挨拶をしよう。
文字を書きはじめて三日が経った。ただ書いているだけでなく、お母さんが持ってきた本や絵本を見ながら色々と考察した結果、文章はおよそ三十文字を組み合わせてできているとわかってきた。ただ、単語がさっぱりわからないのでどうしようか悩み、三歳児特有の戦法『なんで?これ何?』戦法を使う事にした。
お仕事前や後のお父さんに『これ何?』と単語を聞いたり、お母さんやお兄さんやお姉さんに『これ何?なんで?』と繰り返すのだ。お父さんはすごく嬉しそうに答えてくれるし、お母さんは仕事の手を止めてしっかり教えてくれる。お兄さん二人は『なんでだと思う?』と考えさせながら教えてくれるし、お姉さんは応用を教えてくれる。あまりにも教え方が上手いのでエスナに聞いたらお父さん、お母さん、ロイック兄さん、ミシェ姉さんは初等学校で上位に入る秀才だったらしい。その後を継いでストラ兄さんは試験で毎回一位をとる天才で商科学校や王立学園(国の最高学府っぽい?)から是非うちで預らせて下さいと言ってきているそうだ。何そのハイスペック家族。僕もその後を引き継がなきゃならないのか…辛いなぁ。
そんな事を考えながら朝書取りをしているとバトラーとハウスキーパーのベントフ夫妻が帰ってきた。旦那さんはドルト、奥さんはアニナという名前だ。ドルトはお父さんの右腕でお父さんのスケジュール管理やお店の来客担当や商会員の仕事の割り振りなんかしている。バトラーといえば執事を思い出すのだが、厳密に言うと違うそうだ。アニナはうちの家政全般を担っていて、母の補佐として仕事をしているらしい。
普通三歳ではそんな事はわからないと思うが、記憶が整合する前からなんとなく仕事内容を理解しているのは地頭が良いからなんだと思う…リーリシアさん、ありがとう。
ベントフ夫妻は戻ってきてから家族の揃っているところにやってきて、お休みをいただいてありがとうございます、と言ってきた。お父さんは『何を他人行儀な、家族だろ?』と言い、お母さんは『またお休みを取ってもいいのよ。あなた達はよく働いてくれるのだから』と言った。普通、使用人と言えば下に見るのが当たり前だと思うがうちの両親はそんな事はない様で嬉しく感じた。
お父さんとドルトはお店の準備に出て、お兄さん達は学校に出かけた。お姉さんはお母さん指導による花嫁修行だ。アニナが僕のところに来た。
「リョウ坊ちゃま。今日は何をなさいます?」
「お庭走るの。アニナ、来て」
「はい、お供しますね」
「んふー。アニナ、これ見てー」
と書取りしている紙を見せる。
「まあすごい。お坊ちゃまはもう文字の勉強をなさっているのですね」
「アニナ、ちょっと待ってー」
僕はアニナの文字を書いて手渡す。
「アニナ、あげる」
「まあ、すごい。ありがとうございますー」
と抱きしめられた。
そのままアニナに手を繋がれて、廊下に出た、窓ガラスから庭に見ると今日はペランスが警備していたので、部屋に戻って準備して中庭に出た。
「おはよう、ペランス、この前、ありがとう」
「いやいや、元気になって良かった。心配してたぞ」
「うん。元気になった。これお礼」
とペランスの文字を書いた紙を渡した。
「これ、僕、書いた」
「おおう。すげえな。ありがとよ」
「うん!」
そのままアニナの監視の元、中庭をぐるぐると走り回り運動をし、部屋に戻った。ふと思いついたのでアニナにお願いしてみる。
「アニナ、お願い!」
「なんでしょう?」
「みんなに挨拶、ダメ?」
「私にもドルトにも挨拶してくれましたよ」
「ん、みんなはみんな。マスやお店の人、ダメ?」
「旦那様に聞いてまいりますね。挨拶くらいなら許してくれると思います」
「ありがと。書いてる」
「はい。言ってまいります」
書取りをしているとアニナは戻ってきた。オッケーだそうだ。
僕は玄関からお店に出て二十人ほどいる商会員に一人一人挨拶していった。元気よく、ハキハキと。僕はリーリシアさんに魅力を鍛えたいと言った。その実践だ。
お父さんやベントフ夫妻もニコニコしている。挨拶している中でそれぞれの役割というものがわかってきた。番頭さん、幹部、商会員、丁稚みたいな区分けだ。番頭さんはお爺様と同じ歳くらいで二代続けて番頭さんをやっているそうだ。この人がキーマンだな、と思って色々と質問をする。番頭さんはモムノフさんと言うらしい。この人もニコニコしながら話をしてくれた。
(おい、モムノフさん笑ってるよ)
(すげえな坊ちゃん。モムノフさんがあれだけ相好を崩すなんて)
(さすが商会長の息子さんだ)
なんてコソコソ声が聞こえてきたが聞かないフリをしておいた。
そうこうしてるうちにお店の開店時間になった。丁稚さんがお店の前で呼び込みを始める。僕も横で「いらっしゃいませー」と声をかけてみる。
お店から爆笑が聞こえるが、まあいいやと呼び込みを続ける。あまりに小さい子が呼び込みをしてるので気になったのだろう。気づいた何人かがお店に入ってくる。案内するとチップをくれる。しばらくしてお父さんにもう良いよ、と止められたので止める事にした。お父さんにチップを渡すと取っておけと言われた。
かくして僕は三歳にしてお金を稼いでしまったのだった。