自棄か寛容か
かっと、視界が光る。感情によって、魔力が魔法にならずともあふれ出てしまっているようで、少女の身体から赤い光が漏れでる。
呼吸ができない。反射的に首の方へ手を向けた。かっと頭が熱くなって、視界がぼやける。苦しい。強い感情で光った赤で、目が痛い。
だというのに、モニカの目は少女の瞳から何一つ動かない。ギラギラと暗い光を放つ赤い瞳が、いびつな赤色に照らされる。なんとも形容しがたい美しさに、半ば見とれていた。師が死んでから色あせた世界で、ただ一つ鮮やかに彩られているようだった。
少女は冷や汗を滴らせながら、どこかしら恐怖が奥に沈んだ目を歪ませて、それでも傲慢な笑みを浮かべた。それは、どこか狂気じみているようにも見える。
首にかけられた両手から、どろりと濁った赤色の刃が生み出されて、まっすぐ首に刺さった。魔法をかけた相手に、強制的に言うことを聞かせるような魔法だ。……補助魔法の、禁呪だったはず。世界統一で危険だからと使用が禁止されているはずの。
「……お前、は、あ」
話そうとして、自分の舌がまともに回らないことに気がついたのだろう、一度口を閉じて、唇を舐めると、深呼吸をして、もう一度口を開いた。
「お前は、今から私の言うことを聞け。いいな?」
モニカが目を細めると、少女は手を離した。突然投げ出され、モニカは後ろにしりもちをついた。口をへの字に曲げて、モニカにしてはかなりわざとらしく感情を出してみるのだが、少女は無視をした。
「私のことは、ネルと呼べ。私は、あるドラゴンを殺すつもりだ。お前も、それに協力しろ」
「……ぁ」
急に首の拘束がとかれたので、うまく声が出なかった。ネル、と名乗った少女は苛立ったように、
「返事は」
「……はい」
不機嫌な顔を作るのをやめ、いつもの顔で返答する。ゆっくりと立ち上がった。モニカの方が、身長が少し低いようだった。
妙に心が鈍化して、緊迫した状況なのに、なにも感じない。あるいは、相手を舐めていて、微笑ましく思ってすらいるのかもしれない。どちらにしても、望ましいことではないな、とモニカは思った。
「お前が持っているものを全て、この場に出せ。自分の経歴・能力もな」
「持っているものは、回復薬が二つ。魔力回復薬が一つ。空の魔力加工瓶が一つ。魔力造血剤が一つ。包帯がひと巻き。……くらいです」
一つ一つ地面に置いて、包帯を手に持って、ちらりとネルを窺った。
「……魔力加工瓶?」
ネルは眉を顰めて、それを指さした。
「はい。魔力を保存できる補助魔法がかけられた瓶のことです。主に回復薬・魔力回復薬・魔力造血剤などを保管しておくために使われます」
「お前のことは?」
「モニカ・ディーオンと申します。王室付き一級薬師をやっておりました、ストルゲディーオンの一番弟子です。一級薬師の称号を持っています。齢は十四。国王の毒殺未遂の犯人として投獄されました。なので脱獄しました。誓って言いますが、わたしはそんなことはやっておりません。冤罪です。他になにか、質問はありますか?」
「何ができる?」
「ええと、病気の治療や傷の手当などはできます。感情を相手に気取られないように振舞うことも得意です」
話しながら、モニカはネルの容姿を観察していた。雑に切られた前髪。手入れをまともにしていないであろう伸び具合の髪。そんな有様であるのに、魔力が汚れを弾いているのか、髪は妙に眩い白銀の色をしている。身に纏っているのは真っ赤な軍服。中心に連なる金のボタンが目を引いた。腰には剣が刺さっている。赤いズボンが黒いロングブーツにしまわれていて、いかにも動きやすそうだ。華奢な体には不釣り合いなのに、軍服がかっちりと似合っている。幼少期から着ていたのだろうか。しかし、その割にベルトやボタンの金属はさびついていない。返り血がついた痕跡もない。身分が高いから、と考えればつじつまがあうが、それにしては髪の手入れがぞんざいだ。
向こうも、想像以上に訳がありそうだ。
観察していたのを気づかれていたらしい。冷めた目で一瞥されたが、特に何か言われることはなかった。
「事情があってスコトスには行かない。身分証を作ってくれる貴族を、シュッツガイストで探す」
シュッツガイストとは、スコトスの隣国の名だ。スコトスの近くにありながら未だスコトスに対し無敗を誇る、結界魔法が強い国である。
「……どのように?」
シュッツガイストには強力な結界が国全体にかけられている。門には二重でかけられているし、門番もいる。高い城壁が築かれてもいる。
なぜ、と聞いてみたくはあったが、それを聞くと、殺される気がした。
「結界を破ればいいだけの話だろう」
ネルはこんなことも分からないのか、とでも言いたげな顔をしたのに対し、モニカはあくまで無感情に返した。
「何を言っているのですか。破れるわけがないでしょう? 結界魔法というのは、繊細ながら強固に作られているのです。魔法をぶつけようが魔力を出そうがだめなのです。魔法を一から解析して、沢山の魔力で丁寧に練った魔法をぶつけて初めて破れるものです」
国全体となれば相当複雑だと推測できる。規模が大きくなればなるほど、魔法は複雑に絡まっていくのだから。
「そんなことせずとも、魔法で押し切ればいいだろう。私は、それでアルカディアの黄金結界を破ったぞ」
アルカディア。その名前が出た途端、モニカは口を閉じた。スコトスは近頃、戦争で勝利した。戦争をしていた相手が、アルカディアなのだ。長らく冷戦状態が続いていたが、黄金結界と呼ばれる金色の強い結界が破られたことによって攻め入られ、敗北した。今日では植民地のような扱いを受けている。
「……ああ、貴方でしたか」
どれだけの人が彼女の行動で傷ついたのだろう。日常を失ったのだろう。
モニカは冷え固まっていく感情を表に出すことなく、褒め言葉にも聞こえるよう、気をつけた。
「それ以上何もいうな」
まあ相手の気に障ったようなのだが。はい、と答え、モニカは少し考え込むと、顔を上げた。
「あの、明日の朝でいいですか。人に危害を加えないのなら、わたしは何をしても協力致します」
「……ああ」
歯切れ悪く答えるネルにモニカは何も触れず、ネルから離れた位置で丸まった。