氷に花を浮かべる
読みかけの本に、しおりを挟む。
時間に追われることばかりが増えて、最近めっきり文字を読まなくなった。
「ごめん。もうちょっとだけ待ってて」
時計を見上げて、時間を見る。
あと30分は余裕があると思ったんだけど。
繰り返し呼ばれて、これ以上は引き伸ばしきれなくなって立ち上がる。
心の中で呟いた言葉を飲み込んで、席を立つ。
ポンと置かれた本を一瞥して、ため息をつく。
あの本はきっと、もう読む時間が取れないだろう。
仕方がない、仕方がない。
口癖のように繰り返される言葉が嫌いだ。
それでも、仕方がないのだ。
どうすることもできず、変えることができないことをとやかく言ってもどうにもならない。
「私は何を、間違えたんだろう」
正しくは、どこから何を間違えたのか。
どの時点からが間違いなのか、どの選択が間違いなのか。
望まないことばかりが積み重なって身動きが取れなくんっていく心の中で、問いだけがループしている。
友だちだった誰かさんとこんなにも距離が開いてしまったのは、間違いなく私の責任なんだけど。
読むことができない本を未練がましくなでて、そっと目を伏せる。
誰も彼も、思い通りの人生なんて生きられない。
何某かが欠けていて、いびつで、滑稽で哀しくて。
人生っていうのはそういうものなんだと思う。
鼻息荒く、時には虚勢を張って将来を語っていた学生の頃でさえ、思い通りにならない、見通しのきかない自分の人生に足がすくんでばかりだったけれど。
今でもあの頃と何も変わらない。
自分の足元すら見えないような、そんな道をおっかなびっくり歩いている。
君も、そうなんだろうか。
うつむいたまま、そんなことを思う。
連絡先も、連絡手段も、ありとあらゆるものを断ち切ってしまっても。
私の中に残った感情が、ささいなことから君へと傾き始める。
こうなることが分かっていたから、物理的に距離を置いたのに。
忘れ物が、巡り巡って届けられてしまうなんて思わなかった。
思いの外面倒くさい自分に、今も昔も、手の打ちようも手のつけようもない。
「まだー?」
催促の声に、現実に引き戻される。
そう。今も昔も、友人というものは私にとっては非現実でしかない。
私は、私自身という存在に閉じ込められて逃げられない。
自由も、可能性も、望むほどに零れ落ちる。
その絶望感から、逃げられない。
どれほど否定を繰り返されても、ここから自由になる術がないのは、私も一緒なのだ。
「はーい、今行きます!」
私は、何も願えない訳じゃない。
私は、何も願わない訳じゃない。
自分の願いと責任とを天秤にかけた時に、いつでも責任の方に比重が傾くだけ。
置かれたままの読みかけの本を振り返り、苦笑する。
「それでも私は、君の幸福を」
もしも願うなら、祈るなら。
そこに自分自身を勘定に入れないこと。
いつか友だった君の幸福を、成功を、願いの成就を。
それだけを願った私を、私だけは、誇ろうと思う。
私は無欲でも、高潔でもない。
それでも、物事には成就する条件が必要なことを知っているから。
だから私は、私自身の幸福を願わない。
美しい花を美しいまま凍らせるように。
私は私の願いを、色あせないままに凍らせることにしたのだから。




