12話:ゴールドソーサー
「ゴールドソーサーに行く理由は王族同士の打ち合わせが一週間くらいあるからなのさ。役割を務めることになる向こうのチームと直接顔を合わせるのは初めてだから、少し緊張してしてしまう」
「えー、リコンフィグちゃん羨ましい! ゴールドソーサーってオシャレの聖地じゃん!」
「風景いっぱい魔法で撮ってきてね!」
「何かお土産期待してるから!」
笑い声と歓声が重なり、リコンフィグは少し照れくさそうに、でも慣れた様子で対応している。ブルーの瞳が優しく輝き、誰もが引き込まれるような笑顔だった。
私は少し離れた自分の席に座り、ノートを片付けながら、その様子を静かに見つめていた。
リコンフィグの横顔。
ゴールドソーサーへ行くと言われて、胸の奥が少しだけざわつく感覚。
行ってらっしゃい、と言葉にするタイミングを計っているうちに、ただ見ているだけになっていた。
ふと、耳元で低い声が響いた。
「見過ぎよ、幾らなんでも」
息が耳にかかるほどの近さで、アンバーオックスが立っていた。私は少し肩を震わせて、慌てて視線を逸らした。
アンバーオックスは私の隣の机に腰をかけ、腕を組んだまま、リコンフィグの輪をちらりと見て、すぐに私に戻る。
「もう惚れたの?」
赤い瞳が、まっすぐに私を捉える。私は少し動揺しながら、でも穏やかに答えた。
「どうだろう。親しい関係ではあるけど」
アンバーオックスは小さく鼻で笑った。
「今更ではあるけど、あいつに惚れるのはやめた方がいいわ」
私は首を傾げて、彼女を見た。
「アンバーオックスは、昔からの友達なんだよね? なのにそういう評価?」
アンバーオックスは視線を窓の外に移し、遠くを見つめるように言った。
「そうよ。あの王様とは腐れ縁ね。幼稚舎の頃からの付き合いよ。出会わなければ、もっと明るい性格になれたのでしょうけど」
「へぇ、確かにそうかも。アンバーオックスは泥水みたいな人間性だから、明るい性格は目指したいよね」
「殺すわよ」
「冗談、冗談です。言い過ぎました、ごめんなさい」
「爪一個で許してあげる」
「分かった」
私は人差し指の爪を剥いでアンバーオックスに渡した。
「バカじゃないの? バカじゃないの? バカじゃないの? 本当に爪を剥ぐなんて何を考えてるのよ!!」
「うっそーん。手品でーす。びっくりした?」
「決めたわ、貴方はプレス機で潰してあげる」
「なんでプレス機?」
軽口をアイスブレイクにして、さっきの性格について、少しだけ自嘲が混じっていた。
それを感じた私は静かに尋ねた。
「アンバーオックスは明るくなりたいの?」
アンバーオックスは一瞬、私を振り返り、赤い瞳を細めた。
「自分の性格がキツイのは自覚しているわ。負けず嫌いで、意地っ張りで、努力ばっかりして、それに加えて正論しか言わないから嫌われる……でも、変えられないのよ。あいつと比べ続けてきたから。合理的じゃないと、周回遅れになる。だから私は私にしか時間を使えない」
彼女は小さく息を吐き、再びリコンフィグの輪を見た。リコンフィグは今、誰かの魔法で写真を撮られて、笑顔でポーズを取っている。
私は、アンバーオックスの横顔を静かに観察していた。クールで、口数が少なく、いつも少し距離を置いているように見えるアンバーオックス。でも、今の言葉には、深い諦めと、それでも消えない執着が滲んでいた。
彼女は、リコンフィグに勝てないことを知っている。
貧乏と努力で埋めようとしてきたギャップを、ずっと背負っている。それでも、幼馴染としてのポジションを、手放せない。明るくなりたい、と言葉にはしなかったけど、少しだけ、羨ましそうに、リコンフィグを見ている。
私は、心の中でアンバーオックスを考察する。彼女の負けず嫌いは、劣等感の裏返し。
キツイ性格と口調は、己を守るための鎧。
リコンフィグの隣に立ち続けることで、自分を保っている。でもそれは疲れているだろう。
私は静かに、アンバーオックスさんの肩に視線を落とした。彼女の制服のブレザーは、少し色褪せている。それでも、いつも清潔で、きちんと着こなしている。
努力の痕跡が、静かにそこにある。教室の喧騒はまだ続いていた。リコンフィグの笑い声が、遠く響く。
私は、ただ、黙ってそのすべてを、静かに観察していた。
教室の喧騒が少し遠のいた気がした。
私は自分の席に座ったまま、アンバーオックスの横顔を静かに観察し続ける。
彼女は窓際に立ち、腕を組んで、リコンフィグの輪を眺めている。赤い瞳はクールで、表情はほとんど動かない。でも、指先が制服の袖を軽く握りしめているのが見えた。
わずかな、でも確かな緊張。
私は、心の中で彼女の精神性をさらに深く考察する。
アンバーオックスは、負けず嫌いの塊だ。それは、単なる性格ではない。生き延びるための戦略だ。貧乏な環境で育ち、「努力だけが自分の武器」と幼い頃から刷り込まれた。
リコンフィグという、圧倒的な存在を隣に置き続け、生まれながらの格差を、毎日、目の当たりにしながら生きてきた。
リコンフィグは外側だけ見るならすべてを持っている。
美貌、家柄、才能、称賛、周囲の愛。
アンバーオックスはそれを「努力」で埋めようとした。勉強で近づき、態度で強がり、雑に扱われても耐えて、「私が我慢しないとリコンフィグの味方がいなくなる」と、自分に言い聞かせてきた。
それは、自己犠牲の極致だ。素晴らしく、尊い。でも、同時に、深い執着だ。リコンフィグの隣に立ち続けることで、自分の存在意義を保っている欺瞞の安定柱。
離れたら、自分が崩れると知っている。勝てないと認めたら、無価値感に飲み込まれると知っている。だから、負けず嫌いを手放せない。
キツイ性格を、鎧として着続けている。
彼女は、自分が変われるとは思っていない。「もっと明るい性格になれたかもしれない」と口にしたけど、それは、ただの仮定の話だ。
本当は、変えたくないのかもしれない。変えたら、これまでの努力がすべて無駄になる気がするから。
彼女は、リコンフィグを憎からずにはいられない。でも、離れられない。
腐れ縁とは、まさに表現としては適切だ。
「腐った縁か。呪いとまでは言わないけど、厄介な状態だね」
「何が?」
「アンバーオックスちゃんの置かれている状況について考えてた」
「一側面だけみて私を知った気にならないで」
「そうだね、そうだと思うよ。タイプとしては私とアンバーオックスさんは同じジャンルだ。私は人間を天気に例えるのと似ているからね」
リコンフィグがフランスへ行く話を聞いて、彼女の心は少し揺れたはずだ。
一週間、隣にいない。
雑に扱われることもない。でも、同時に、「リコンフィグがいないと、自分はどうなるのか」という不安も、かすかに芽生えているだろう。
勉強で勝つというのは、単純に負けず嫌いもあるだろうが、それで大切な人がいない生活が始まるにあたっての孤独から逃げるツールなのかもしれない。
アンバーオックスは、疲れている。努力の報われなさを、どこかで知っている。でも、止まれない。私は、彼女の横顔に、静かな、深い孤独を見た。クールで、強そうで、近寄りがたい。
でも、内側は、幼い頃からずっと、誰にも見せていない痛みを、一人で抱え続けている。
彼女は、私に警告した。
「あいつに惚れるのはやめた方がいいわ」
それは、忠告であると同時に、嫉妬でもあるかもしれない。私は、静かに息を吐いた。
アンバーオックスの精神性は、鋼のように硬く、でも、どこかで、ひびが入り始めている。それを、どう受け止めるか。
私は、まだ答えを出していない。ただ、彼女の赤い瞳が、リコンフィグを見るときにだけ、わずかに揺れるのを私は、確かに見逃さなかった。
別の日、屋上でアンバーオックスさんと駄弁っている。
「人間って、天候みたいなものだと思ってる」
アンバーオックスは隣で腕を組み、赤い瞳を細めて私を見た。
「人間が天候? 何の話?」
「人間の性質。予測不能で、変わりやすい。雨が降ってきたら傘を差す。晴れたら上着を脱ぐ。暑くなったら水分を取る。全部、自分主体で対応するだけ。天候そのものを変えようとは思わない。変えられないから」
アンバーオックスさんは小さく鼻で笑った。
「らしいわね、インフェクション。あなたはいつも、そうやって距離を取ってる。だからこそ、気持ち良い空間に繋がるのでしょうけど」
私は肩をすくめて、空を見上げた。
「距離を取ってるっていうより、巻き込まれないようにしてるだけ。他人の感情や行動は、結局『天候』。予測不能な現象として受け入れて、最適対応を選ぶ。それでいいと思ってる」
アンバーオックスはフェンスに肘をかけ、視線を遠くに移した。
「私は違うわ。人間は、天候なんかじゃない。もっと……揺れ動く、複雑なものよ。善い部分と、醜い部分が同じ人間の中に共存してる。綺麗な笑顔の裏に、嫉妬や憎しみや、弱さが隠れてる。それを全部見て、初めて『この人を知った』って言えると思う」
私は少し首を傾げた。
「全部見るって……疲れない? 醜い部分を見たら、嫌になる人もいるでしょ」
アンバーオックスは静かに息を吐いた。
「疲れるわよ。すごく疲れる。でも、それを見ないで『優しい人』『いい人』って決めつけるのは、結局、その人を浅くしか知らないってこと。私は……そういう軽薄な態度は嫌なの。リコンフィグみたいに、綺麗な仮面だけ見て、王族って崇めるのは簡単だけど、仮面の下のわがままや、孤独や、脆さを見たら、そこで初めて、どう付き合うかを自分で決められる」
私は彼女の横顔を見た。
「それって、覚悟がいるよね。醜い部分を見て、離れる選択もするってこと?」
アンバーオックスさんは小さく頷いた。
「そう。離れるのも、一つの答え。でも、醜い部分を見て、それでもそばにいる選択をするなら、それは本当の意味で『好き』って言えるんじゃないかしら。綺麗な部分だけを愛してるんじゃなくて、全部を抱えて、それでも一緒にいたいって思えるかどうか」
風が強くなり、私の髪が顔にかかった。私はそれを耳にかけて、静かに言った。
「人間に求め過ぎな印象はあるけど、確かに一つの選択肢としてはアリかな。私は、そこまで深く知りたくないかも。天候みたいに、表層で対応すれば、傷つかずに済む。予測不能な部分は、データとして蓄積して、統計情報として次に備えるだけでいいと思ってる」
アンバーオックスは苦笑した。
「それも、あなたらしいわね。あなたは、自分を守るのが上手い。私は……守るより、知りたい。知って、傷ついて、それでも残りたいか、離れたいかを、自分で決めたいの。それが、私の負けず嫌いなところなのかもしれないけど」
私は少し笑った。
「負けず嫌いって、そういう意味もあるんだ」
アンバーオックスさんは赤い瞳を私に向けた。
「そうよ。自分の中の醜さも、ちゃんと見つめて、それでも前に進む。それが、私の勝ち方なのかもしれない」
「強いね。強固で強靭。でも柔軟性はないからそこは不安かな」
「硬いからこそ、私は人付き合いが下手なのでしょうね。知りたいからこそ、人の心を土足で踏み荒らしてしまう」
「厄介だよね、そういうの」
夕陽が地平線に沈み始め、空が橙色に染まっていく。私はフェンスに背を預け、静かに言った。
「まぁ、どっちが正しいとかはないけどね。ただ、生き方の違い」
アンバーオックスさんは小さく頷いた。
「そうね。あなたは精神の天候を観測して、最適対応を選ぶ。私は人間の全部を見て、自分で答えを出す。どっちも、間違ってないわ」
風が再び吹き、二人の髪を乱した。私たちは、しばらく黙って、空を見上げていた。
夕陽が完全に沈むまで、ただ、静かに、それぞれの考えを胸に抱えながら空を見る。
放課後の屋上は、風が少し冷たくなっていた。夕陽が地平線に半分沈み、空は橙と紫が混じり合うグラデーションを描いている。
フェンスにもたれかかった私とアンバーオックスは、肩を並べて立っていた。下のグラウンドからは、遠くサッカー部の掛け声が微かに聞こえてくる。
私はぽつりと口を開いた。
「哲学とか好き?」
アンバーオックスは赤い瞳を細め、軽く肩をすくめた。
「嗜む程度だけど」
「誰好き?」
彼女は少し考えて、静かに答えた。
「カントやヘーゲル」
私は小さく笑った。
「うわ、それっぽい。理性的な部分とか、秩序を重視する感じが、アンバーオックスさんらしい」
アンバーオックスさんはフェンスに肘をかけ、視線を夕陽に向けたまま、淡々と続けた。
「カントは義務と理性の厳格さ、ヘーゲルは歴史の弁証法と全体の統合……どちらも、感情に流されず、論理で世界を捉えようとするところが、心地いいの」
私は彼女の横顔を見ながら、軽く頷いた。
「わかるかも。そのへんは確かにデータ型の私に通じるものがある。でも、私はニーチェとサルトルが好きなんだよね」
アンバーオックスさんは私に振り返り、赤い瞳に興味の光を浮かべた。
「ニーチェとサルトルね。主体的な行動前提としてあって、自らの価値は自ら作り上げるところとか……それっぽいわ」
私はフェンスに背を預け、空を見上げた。
「うん。ニーチェの『神は死んだ』とか、『超人』とか、サルトルの『存在は本質に先立つ』とか……結局、自分で意味を作り出さなきゃいけないってところが、好きなんだよね。他人の価値観に縛られず、自分の規範だけで生きる」
アンバーオックスさんは小さく息を吐き、風に乱れる黒髪を指で押さえた。
「あなたらしいわ。他者を『天候』として扱って、自分主体で対応する……それも、ある意味でニーチェ的な自己肯定よね。『汝自身になれ』って」
私はくすりと笑った。
「そうかも。でも、アンバーオックスさんはカントみたいに、普遍的な義務とか、理性を重視するから、人間の醜い部分を見ても、『それでも理性で向き合わなきゃ』って思うんでしょ?」
アンバーオックスさんは少し考えて、静かに頷いた。
「そうね。カントの定言命法みたいに、『他者を手段ではなく目的として扱え』って部分が、私の中の基準になってる。醜い部分を見ても、そこで逃げない。理性で、ちゃんと向き合う」
私は彼女の言葉を聞きながら、夕陽が完全に沈むのを眺めた。
「こういう議論は楽しいな。私は自分を守るために距離を取る。アンバーオックスさんは、距離を取らずに、全部見て、受け止める。生き方の違い。たぶん対立するけど、こうして語り合えるのは、やっぱりアンバーオックスさんが優しいからなんだよね」
アンバーオックスは小さく笑った。
「ええ、好きなのは感情が溢れる作品だけど、教養として哲学はあると便利ね。リコンフィグも、家柄的にならうでしょうし」
「確かに。上に立つものとして、哲学を学べば深くなるの間違いない。その知識をひけらかすタイプでもないし」
風が再び吹き、二人の髪を乱した。夕陽が完全に消え、空が深い藍色に変わっていく。
私たちは、しばらく黙って、それぞれの哲学を胸に抱えながら、挨拶をして帰路についた。




