少女
「ふん、手間かけさせやがって。――おい、大尉に連絡を――」
「……は?」
モニカを捕まえた兵士に話しかけられた者が、間の抜けたようにも思える声を出した。
モニカが辺りを見渡して、なんとか逃げる方法を考える間も、兵の会話は進む。
「嘘だろ? お前。何言ってんだ?」
「おい、どうした、取り乱して。伝達の魔法で、なにか聞いたのか」
「た、大尉が、死んだと」
「……あの方が?」
「ああ。ウィ、ウィリアム殿下のお言葉だそうだぞ」
「そりゃ、お前――」
どうしようとしても、逃げられない。兵士によって右手首の自由は効かないし、少しでも動こうものなら、それこそ体を押さえつけられて終わりだ。
「お前、それ本気で言ってるのか? 大尉とウィリアム殿下じゃ、どんなに力の差があると思ってる――」
その途端、じわりと袖口が焼けた。――魔法? 兵士が怯んでいるうちに、モニカは再び走り出した。後ろから、ぱちぱちと木が燃える音がする。兵たちの悲鳴も。
意識を前だけに集中させる。何も考えない。あの兵たちの末路も、何も。
気づけば喧騒は遠くになっていた。物陰に隠れ、休む。息が途切れ途切れだ。水分が欲しい。喉が渇いた。呼吸が多少落ち着くまで、さっきの出来事を考えてみることにする。あの魔法は、どう考えてもモニカの味方をしていた。それに、大尉という人物が死んだ、ということも。ウィリアム殿下、というと、スコトス王家の第一王子の名だろうが……一体どういう状況だ? 分からない。謎が多すぎる。
とりあえず、覚えておくことにしよう。何か役に立つことがあるかもしれない。
体に疲労がたまっている。仮眠した方がよさそうだ。
モニカは気持ちばかり気配を薄くする魔法をかけて、足を抱え込んで目を閉じた。ふと、人の体温が恋しくなった。
はっとして目が覚めると、森はすっかり闇の中に沈んでいた。真っ暗で何も見えない。視覚が役に立たない分、他の感覚が鋭くなる。特に、モニカは薬師であるから匂いに敏感なのだが……。
煙の匂いがする。しかし、それを覆い隠すほど濃密な、血の匂いを感じる。
モニカは立ち上がって、いつの間にやら汚れていた服をはたいて、取れる汚れは取る。魔力回復薬を飲んで、魔力を回復させる。視覚以外の感覚に頼って、まっすぐ血の匂いの方へ進んでいった。さながら、花の蜜に誘われる虫のように。
べちゃべちゃと、靴の裏についた泥が音を出す。寒々しい風がモニカを包んで、モニカは思わず身震いした。
血の匂いはきつくなっている。内心眉をひそめつつも、なんの感情もない顔で歩く。
木々のざわめきや風が吹く音、といったものばかりを拾っていた耳が、人の弱弱しく荒々しい息を聞き取る。
駆け寄って、悩んだ末、モニカは左手に小さな炎を宿した。魔力がとんでもなく少ないので、万が一のときのために魔力を残すことを考えると、一分ほどで消すしかないのだが。
モニカは、王室付き一級薬師の弟子であり、自身も一級薬師の称号を持っている。一分さえあれば、病の種類や怪我の具合、適切な処置を導き出せる。
まず、年回りはモニカとあまり変わらない少女だろう。魔力を与えすぎて、魔力中毒というものにさせないために必要な情報だ。右肩にざっくりと、刃物で刺された跡がある。これが出血の原因だ。さらにいうと、凶器はレイピアなどの細身の剣であり、刺し貫かれたのではないだろうか。温存しておいた魔力を利用して傷口の凹凸などを確認したのが根拠である。
それから、焦点が合わない。視界がかすんでいるのだろう。地に流れ出ている血の量から見ても、ほとんど死にかけであるとみていい。どこから入ってきたのかはわからないが、この出血量でよくもまあ、こんな森奥までこれたものだ。
まずは止血だ。エプロンを脱いで、それを肩に一周巻いて、布の両端を交差させて、引っ張る。圧迫はできた。それから、残っていた回復薬を取り出す。魔力を筋肉や血管、皮膚など、その人に足りないところに変換させる魔法を仕込んだ水である。エプロンの上から染み出させるようにして傷口にかけると、かすかに声が聞こえた。なんといったかは聞こえなかったが、モニカはただ応急手当を進めるだけだ。次は、手持ちの薬から魔力造血剤を取り出す。魔力で作られた血液だ。腐らないし、固まらないし、そのまま人に飲ませても、魔力なのでその人に対応して性質が変わってくれる優れもの。
ちなみに、魔力なので鉄分はないし、感染症の危険も当然ない。
それを飲ませると、モニカはエプロンを取って、その場から離れた。相手がどんな者か不明な以上、離れて損はない。が、無意味であったようだ。
少女は、身を起こすなりモニカの目が捉えられないスピードで動いたかと思えば、モニカの首を締めあげていたのだから。