情けは人の為ならず
モニカは、喉が痛むのを気にせず、ネルに話しかけた。
「好きな食べ物とか、ありますか」
「ない」
「趣味はありますか」
「ない」
「生きることと死ぬこと、どちらが好きですか」
「黙れ」
げほ、と吐血した。実際に魔法が発動して、刃が軽く喉に刺さったらしい。モニカは諦め、呼吸の為だけに口を使った。
兵士が追いかけてきているので、洒落にならないくらい危機的状況である。ネルがモニカの足の遅さに我慢の限界が来たようで、モニカは襟を掴まれる。追いかけてきている兵を目の前に、モニカはいつものように、何も考えていない顔をした。
どこまで行けば安全か、想像ができない。
ネルがパチンと指を鳴らすと、後ろで(モニカにとっては前で)火柱が上がった。じわりじわりと周りを燃やし、勢いを強めていった。
その様子に、モニカは目を見開いた。炎が黒い煙を吐いている。民家に被害が出るのは確実だ。彼女は、そんな人間なのか。自分が、買いかぶりしすぎただけか?いや、それも大事だが、その前に。兵士に森で掴まったとき。あの炎は、もしかして……。
その疑問の声が出せない。息ができない。襟はやめてくれないだろうか、と二重の意味で思う。
隣町の隣町、くらいにまでたどり着いたとき、ようやくネルはモニカを離した。
ネルは振り返って、その場にへたり込むモニカを見下ろした。
「おい」
モニカは返事ができない。口は息を吐いて吸うためだけに使われている。
「……はあ」
心底呆れたため息をついて、ネルはどかりと座り込んだ。右足の膝の上に右腕を乗せ、その上に頭を乗せた。
とある建物の裏である。小規模な町だ。どこでも人の量なんぞはあまり変わらないだろうが。
「ここにもスラムですか」
唯一、人が多い場所。それがここだ。
「…………」
モニカの声に何を言うでもなく、ネルは目を動かした。
薄汚れた壁。ゴミのように転がる死体。誰も同じく正気も生気もない顔をしている。どこもかしこも細い。強烈な匂いが立ち込めて、何を見たって清潔感のせの字もない。輝くものがあるとすれば、刃物。そういう場所だ。
どんなところにも、スラムはある。別の世界では都市部以外には存在しない、と悪魔は言ったが、その真偽は定かではないし、どうだっていい。
ふと思い出して、モニカは尋ねた。
「あの、ドラゴンを殺す、というのは」
「……ここ、シュッツガイストにはドラゴンがいるな」
「ええ。ドラゴン、というのは、魔物の一種でしたね」
魔物。体の心臓や脳など、重要な器官が魔力でできているほか、魔力を定期的に体内に取り入れなければ死ぬ、狂暴な性格をしており、角や歯などが異常に尖っていたりするなど、様々な特徴がある生き物である。かつてこの世界に存在したとされる、動物に似ているが体の形が歪であり、変な部位が足されているかどこかが変に発達されているか、動物とは似ても似つかず、魔力以外のものをほとんど持たないものなど、多種多様であり、同一の種は存在しないと言い切る専門家もいる。
中でもドラゴン、というのは動物の特徴を持ちつつも体のほとんどが魔力の特殊なものである。巨大な翼と爬虫類じみた体を持ち、きらりと輝く鱗が非常に美しい。知能は人類と同程度持っているともいわれる。
魔力量も多く、頭が回るため、人類の大きな脅威となっている。
「それを、わざわざ殺そうとする動機は?」
「お前が気にすることじゃない」
「……そうですか」
モニカが探ろうと目を細めると、ネルは居心地が悪そうに目を逸らした。
「おい、もう十分だろう。さっさと立て」
もう少し休憩したかったが、ネルが立ってしまっては仕方がない。モニカは歩き始めたネルの後を追った。
ぐるりと建物を回り、正面まで来た。
看板には『冒険者ギルド』。目的地はここらしい。
冒険者ギルド、というと、国を跨いで存在する巨大組織なのだが、その実態は碌なものではない。登録した人間を冒険者として、命をかけて魔物を殺させる。冒険者は身分証が手に入りはするし、魔物を倒せば倒すほど、その死体を買い取ってもらったり依頼を出していた町や都市からお礼のお金をもらえたりはするが、それは命をかけるにはあまりにも少ない。
それでも命をかけなければやっていけないような人間――それこそ、スラムの住民なんかが冒険者になっている。結界魔法のない都市では依頼や魔物が多いため、案外好待遇であったりもする。安いお金で護衛をつけたい下級貴族が人目を盗んでこそこそと依頼を出したりもするので、常に仕事には困らない、ありがたい場所だ。
が、そんな場所であるため、高貴を好むような雰囲気のネルがそこを目指しているとは思わなかった。
ネルが崩れそうな扉を雑に開ける。一斉にこちらを覗く、濁った無数の目。いくつかテーブルが用意されており、そこにいくらか人がいる。木造の、ボロく脆いテーブルとイスだ。床もぎしぎしと軋む。石造りの壁にしたって血の染みが残っていたり、若干穴が開いていたり、明らかにまともではない空気を醸し出している。イスに座って昼間から酒を飲んでいるらしい冒険者たちは、すぐに二人から目を逸らして手元のギャンブルに夢中になり始めた。
冒険者ギルドには、酒場が併設されている場合が多い。売れるので。
ネルは彼らを視界に入れないようにして、カウンターの受付に歩いていった。
「登録をしたい」
受付はネルの服をみるなり、重たい息を吐いた。
「あんた、スコトスの軍人か。そりゃ駄目だ。スコトスで登録してくれりゃあ、構わんがね。ここで登録しちまうと、俺らが目エ付けられるんだよ」
うんざりしたような声に、ネルは気分を害したように眉を動かした。
「死にたいか?」
「おっと。そりゃあ困るぜ軍人様。こっちも相応のことをしなくちゃなんねえなあ」
笑い交じり。むしろ煽っているようにさえ、聞こえる。
モニカはそのやりとりから距離を取っていた。言い分としては、どう考えても受付が十割正しい。スコトスで登録できないなら、それは訳アリであり、国を超えて組織を作り上げているゆえに国の上層部に目をつけられがちなギルドとしては、勘弁願いたいのも無理がない。
と、そこまで考えて、特に自分がすべきこともないと判断した。
モニカはすたすたと、反対側のカウンターの受付に近づいた。
「あの、わたし、一級薬師をしております。設備を貸していただけませんか。魔力加工瓶と設備さえ貸していただければ、上質な回復薬を代わりに差し上げます」