初日
どんなことでも、最初は緊張するものだ。
今日は、新しい高校に登校する初日。どんな子が、いるのか、どんな、担任の先生なのか、いろいろと気になっていることがあったけれど。
わたしが、少し、残念だったのは、チャトランが、まだ生まれていないことだった。だから、今日は、わたし一人で登校しなければならない。心細いけれど、仕方のないことだ。
わたしは、リボンで飾った美しい木箱に入れた、チャトランの卵をそっと、覗いてみた。昨日よりも、卵表面の模様は、くっきりと美しくなってきている。
また、今日、学校から帰ってきてから、温めてやるからね、とそっと声を掛けると、わたしは木箱の蓋を、閉じた。
クルルウ、と微かに泣き声のような声が、聞こえた気がしたけど、気のせいかな。
チャトランは、個体によって鳴き声が違うから、今度の子が、一体、どんな声で甘えてくるのか、わたしは、いまから楽しみで仕方がない。
それが、どんな鳴き声であったにしろ、たっくさん、たっくさん、可愛がってあげよう。
そんなことを、思いながら。
わたしは、通学路を歩いていた。
「転校生の、鶴我姫乃さんです」、と担任の先生が、わたしを紹介すると、教室中の視線が、わたしに集中した。わたしは、品評会に出された品物のように、皆から品定めでもされているような気分になって、ちょっと顔が赤らんだ。
圧力に負けないように、わたしだって、教室中をぐるり、と見渡した。高校一年生にもなると、顔も大人びた生徒が、ちらほらと散見される。そう・・・・・・自我に目覚め始めるころ、そんな時期が、一番、危ない。お父様は、それが分かっているに、違いない。果物で言えば、ちょうど、実が熟し始めるころ。
しん、としていた教室が、にわかにざわざわ、とし始めた。わたしが、じっと黙ったまま、一向に自己紹介しないのを不気味に感じたのか、沈黙に耐えかねたのか。
それとも――。
わたしの目の色が、自分たちとは違うことに気づき、むくむくと警戒心を、募らせたのかもしれない。無数の黒い目と交錯する、青い目。
気味悪がられることには、十分慣れているわたしだったが、それでも、差別意識の混じった幾多の視線を浴びせられるのは、気持ちいいものではなかった。
チャトランが、いれば。
そう、チャトランと一緒なら、平気なのだけれど。
一人で、敵地へやってきた斥候のような気分。
担任から、指定された席に着いてからも、わたしへの興味が尽きないのか、わたしをちらちらと盗み見る視線は止むことはなかった。特に一部の女子などは、わたしの方を見ては、何かを小言で囁き合い、くすくすと笑うのだった。
それは、あまり気分のいいものではなかった。初日からこんなでは、先が思いやられる。
そういえば、わたしの隣の子の席だけ、どうも周りから孤立していないだろうか。明らかに他の子たちとの距離が離れているのだ。教室のずっと後ろで、まるで漂流する一艘の小舟のように。見捨てられて彷徨う、子羊のように。彼女の席だが、全体のまとまりから、切り離されていた。
わたしは、気になって、彼女のことを観察してみるが、はあ、なるほどと納得がいった。暗いのだ。その表情から、醸し出す雰囲気にいたるまで、どんよりとしている。ブレザーは、しっかりと洗濯がされていないのか、よれよれとしていて、部分部分に汚れが目立つ。髪の毛はおかっぱ風だが、しっかりと洗髪をしていないのか、少し匂うようだった。わたしと、目が合うと、びくっと怯えた表情を見せる。
はあ、とわたしは、小さくため息を吐いた。
また、嫌なものを見せられる気がして、わたしは、とても気が滅入ってしまった。
お父様は、喜ぶのだろうけど。
給食の時間になると、それぞれがおのおの、グループを作って、給食を食べ始めた。一人で、取り残されているのは、その子と、わたしだけだった。
わたしは、警戒されているのだろうけど、その子は、明らかに除け者にされていた。
教室中に、漫然と広がる喋り声。ときどき、沸騰したヤカンのようにあがる笑い声。その合間合間に、カチャカチャとスプーンで食器を叩く音。
たいして、食欲もなかったが、わたしもスプーンで味の薄そうなシチューをすくい、口に入れてみた。やっぱり、味が薄くて、おいしくない。
ふと、気になって、隣の子を見ると、彼女はスプーンを持ったまま、固まったようにじっとしている。よく見ると、スプーンを持った右手が、ぶるぶると、小刻みに震えていた。顔が蒼白で、いまにも卒倒しそうな表情をしている。
どうしたのだろう? 献立に、何か嫌いな食べ物でもあるのかな。それにしても、どこか尋常じゃない、様子だった。
自然と、わたしの視線は、その黒い小さなものへと、引き寄せられた。シチューの上に乗っているその――
わたしは、すっと、立ち上がって、彼女のもとに近寄った。シチューの隅の方に、埋もれるようにして、それ、が顔を覗かせていた。それ、はおそらくゴキブリの死骸だろう。シチューのクリーム色の中に、黒い羽根が広がって、まるで、泳いでいるかのようだった。まだ、息があるのかもしれない。
わたしは、きっと、視線を強くして、教室中を見渡した。誰かが、このゴキブリを、彼女のシチューに入れたのだ。
わたしは、自分の席に戻ると、自分のシチューの皿を、彼女のところへ持っていき、彼女のゴキブリの入ったそれと、交換した。
「わたし、食欲が、ないから」
彼女は、呆気にとられたような表情で、わたしを見上げた。それと、同時に、複数の視線が、同時に私の方へ向けられているのを感じた。それは、肌を突き刺すような、邪悪で、悪意の籠った視線だった。
そんな視線には、もう、慣れっこだ。
わたしは、何食わぬ顔で、自分の席に戻ると、シチューの皿を取り上げ、近くにあったゴミ箱へ、中身をぶちまけた。
いつの間にか、教室は、しん、と静まり返っていた。
担任の教師だけが、一人、黙々と食事を続けていた。




