情けは人の為ならず(4)
二人が出発した二日後、スコトスの兵士が冒険者ギルドへやってきた。
「失礼。こちらで、死刑囚のモニカ・ディーオンという薬師を見かけたと通報が入った。なにか、知っている者は?」
数名の部下を従えて、彼は受付の方へと歩いていった。
その場にいた冒険者は、一斉に殺意を向ける。見るからに高そうな軍服。刃こぼれを知らぬ剣。高貴な態度。髪はつやがあり、香水の匂いが香って、かつかつと鳴るブーツは、使い込まれてこそいるものの、非常に美しい。
その服を売って、明日の飯に変えさせてくれよ。
そんな気持ちである。
「モニカ・ディーオン? もしや――」「――特徴を言ってくれねえと、なんも分かんねえよ。なあ? アードルフ」
受付を遮り、冒険者が問いかけた。兵士はそのだらしがない酒の飲みように、気分を害したように剣の柄に右手をかける。
「そうですねえ、こちらとしても、大切な冒険者の個人情報をもって協力しようって話ですからなあ。罪状と容姿くらいは教えてもらわなくちゃ」
受付は顎を撫でつつ、兵士をちらちらと覗いた。冒険者を敵に回すと生きていけないからだ。兵士はその様子に、ぎりぎりと唇を噛んだ。
「……年回りは十四程度。桃色の髪が肩まであり、目は金。白いエプロンと、ブラウス、薄緑のワンピース、緑色の外套が脱獄当時の姿だ」
「罪状は?」
しばらく黙っていたが、兵士は苦渋の決断を下した。すなわち、話す、と。
「国王陛下の、毒殺未遂だ」
「……それはそれは、なんともまあ」
かのスコトス国王が、毒殺未遂。臣下、本人共に能力が落ちた。そう思われるのだ。
「それで、死刑囚の情報は?」
失態を取り戻そうと、また正義として悪を追う者の執着の視線が、早く話せと脅す。生きることに絶望した者特有の、昏い殺気を宿した死んだ目が受付を刺す。板挟みになった受付は、一つ息を吐きだした。
「モニカ、という冒険者は確かに登録が記録されていますがねえ、モニカ・ディーオンなんて知りませんなあ。モニカ、という名はこの辺りでは珍しいですが、どうも彼女、スラム育ちらしき言動をしていましてなあ、名前があるとは思えませんで、適当に書いた文字が、たまたまそう見えただけのように思える。お探しの者ではないかと。まあ、またなにか分かれば、お伝えいたしますよ」
数日。数日だけ、告発を遅らせる。それが限界だ。……彼とて、彼女の働きぶりは見ていた。助けてやりたいと、思わないでもない。
なぜ生きているのか分からず、なぜ生きていると他人に唾を吐かれ、それでも必死に生きている。そこに価値が生まれるならば、喜ばしいことではないか。
受付と兵士はしばらく睨みあっていたが、やがて、兵士が目を逸らした。
「少しでもなにか分かれば、連絡を願う」
「ええ、もちろんですとも」
カツカツと足音が遠のき、扉が閉められる。数秒の沈黙のあと、ギルド中が沸いた。
「おっさん! あんたも案外捨てたもんじゃねえなあ! オレら、すごいことやっちまったんじゃねえの? よりにもよってあのスコトス様に逆らうなんざ!」
ギラギラと死んだ瞳を輝かせ、彼らは肩を組んだ。
「俺たちのせいで、シュッツガイストが火の地獄になっちまうかもしれねえなあ!」
「そりゃあいい。お高くとまったお貴族様も、ゴミ溜めだの泥臭く生にしがみついてる人間の恥だの言われている俺たちが、全く同じ死に方なんか、ああ、笑えてしょうがねえ!」
「スコトスならやっちまいそうだなあ!」
ギルドは、開き直りの希望のような、どこか真っ暗などろどろとした怨嗟のような、そんな空気に包まれていた。
そんなギルドとは裏腹に、二人の情報を笑顔で漏らした人がいた。
時は数日前に遡る。
兵士らは消火活動を終え、罪人の目撃情報を探していた。協力者の、炎を生み出し操った女魔法使いも含めて。
そこで、強い意志を持って話しかけてきた領主がいた。
脅され、身分証を作ってしまった、と。
詳しい話を聞くため、兵士たちは屋敷へと入らせてもらった。
キラリと輝きを放っていた扉は泥で汚れ、廊下のカーペットはぼろぼろだ。人の家を、このように。兵士は顔を歪めた。気を引き締め、彼の書斎に立ち入った。
唖然とした。紙の束は崩れ落ち、椅子は投げ出されている。部屋全体が焦燥に駆られているようだ。
「ここで、情けないことに、私は……」
「貴殿は強いお方だ。領民の命を守ったのだから。その結果として、自身の紋様を貶めることになったとしても」
喉元から罪を告げようと動くそれに、兵士は力強い笑みをもって罪を罪でないとした。
「……ありがたいお言葉。貴方は……大尉、でしたか。中隊長とのことで」
「本来なら、私はこの地位に見合う人間ではない」
光を含んだ目で、まっすぐ領主を見つめた。
「大尉、というには、私はあまりに未熟なのだから。けれど、上官が厳しい人ですから。あの人であれば、私がいない間、しばらくその地位を守っておけと、そういう意味なのだと思います」
彼の笑みに合わせるように、領主は頬を緩めた。奇妙な言い回しではあるが、なにかしら意味があるのだろう、と。
「大変ですなあ。……話を戻しましょう。ここで、私は身分証を書けと脅されました。長い……銀髪? プラチナブロンド?というのですか、そんな髪色で、真っ赤な目をしていました。赤い軍服を着ていましたね。身長は、私よりも二十センチほど低かったかと」
「……え」
「私が百八十センチ程度ですから、およそ百六十センチかと」
「……大尉」
部下が声をかけるのを気にせず、大尉と呼ばれた彼は目を見開いて、軽く口を開けていた。もう一度、大尉?と呼びかけられると、やっと目に焦点が合い、絞り出すように聞いた。
「……もう、一人。モニカ・ディーオンという人物を知らないか?」
「ああ、私の使用人の一人が話をしたようです」
「特徴は?」
「それが、中々話してくれませんで。なんでも、薬を貰ったとかで」
「……それはっ」
兵が一歩進み、前のめりになると、落ち着いて、と彼は続けた。
「どうにか説得して、やっと聞き出せた情報が、感情の起伏がわかりにくい子でしたと。身長は百五十八程度に見えたとも言っていました」
「……それだけか? 罪人を庇っているとして、その者を捕らえても構わない、ということか?」
「違うのです。彼女は、例の赤い目をした者の方はよく話してくれました。彼女が庇っているのは、罪人ではない。親切をしてくれた、ただの優しい少女です。ご理解を」
「……そうか」
情緒が不安定にさえ見える彼の態度に、領主は困惑気味に、言葉を重ねた。
「二人について、なにか情報があれば、スコトスへ使いを出します。この件について、我々は全面的に協力しよう」
「……いや。その、長い髪の、赤い軍服の、赤い目の少女のことは、口外、しないでくれ」
「どうされましたか?」
汗をたっぷりとかいて、正気を失ったように、頼む、とか細く繰り返した。
それを、背後の部下たちは咎めなかった。同じように、顔色を悪くして俯くばかりである。
「はあ。そうおっしゃるのであれば」
こうして、ネルとモニカの二人は兵士たちから逃げおおせたのである。