつの最後の持ち札だったに違いない。それが破られた以上、後は自分自身が出てくるほかはないのだ。
「お前――正体は、俺の想像以上に気持ち悪ィなァ」
思わず、口から漏らしてしまう。
それだけ、あの厄介な闇を纏わない主のその姿は、グロテスクで、おぞましいものだった。
赤黒く、テカテカヌルヌルと輝く肢体。
うねうねヌメヌメとうごめくその触手。
ぶくぶくと肥えた、巨大なその姿は、まるで巨大なナメクジで。
また赤黒くテカテカと光るその体表は、何故かゴキブリを連想させた。
嗚呼――全国の少年少女が忌み嫌う要素を、全て詰め込んだら、おそらくこんな怪物が生まれるのではないだろうか。
そう、思わせるほどに主のその姿は、見る者へ強烈な不快感を与えた。
つい先ほどまで戦っていた子供たちの成れの果てであるあの化物らも、壮絶にグロテスクなものだったが、その主は、それ以上に――どうしようもなく、気持ち悪かった。もしかすると、見る者すべてにそのような不快感を与える、という一種呪いのような特性を持っているのかもしれないと邪推してしまう。
「――うっ……」
すぐ背後から、少女の声が漏れた。振り返ると、案の定、追いついてきたらしい祓い屋少女が、口を押えてなにかをこらえている。
「ああ……確かに女の子にゃあ、きついかもな」
なんとなくそう声をかけてみるが、彼女の肩の狐に威嚇されて終わりだった。
仕方なく前へと振り返ると、今度は目の前に主が放ったのだろう幾本かの赤い槍が迫っていた。
――まあ、ちゃっちゃと片付けるか。
それなりの妖怪を前にして血が騒いではいるが、それもこんな姿ならば、あまり記憶に残る前に目の前から消滅させたい衝動が沸き起こるだけである。
それに考えてみれば、慧や葵、チビタたちと早く合流して彼らの安否を確かめなければならないという重大な用事が僕にはあるではないか。……いや、別に今まで忘れていたわけでは断じてない。
目の前へ肉薄する赤い槍。刀でそれらをなんなく払い落とすと、僕は主へと向かって駆けだした。僕の本気の走りにより、十歩ほど進んだときには既に僕は主のすぐそばへと迫っている。
体に眠る膨大な神通力を惜しげなく刀へ流し、ただでさえ長い年月を経て霊格を得た、半ば神剣と言ってもいいその刀の格を、更に上へと引き上げる。――が、まだ足りない。主の身体は巨大だ。全長が10m以上ある。この体格差を埋める威力を発揮させるなら、もう少しだけ力を籠めないといけない。
しかし、主も黙っているわけではない。身体の一部が触手のように盛り上がり、そして次の瞬間凄い勢いでこちらへ襲来してきた。
触手のように見えたそれが身体から分離したことに内心驚きながらも、すんでのところでそれを躱す。地面に刺さったそれを見てみると、今まで散々避けてきた例の赤い槍であった。
「ああ――そうだったのか」
一人、納得する。
放たれる赤い槍、改め触手の雨の中、主を迂回するようにその周りを駆ける。ふと気になったので祓い屋へちらりと目を向けるが、彼女は相変わらず口を押えたまま離れたところから傍観しているようだった。
――使えねえ。
とは思っても、口に出してはいけない。それが社会のマナー。
――まあ、いいか。
そんな調子で主の周りをぐるりと一周したところ、ようやく刀の準備が終了した。
「――さて、巨大ナメクジ」
主の正面までやってくると同時に内側へと直角に軌道を変える。主の顔面へ向かって駆けながら、僕は静かに、滔々と言葉を紡ぐ。
「そろそろ――年貢の納め時だッ!!」
そう叫び、主へと向かって刀を振り下ろす。眩いばかりに白く輝くその剣閃が主の身体の中心線を通り、次の瞬間、僕はその身体の反対側に立っていた。
そして――ぐしゃり、と。
数秒遅れて主の身体が真っ二つに分かれた。
まあ、そうして。
いまいち決まらない決め台詞と共に非常にあっけない戦闘を以て、この事件の幕は意外と地味目に閉じたのだった。
◇ ◆ ◇
翌日。
西暦2012年7月24日、火曜日。
朝である。
「――ふわあぁ……」
ぴーひゃらぴーひゃら五月蝿い目覚まし時計を止めると、僕はぬくりと起き上がり、そして大きく伸びをした。
時刻は5時00分。
我ながら何とも健康的な人間である。
――決して爺などではない。
さて、昨日のことを語ろう。
思い返せばわかるのだが、昨日はあの後――主を倒したその後の方が、どちらかというと大変だったかもしれない。
主を倒すと共にあの霊界は消滅し、気がついたとき、僕と祓い屋少女はなぜかマンションの屋上に立っていた。
これからまた戦闘かな、と思いながら少女を見ていると、なんと彼女は肩の狐の口を押えながらこちらへ寄り、「今日一日の観察により、あなたはどうも人間に好意的であると判断されました。そのため、現在より我々《緋崎》は、一時的にあなたの除霊を保留と致します。しかし、この処置はあくまで暫定のものなので、お忘れなきよう」などと一方的に話しそのままどこかへ姿を消してしまった。
まあ、ここまではいいんだ。「緋崎」って、昔どこかで聞いたことあるなあ、などと一瞬思ったりもしたが、そんなことは別にどうでもいい。暫定だろうがなんだろうが、これでもう今後一切、祓い屋に付け回されるようなこともない。なによりじゃないか。
しかし――そう。この後が大変だった。
大きな音を鳴らさないように屋上の扉の鍵を壊したり、なんとかマンション内に入れたかと思ったら、慧たちとどう合流すれば不自然に思われないか悩んだり。結局、僕だけはなぜか霊界へは渡れずに一人普通のマンションフロアでさまよっていた――ということにしておいた。何かそこはかとなく不自然な言い訳だが、これ以外に良さそうな案が浮かばなかったのだから、しょうがない。
しかし、三人とも慧がやたらとボロボロであったこと以外は、特に何もなかったようで安心した。――まあ、その慧の恰好が恰好だったので、帰り道に職質されないか気が気でなかったが。
ちなみに僕自身の服は、神通力による力技で修復させておいたので問題はない。
その後は、なんやかんやと三人の話す霊界の話を聞いて、帰途についた。
そして夜が明け現在に至る、と。
――まあ、これでようやく普通の生活に戻れるわけだ。いくらなんでも、そうしょっちゅうなにかが起きてはたまらん。
僕は勉強机前の壁に貼ってあるスローガン「平穏平凡な学生生活。NOオカルト、ダメ絶対」を眺めると、「よしッ」と小さく喝を入れてベッドから這い出た。
――実は今のはずっと、ベッドの上で思い返していたのである。
◇ ◆ ◇
所変わって、大浜市立第三高校2年3組の教室。
時刻は8時30分。
朝のホームルーム、の時間である。
「はいはい、皆席につけー」
ガラガラと戸を開けると共に、我がクラスの担任教師(独身・男・33歳)はそう言って教卓へ歩いていった。
彼は教卓につくと、いくつかの連絡事項を伝えていく。僕はそれらを半ば聞き流しながら、ぼうっと空を眺めていた。――昨日は霊界とはいえ、学校の形をした場所で異形の化物を殺しまわっていたのだ。そのせいか、こうして学校にいるとどことなく落ち着かない、というかそわそわとしてしまう。昨日の霊界でのあの学校は、どうも近所にある小学校がモデルのようだったが、しかし、学校なんて建物は小学校だろうと高校だろうと、どこもほとんど同じデザインであると、僕は思う。
廊下があって、階段があって、教室があれば、そりゃあ、もう学校だ。
そんなことをつらつら考えていると、突然、何故か不穏に感じる単語を耳が拾う。
担任の言葉だった。
「――と、いうわけで。今日からうちのクラスに転校生がやってくっぞー。まあ、なんというか、時期外れも大概にしろって感じだが、家庭の事情だ。そこら辺はいい感じに察して、皆仲良くしてやれ」
――転校生?
おいおい――こんな、夏休みまであと少しっていうときに――転校生、だと?
不審だ。
不穏だ。
僕の中の平穏死守センサーが、警報を鳴らし始める。
しかし、時は止まらない。
クラスメイトの一人が発した「性別は?」という質問に、担任はにやりとすると叫んだ。
「男子共喜べ! 転校生は、可愛い女子だッ!!」
途端に、「うおおおおッ」とクラスメイトの男子共が謎の盛り上がりを見せる。
「まじかッ! 時期外れの美少女転校生、だとッ!?」
「美少女、キタコレ!!」
「それなんてエロゲ!?」
「どうか神谷さんみたいな感じじゃありませんようにッ!!」
「せめて普通の性格でありますようにッ!!」
「残念系じゃありませんようにッ!!」
「あんたら、それどういう意味よッ!!」
――なんだろう。なんかもう、このクラス恥ずかしい。
僕が一人そんなことを考えていると、担任が手をたたいて場を鎮め始めた。
「はいはい、落ち着け落ち着け。盛り上がるのはいいが、そこらへんにしてくれ。肝心の転校生が、紹介できん」
その言葉で、少しずつざわめきも収まっていく。
「よし」
担任は一人そう満足そうに呟くと、廊下に向かって声を張り上げた。
「鬼橋、いいぞー」
「――はい」
少しの間をおいて、鈴の音が鳴るような静かな声が返ってきた――ってあれ? どこかで聞き覚えがあるような……?
僕が一人首をひねっていると、ガラガラという戸を開ける音、コツコツという足音、そしてクラスメイトたちの「おおー」という歓声が聞こえてきた。
そして、その声で前を向いた僕は、思わず呆然としてしまう。
「みなさん、はじめまして。鬼橋柚葉です。これから、よろしくお願いします」
教壇の上。そう言って軽くぺこりと頭を下げるその少女――その少女こそ、昨日完全に縁を切ったと思っていたはずの、あの祓い屋少女であった。
「――どうなってんだ、こりゃ」
僕のそのつぶやきには、しかし、誰も答える者はいなかった。




