第拾話 異界に血だまりに祓い屋少女 後編 其の壱
「おーい、健―? どこだー? 返事しろー」
不気味な色に染まったマンションのフロアに、不死川慧の声が響き渡る。声はがらんとした建物に虚しく響くだけで、期待したような結果は依然として帰ってこなかった。
慧は自分の担当した範囲に人影がないことを確認すると、少し廊下を戻ったところにある、待ち合わせ場所としたエレベーター前へ向かって歩み始める。そうして、通路の右にある柵越しに見える赤黒い町を見ながら、はあ、と小さくため息を吐いた。
「健の奴、無事ならいいんだけれど……」
慧と文太、葵の三人がこの不気味な世界にて健を探し始めてから、早くも一時間が過ぎ去ろうとしていた。
「遅かったじゃない。どう? いた?」
待ち合わせ場所へ戻ると、既に葵と文太がそこにいた。慧は葵の言葉にかぶりを振ると、「そっちは?」と尋ねた。
「……残念ながら、見た感じでは人影なんて全くなかったわね」
「……そ、そうか」
気が立っているらしい葵に少しびくりとするが、すぐに「ああ、そうか」と思い当る。
(健は一般人だからな……そりゃ、神谷は俺以上に心配か)
そうして、同じく一般人であるために慧よりも強い葵と共に行動していた文太へと視線を移した途端、慧は怪訝そうな顔をした。
――文太の顔が、やけに青ざめていたのである。
「な、なあ。チビタ、大丈夫か? やけに顔が青いけど……」
その問いに文太は弱弱しくうなずくと、ゆっくりとした動作で学生服のポケットから何かを取り出し、少し躊躇した後それを隣の葵に手渡した。
「ねえ、フシガワ。あんた、部屋の中は調べた?」
葵は文太から受け取った物をなにやら操作しながら、やけに厳しい口調で慧に問いかける。
「ん、あ、ああ。なぜかどの部屋も鍵がかかってなかったし……ここは現実世界じゃないはずだから、犯罪にはならないかと思って。一応あっちの方の部屋は全部確かめたけど……」
慧はますます怪訝に思いながらも、静かに受け答える。
「……それで、それがどうしたんだい?」
葵は、キッ、と顔を上げると、手に持っていた物を慧に向かって突き出した。
「これを見て」
慧は言われたとおりにそれを見て、そして、発する言葉を失った。
葵が手に持っていたのは、小型のデジタルカメラであった。少し古い型で、そしてそれは文太の私物であることを慧は知っていた。新聞部である文太は、ネタを探して四六時中デジタルカメラを手放すことはないのだと、本人から聞いた覚えがある。――しかし、勿論そんなことで慧が驚いたわけではない。
鈍い銀色の表面にちんまりと存在する、その小さな液晶画面には、血塗れのランドセルや片方だけの運動靴が放置され、床の所々に血だまりが出来た、散乱し荒れ果てた子供部屋らしき場所が映っていたのだ。
「――……え……」
その写真を見て硬直してから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。数十秒かもしれないし、たったの数秒かもしれなかった。慧はやっとの思いで再起動すると、動揺する声で小さく呟いた。
「……おい……もしかして、これは、まさか……?」
葵が小さくうなずきを返す。
「ついさっき、偶々見つけたの。他にも数部屋、同じような惨状のものがあったわ」
慧が視線を移すと、文太も小さくうなずきを返した。
「……はは……マジかよ」
そのまま床に座り込みたくなる衝動をこらえながら、慧は立ちくらみでも起こしたかのように、ふらりとそばの壁へもたれかかった。
その場に、しばしの沈黙が流れる。
「――これから、どうする?」
沈黙を破ったのは、文太であった。
「――どうするもなにも……まずは健を見つけ出さないと」
慧が重い口を開く。
「……でも――もう、食べ」
食べられちゃってるかも。
暗い顔で文太がそう呟こうとした途端、その頬が強烈な音を立ててはたかれた。
「なっ……何を、言ってるのよッ!!……い、言っていいことと悪いことがあるでしょう!?」
右手を高く上げたまま、葵が今にも泣きそうな声で叫ぶ。
「……今のはチビタが悪い」
慧も小さく呟く。
「…………ご、ごめん。……つ、つい……」
赤く手形が付いた頬を撫ぜながら、文太はぼそぼそと謝る。普段のような活発な明るさは見られなかった。
再び沈黙が下りる。
どのくらい経っただろうか。
十分ほどかもしれないし、もっと短かったかもしれない。
「――な、なあ、とりあえず」
と、意を決した慧が新しく話を切り出そうとした時だった。
――三人の視界の隅を、突然なにかが過ぎ去った。
「――ッ!?」
びくり、と。
一瞬で空気が張り詰める。
「……い、今のは? け、健……かな……?」
びくびくとした声で文太が囁く。
「……いや、もっと小さかった。健じゃない」
同じように声を潜めて慧が答える。
「え……じゃあ、も、もしかして、妖か――」
「――しッ! 静かに。黙ってて」
おびえた声を出す文太を一喝すると、葵は周囲に気を張り巡らせながら、慧に問う。
「フシガワは、行ける?」
「あ、ああ――じゃなかった。いや、あまり。今は霊装、全然持ってきてないから――よくて神谷の援護くらい」
葵はふん、と鼻を鳴らすと、腰を下ろしてそばの学生鞄から何枚もの札を取り出した。
「わかったわ。じゃあ、あんたはチビタをお願いね」
「おう。……すまんな」
同じように腰をおろし、学生鞄から小さな経典を取り出しながら、慧は申し訳なさそうにそう呟いた。
「別にいいわ」
葵は立ち上がり、札を構えながらできるだけ端的に返す。その顔は先程までの泣きそうだった少女のものではなく、立派に悪霊払いをする巫女のものであった。
「――さあ、こそこそしていないで、いつでもかかってきなさい!!」
葵が叫ぶと同時にどこからか無数の黒い影――のようなものが現れ、三人の周囲をゆらりゆらりと囲みだす。
赤黒い世界を背景にして、夜の闇よりも深い漆黒の色をした影たちはそれぞれが思い思いの――ひとのような形にまとまり始め、そして――
「……え?」
そして――
文太の漏らした、決して大きくはなかったはずの呆けた声が、なぜか静かに辺りへ響き渡った。
◇ ◆ ◇
おぞましい空気が満ち溢れ、気味の悪い程に無音の世界。赤黒く染まった空の下、同じように染まったグラウンドが広がっている。そして、そのそばにはどん、とそびえたつ校舎があり――突如として、何の前触れもなくその一角が吹き飛んだ。
周囲に爆音が響き渡る。
破壊された校舎の穴から、なにかがぬるりと這い出るが、外に出るとすぐにその姿は周囲の景色へ溶け込み、目では認識できなくなった。
そして、その現象から数コンマ秒ほど遅れて、同じく校舎の穴から一人の少年が飛び出す。高校の制服に身を包む、中肉中背の少年だった。
「くそッ!!」
飛び降りた校舎からは4階ほどの高さがあったはずだが、少年は危なげなくグラウンドへ着地すると、周囲を見渡してから、そう悪態をついた。
「あの野郎――よりにもよって、同化しやがった」
少年――小杉田健はそう呟くと、右手に持っていた直刀を地面に突き刺す。いや――剣、と言った方が良かったかもしれない。普通の刀より刃幅が広く、刃渡りも若干だが短いように思えた。
まあ、どちらにしても――以前見た時には持っていなかった得物であることに変わりはない。
「ちょっと油断したな……」
健は右腕を軽くまわしながら(その制服の右肩は少しだけ破れていた)、左手でズボンのポケットから数枚の折りたたまれた札を取り出す。そして彼がそれに向かってなにやら呟くように口を動かせば、その中の一枚が白い炎をあげて塵と化した。健は満足げな顔をすると、そのまま踵を返して校舎の中へと戻っていった。見えたのは一瞬だったが、そのとき彼の口元には獰猛でいて楽しそうな笑みが――獣のようなそれが、しっかりと貼りついていた。
「――やっぱり、所詮アヤカシはアヤカシなのね」
健が校庭から姿を消してから数分後。百メートルほど離れた木陰から姿を現すと、この世で正式に《緋崎》の名を継ぐ最後の祓い屋――鬼橋柚葉は、少しだけ哀しそうな声音でそう呟いた。
『仕方がないさ』
彼女の肩に乗っている女狐が、しわがれた老婆のような声でささやいた。
『あの少年も、無限の時を生きる者だ』
「……そういう、ものなの?」
柚葉が静かな声で返す。
『ああ。たしかに元はただの人間だったのかも知れないが……我々に近づけば近づくほど、元からではなかったが故に、得てして我々よりも妖怪染みる、というものだ。――第一、』
狐は、横目で柚葉を眺めながら冷淡に呟いた。
『前回、たしかに本人と知らなかったとはいえ、問答無用で襲ったのは柚葉だろう? それを、なんで今更悩む必要があるんだ。あれは、妖怪だ。しかも、当初想定していた「人間の皮を被った中級妖怪」よりも、なおさらたちの悪い、な』
「……でも」
柚葉が、なにか反論しようとしたのか口を開くが、
『この二日間』
それはすぐに狐によって妨げられた。
『この二日間。私たちは一体何をしていたのだ?』
「……調べてた」
『そうだ。私たちは調べただろう。たしかに奴は、死亡したと思われた小杉田健本人だったこともわかったが、しかし、調べてみれば同時に、古代に魔王の一人に数えられたほどの大妖怪じゃあないか。人間から妖怪になって退治された奴なんて山ほどいるぞ? それを、なんだ。なぜ迷う? 偶然とはいえ、一度取り逃がした獲物を再び見つけたのだ。一匹たりとも獲物は生かさない、それが《緋崎》だ。柚葉、お前――それでも、仮とはいえ《緋崎》を名乗る祓い屋か?』
狐は、静かに畳み掛ける。
そして。
――《緋崎》。
その言葉は、柚葉という少女にとっては――否、両者にとって、それは半ば呪いのようなものだった。
「――うん。そうだね……ごめんね」
その声音にどこか哀しみを漂わせながらも、途端に従う柚葉。
『――わかったなら、さっさと奴を追え』
そして、それを打って変わって彼女と同じような哀しみのこもった眼差しで見ながらも、先程と変わらぬ冷淡な声で突き放す狐。
過去に一人の少年を失った。そんな、同じ哀しみでつながった歪なコンビは、静かに校舎へと向かっていった。
◇ ◆ ◇
――少し、気を抜きすぎたか。
神通力を使い、破れた制服の右肩を修復させながら、暗い校舎の中を歩いていく。心なし反省するが、逃げられたこと自体は大した痛手ではない。一度でも接触したことがありさえすれば、現在のように術で大体の居場所は感知できるし、逃げ切ったと思って安心した獲物を後ろから襲うのもまた、狩りにおける僕なりの醍醐味の一つである。ただ――
「――異常しい」
ぼそりと呟く。
頭の中に流れるのは先程の戦闘。相手は相変わらず闇に紛れて目視不能状態だったが、突然その妖力が爆発的に増大したのは確りと分かった。
いくら霊界持ちだとはいえ、ただの妖怪に――それも新生妖怪に、あそこまでの急激な能力変化が起こり得るものだろうか?……いや、ありえない。例えば僕のようになにか特殊な事情――身体へ呪術的処置が施されているだとか、そういう場合はともかくだが、妖怪は普通こんなことはしない。他に考えられるのは――突然変異種か、もしくは生贄接種か、
「……それとも新大和会との接触によるなにか、か」
小さくため息をつく。妖怪から一度離れたために、どうも頭が少しずつ冷えてきたようだった。冷静になるのは構わないのだが、同時に先程まで好戦的なものであった気分が、時間を経る毎に段々萎えていくのが分かる。別に気分が萎えていても肉体面の問題である戦闘力が下がることは万が一にもないのだが――我ながら、相当にきまぐれな性分をしている。これもまた妖怪故の特性であろうことは、ここ千年で確認済みだった。
長く続いた廊下を曲がり、現れた階段を静かに上がっていく。
真ん中の踊り場まで上がったときだった。突然、左手に持っていた残り二枚の内の一枚である札が、灰色がかった鈍い銀色の炎を上げて燃え上がった。
「――きたか」
残った一枚の札を握りしめ、極力気配を消しながら、今まで以上に無音で移動する。二枚目が燃えた踊り場から、更に三階分ほど駆け上ったときだった。最後の一枚が、静かに黒い炎を上げて塵になった。
――チビタたちが不安だ。今度こそは遊ばずに、一撃で仕留める。
静かに喉を鳴らし、鞘に戻していた刀の柄を握りなおした。そして、それからきっかり三秒を数え終わると共に、僕は階段の角から廊下へと躍り出た。
「――破ッ!」
神速で放たれた剣が、淡い光を放ちながら風を切り、そして――
「なっ!?」
そして、僕はその刃が相手に当たる前に慌てて止めた。刀身の纏っていた淡い白光が即座に雲散する。
驚きで数瞬間、そのままの姿勢で固まるが、僕は目の前の相手をしっかりと確認すると、構えていた刀を静かに下ろした。
「……おいおい」
つい、あきれたような声を出す。
目の前では、どこか見覚えのあるような三人組が……同じ柄の野球帽をかぶった少年が三人、腰を抜かして小刻みに震えていた。
僕と少年たちが見つめ合う形で、その場に少しだけ間が下りた。
「――まあ、成る程ね」
そういうことか。
小さく、呟く。
そして、
「――ん」
背後から飛来した数本の槍を、そのまま無造作に刀で薙ぎ払う。それから気だるげに後ろへ振り返るが、そこにはやはり妖怪の姿など見当たらなかった。
「……あ、あの」
澄んだボーイソプラノで呼ばれ、僕は小さくため息をつくと、ゆっくり前へ向き直った。三人の少年は少々びくびくしている様子ではあったが立ち上がっていた。その中で一番前に立っている少年が、僕の持つ刀をちらちら見ながら、震える声で大きく言い放った。
「た、助けてくださって、あ、ありがとうごじゃ、ございます……!!」
噛んでいた。
僕はまた小さくため息を吐くと、心にもない言葉を放った。
「君たち、さっきエレベーター前で会った子たちだよね。大丈夫? 怪我とかしてない?」
「は、はいっ!! お、おかげさまで、みんな大丈夫でした!!」
「そっか、それはよかった。……本当に」
再びため息を吐きたい衝動をこらえながら、僕は顔に笑顔を貼りつけた。
「あ、あのっ!」
先程から黙っていた別の少年が、突然声を張り上げた。見れば、なにかキラキラした目で僕の右手を見ている。
「そ、それっ! それって、本物ですか!?」
「……これかい?」
くい、と右手の刀を軽く上げる。少年が、こくこくと首を縦に振った。
――ハア。
心の中で、小さくため息を吐く。勿論、表には出さなかった。
僕は笑顔のまま、少年に向かって言った。
「……ちょっと、触ってみる?」
「い、いいんですか!?」
少年の顔に、ぱあっと笑顔が広がる。僕は崩れそうになる笑顔をなんとか維持しながら、子供はやっぱりおびえる顔よりも笑顔の方がいいよな、と心の隅で現実逃避気味に考えた。
「ほら、もっと寄りなよ。持たせてあげる」
そう言って、小さくも軽く手招きする。
少年は無邪気に僕の方へ駆け寄ってきた。その背後にて、他の二人が少し羨ましそうに少年を見ている。そして、少年が二人から離れて僕の傍へやってきた、その次の瞬間。
ヒュン、と。
小さくも確かに、そんな風切り音が辺りに響き渡り、そして。
僕の前で、少年が静かに崩れ落ちた。切り離された頭部がころころと転がる。
「――安らかに眠れよ」
口の中で、小さくそれだけ呟く。
僕は血塗れた刀を一振りすると、唖然としている他の二人の少年の元へと大股で寄っていった。
「すまないな」
静かに、淡々とそれだけを呟く。少年たちはやっと我に返ってその場から動き出そうとするが、僕が一気に加速した一歩を踏み出すと、次の瞬間には僕は二人を追い越しており、そして、背後で二人の頭部が身体から転がり落ちた。遅れて身体が崩れ落ちる音が響き渡ると、辺りには少年たちの抜け殻からとんとんと血液がこぼれ出る音が聞こえるだけになった。
「――ハア」
静かに、ため息を吐く。
刀を宙で数回はらい、刀身にべっとりと付いた血糊をあらかた取ると、そのまま鞘へと戻す。そして僕は一度階段まで戻ると、そこに転がっていた学生鞄を拾い、中からまた何枚かの札を取り出した。
再び索敵の術を使おうと口を開くが、しかし、突然の乱入者によって呪文は口にされることはなかった。
なにか悪寒を感じたと思った次の瞬間、背後の壁が突然どろりと融解し、そこから高速で飛来する巨大な焔の塊が襲ってきたのだ。
「――ッ!?」
咄嗟に刀で放った一振りが、淡く光りながら焔を二つに切り裂いた。廊下と後ろの壁がどろどろと朱く光り、途端に周囲の温度が高くなる。
――ハア。
まったく、次々に何なんだ。
静かにそう思っていると、熱風が吹き荒れ、視界を蒸気が包む中、融解した壁の穴から、肩に狐を乗せた一人の少女が現れた。
「……またお前か」
見覚えのあるその姿に、僕は思わずそう呟いた。
知らない高校の制服に身を包んだ、妖狐を使役する祓い屋の少女。つい先日、僕と口裂け女との戦闘に乱入してきた人物である。しかし、どうも今回は前回とは少々状況が変わっているらしかった。少女は怒りの激情が宿った目でこちらを一瞥すると、そのまま静かに右手を挙げ、そして振り下ろした。
次の瞬間。
先程まで僕がいた場所に焔の塊が着弾していた。どろりどろりとそこの床が溶け、下の階へと崩れ落ちていった。
――うわあ……。
学生鞄を抱えて咄嗟に避けていた僕は、小さく声をあげた。
前回よりも確実に焔の展開速度から射出速度、更には焔自体の熱量まで全てが割り増しになっている。
少女が放ってきた焔を避けながら、僕は極めて何気ない調子で彼女へ問いた。
「――もしかして、今さっきの見られちゃった?」
結果として襲ってきた焔の弾幕を前にして、僕は、また小さくため息を吐いた。
――あれは仕方ないと思うんだけどなあ。
そう、心の中で呟きながら。




