10話
勇真がどうして怒ったのか分からず、優魔も井上も黙ってしまう。
気まずい時間が流れていた。
それを最初に破ったのが、井上であった。
「ずっと思っていたんだけど。あ、君の名前何ていうの?」
「ゆ、ゆうま…」
気を取り直して、優魔の名前を名乗ろうとするが、苗字が難しかったことしか覚えていなかった。
不自然な間が空いてしまう。
「優魔・ジークローゼン」
「へえ、かっこいい名前ッスね」
優魔がその間を取り持ったことで、井上は疑いを持つことはなかった。
「まあ、俺もくだけているから人のこと言えないし。俺自身は気にしてないんだけど、目上の人に初対面だったら、敬語使った方がいいかもよ」
「あ…」
勇真自身は仕事の上司や学生時代の先輩に対して、敬語は使ってきていた。
しかし、自分が井上より年上だという意識を持ち合わせたままだったので、敬語を使うことを忘れていた。
出会い方が悪かったせいで、敬語を使った優魔の姿も見られなかったため、井上と優魔の姿が初対面だったから問題なかったとはいえ、優魔の演技が全くできていなかった自分に呆れている。
「す、すみませんでした」
年下に敬語は使いたくないなどという小さなプライドは持ち合わせてないし、今から巻き返せるかは分からないが、少しでも優魔らしくしようとする。
「だから、俺相手に気にしないでいいって」
そんな葛藤に全く気づかない様子で井上は笑っている。
「まあ、見た目ちょっと派手だし、口調も荒かったから、ヤンキーかなとも思ったンスけど。名前聞いたら、海外の血入ってるみたいだし」
「初めての人がいるから、緊張しているだけで、普段はちゃんと話せるから」
自分で自分を擁護することを変に思いながらも、優魔が口を挟む。
「そういや、所々赤志さんも口調柔らかい気が」
「そ、そうか?」
順応性の早さを見せた優魔だが、まだこの二人は会って数時間の関係であり、入れ替わりという通常起きないことが起きたときの親密の深さもまださほどない。
まだ完全にはお互いの性格をつかみきれていないのである。
「井上、お前とは会ってどれくらいになるんだっけ?」
勇真本人が名前忘れていたくらいだから、まだそれほど経ってないだろうと、いちかばちか聞いてみる。
「俺がこのバイト入ったのは今年度からで…」
指折り数えていく。
「三回目くらいッスね。曰く付きの引っ越し作業なんて、滅多にないし。一回の給料が多いから、少なくても稼げるし」
「へえ」
もともと危ないところで仕事していたのかよと、目が語ってくる。
その目からそらしていく。
「でも、今日のことで赤志さんリスペクトなんで」
井上は勇真の姿の優魔に、にっと笑いかけた。
「ここで何があって、どうして怪我したのか聞いてもいい、ですか?」
勇真は井上の顔色をうかがう。
「…うん」
そのときのことを思い出し、真っ青になりながらも、うなずく。
「と言っても、俺もよく分かってないンスけどね。隣の部屋でスマホ見つけて拾い上げたところで、背筋がゾクッと寒気がした」
恐る恐る振り返ると、そこには何もいなかった。
ほっと、安堵のため息をつく。
しかし、安心した瞬間、風が腕を切り裂く。
「痛え!」
大きな叫び声を上げる。
腕からは血がしたたり落ちていく。
辺りを見渡すが、何もいない。
でも、目には見えない悪意のある存在がこの部屋にいることは分かった。
部屋を飛び出していく。
今日の引っ越し作業で隣の部屋にクローゼットがあったことを思い出し、そこで息を潜めることにした。
クローゼットの隙間からのぞき込む。
何も見えないことには変わらないが、微かなカサカサした音が部屋を通り過ぎていくのが分かった。
しかし、どのタイミングでそこから出ればいいのか分からず、意気消沈していた。
「ちょうどそのときにやってきたのが赤志さんたちだったンスよ」
真っ暗な廊下を進んでいく。
「運がよかったですね。見えない一般人が怪我程度なんて」
魔物の存在を実感して、優魔は素が出てしまった。
「もしかして、赤志さんここにいる奴のこと知っているンスか?」
「い、いや…」
突っ込まれたことを聞かれて、何と言っていいか分からず、口よどむ。
「もしかして、赤志さんゴーストバスターか何かッスか?」
「…まあ、そんなところ」
優魔が負ぶっているため、視界には入らないが、目がキラキラ輝いていて、声から興奮を隠しきれていない。
「勝手な属性をつけないでくれ」
小声でつぶやく。
「まあ、上の人が記憶消すと思うから。一般人が魔物と遭遇したときする対処方法」
「もしかして、優魔くんもそうなのかな?」
「…そうですね。先輩のあか、勇真さんから勉強させてもらってます」
記憶が消されると分かったので、ゴーストバスター設定に乗っからせてもらう。
階段を降りていき、ようやく玄関前までたどり着いた。
「こんな大変なこと起きるの10年ぶりだな」
「10年?」
「うん。そのときは、今と逆で俺より小さい子を負ぶってたけど」
その発言を聞いて、勇真は井上に振り向く。
「お前、もしかして…」
そのとき、勇真の視界に黒い線状のものが飛び出してくるのが見える。
「あれ、優魔くんって、どこかで会ったことある…」
「優魔、しゃがめ!」
とっさの発言だったが、声に従って動いた。
頭上に風を感じる。
一瞬通り過ぎたら、近くにあった階段の持ち手が切り裂かれているのが見えた。




