情けは人の為ならず(3)
モニカはすぐに回復薬を作り、冒険者ギルドの外に出た。そこには、建物の陰で荒い息を吐いては吸ってを繰り返す男がいた。
彼は腹をぐっさりと刺されたようで、そこからだらだらとおびただしい量の血を流している。錆びた鉄の匂いが鼻をついて、むせかえりそうになる。
苦痛に歪んだ顔が、モニカを見上げた。
モニカはネルにしたように布できつく圧迫して、その上から回復薬をかけた。魔力造血剤も飲ませる。できることは、たったのこれだけだ。回復薬は内臓を治すわけではない。もしも回復できないほど傷ついていれば、終わりだ。それに、殺菌性のある薬を飲ませはしたが、傷ついているところまで届くだろうか。
ものの数分で、それを終わらせる。目に見えた成果が出始めたのは、二分後だ。ネルよりも、状態が酷い。
顔色はだいぶ良くなってきた。血液は足りた。あとは本当に、内臓だ。
モニカがじっと彼を見ているうち、気づけば周りに人が集まっていた。心配そうな者、面白いものを見かけた顔の者、モニカの動きを覚えようとしている者、様々だ。ギルドの人間が出てきて、もしも死体が増えると面倒だからどうにかしてくれ、とモニカに言ったりもした。
各々見守る中、十分後、彼は意識をはっきりと取り戻した。呼吸も元に戻っている。モニカは脈を計って、それが正常であることにそっと手を下ろした。
立ち上がった彼に、一目散に駆け寄ってきた者がいた。
「よかった。お前がいないと、そこらで野垂れ死ぬ羽目になってたからな。一人じゃ食っていけねえよ」
「そりゃ困るな。すまん、次から気を付けるわ」
「ほんとにな」
聞く人が聞けば、少しだけ違和感が残る言葉選びだっただろうか。あまりに、軽い。
「お嬢さん、助かったよ、ありがとう!」
「そっか、お前さんが……。ありがとう」
会話の矛先を向けられ、モニカは平坦な声で返した。
「礼には及びません」
「……ところで、お嬢さん。なんで、お前みたいな人間がギルドに?」
酒を飲んでいた冒険者とモニカが話していた景色は、不思議なものだったのだろう。聞かれて、モニカは言葉を詰まらせた。
「わたしの同行人がギルドに用があったようで」
「……あれか?」
冒険者が指をさした先には、モニカの様子を見に来ていた受付と、ネルとが、未だに言い争う姿があった。モニカは胃が重くなる錯覚を覚えながら、こくりと頷いた。
「ええ」
「……訳アリかあ? ありゃあ」
「彼女、スコトスの軍人で」
「あー、……」
同情したようにモニカの肩を叩いて、彼は受付の方に歩いていった。
「なあ、アードルフ。登録してやっても、いいんじゃねえか。俺らはバカだからな。軍服だかなんだか、よくわかんねえって。最近はなんだか、魔物も狂暴になってきて死者は増える一方だ。な? 悪くはねえだろ? それに、こいつがいれば優秀な薬師がくっついてくるんだ、邪魔ってことはないだろ?」
モニカに目配せした。モニカも彼らに歩み寄って、
「はい。この方がいるなら、わたしもいることになるでしょうね」
「……そこまで言うなら、仕方がねえ」
受付が折れた。ネルはやっと折れたか、と自信たっぷりな顔をして、鼻で笑った。受付がギルドへ戻ろうとしたところを、ネルの方へ戻って顔面を殴りそうになっていたが、それをモニカが諫め、なんとか彼らはギルドへ戻ったのだった。
「えー、こちらに必要事項を記入いただいて、ええ、それで、終わりです」
「ずさんだな」
「まあ、しょっちゅう死ぬもんでね。そのたんびにわざわざ情報整理がめんどくさいのなんのってんで、最低限の情報以外は書かせないんだよ」
いつの間にか薬師・医者としてモニカも冒険者登録されてしまった。
「いやあ、この型紙を使うの、偉く久しぶりだなあ」
との言葉をいただいた。
ネルはモニカに一泊適当なところでしろ、と言い残して、さっさとどこかへ消えてしまった。
モニカは頭を下げ、冒険者ギルドの一角を仕切って使える許可をもらうと、くるくる働き始めた。上質な回復や魔力造血剤、魔力回復薬などをできる限り作り(ネルから血液を採っておいた)、薬草に関することをモニカを対応してくれた受付に叩き込み、安価で作れる簡易キットの作り方も教え、さらには酒場で注文を取ったり、料理ができると知られると厨房に突っ込まれたり、とにかく働いた。もちろん、それに加えて怪我人を助けたりもした。
そのおかげで、ギルドにいた大半の冒険者とも顔見知りになった。くだらない失敗話やブラックジョーク、お偉い方に対する皮肉など、いいところの少女には少々刺激が強い話だったが、それなりに楽しめた。師匠の話や自分の話、空が綺麗だの、ある薬草は毒がとても旨いだの、なんてことはない話だ。
それがとても、懐かしい。
使用人や兵士たち、師匠とした話を思い出した。思えば、王室付きになってからそんな話はほとんどしなくなっていた。
毎日罵倒されたあの日々すら、今からすれば久しく感じてない思い出となっている。……まあ、悪い意味で、だが。
そうして、朝が来た。結局寝なかったな、と振り返りつつ、モニカは自身の匂いを嗅いで、同行人の身なりを思い浮かべた。
ほぼ確実に嫌味の一つは言われるだろうと思われる。できることなら彼女とは仲良くしたい。というわけで、モニカは受付へ尋ねた。
「……あの、わたしが入れるようなもの、なにかありませんか? ……水浴びを、したいのですが」
「ああ、はい。こちらをどうぞ。近くですと、ここから南西に進んだあたりに川があったかと」
「ありがとうございます」
モニカが水浴びを終え、ギルドに戻ってくると、ネルが既にいた。
「今すぐ支度をしろ。この街を出るぞ」