脱獄
モニカは訝しく思いはしても、続きを促した。
「魔法研究所の奴が、部屋のベッドの下に爆薬を仕込んでいる。いつか必要になったら使おうとしてたんだと。それをこの壁のあたりに投げ込めば、鉄格子が溶けるくらいの温度に魔力で改造した奴だから、無事に逃げ切れるって寸法だ。おまけにそのベッドの下の収納スペースは魔力で床を作って埋め立てるってんだから、俺が死ぬこともないってわけだ。そもそも、なんで爆薬を持っていたか、分からないからな」
「それは先ほどの結界魔法の話と矛盾しませんか?」
「それが、矛盾しないんだな。ここの結界魔法は魔法を弾くだけで、魔力を弾くことができない。魔力を込めた爆薬をあらかじめ隠し持っていたら、結界魔法はそれに反応できないってわけだ」
「なるほど」
魔力はいわば水蒸気なのに対し、魔法というのはそれを固めて氷にしたようなものだ。どちらが通りにくいかは明白である。
「ですが、それで貴方が処罰を受けない理由は?」
「ヴィクトリア王女は、どうやらほかの王族の方々と仲が良くないらしい」
「……そのヴィクトリア王女が、相手が強すぎた、仕方がない、処罰するのはやりすぎだ、と主張し、それが受け入れられることに賭ける、と?」
「それだけじゃない。相手が巧妙に魔力で爆薬を隠してたって主張したら、余裕のある今ならお許しいただけるかもしれねえし。お前の為なら、そのくらいはやってやろうと思ってな。命がけで命を救われたんだ、自分が死なない可能性があるなら、協力する」
それに……。と、兵士はうつむいた。
「まだ、この国を信じていたいんだ」
「……そうですか」
それほど腹が決まっているのなら、モニカは止めることができない。不誠実だ、そんなこと。
「では、早速、お願いします」
「――ああ。あいつはどうやら話を聞いているらしいからな。もう、来るんじゃないか」
兵士が離れつつ言い終えると同時に、爆音が響き渡った。兵士は無事らしい。それだけ理解すると、モニカは全力疾走で逃げた。鉄格子が一瞬で固まってくれてよかった。
待て! と叫ぶ兵士の声が聞こえる。それでいい。そうしなければ、協力者として、死ぬ。
魔法研究者だというその人は、真っ黒の髪で目を隠して、卑屈そうに背を丸めつつ、息を切らしながらモニカと一緒に走っている。モニカの方が早い。
「ご協力に感謝します」
「えっ。あ、はい」
話している間にも、兵士たちが距離を詰めてきている。その中には、ついさっき、脱獄の話を共にした兵士もいる。……本気だ、彼は本気で捕まえる気で二人を追っている。
「貴方は、大丈夫ですか?」
「え、あ、えと、はい。け、研究所の人たちが、た、たた助けてくれると思います」
「よかったです」
魔法が飛んできた。
出口まではすぐだ。王城の地下部分に牢屋があるので、城の一階の人とは確実に遭遇するが、メイドなどの非戦闘要員は主のために生きるだろうし、兵にしたってそれほど多くはないはずである。今は大半が王族の集まっている部屋に動員されているはずだ。
一階に滑り込んで、王女と鉢合わせすることなく城を抜ける。雰囲気から、モニカは王女がもう城にいることを悟る。ほっと息を漏らしつつ、ここからは魔法研究所の彼とはお別れだ。
「さようなら。お元気で」
「あ、はい。あ、あ、あなた、も」
人ごみに紛れて王都を走る。門を超え、国境線となっている森があるはずだ。狙われやすい位置に王城があるのは、攻め込んできてくれたらちょうどいいだろう、という国王の計らいだ。今の国王は、そんな人間だ。
門を潜り抜けて、森の方へと走っていく。草木を踏み潰す。
晴天だった。
息を切らして、ごほごほとせき込みながら、疲れ切った足を動かす。絶対に追手は来る。森の中にだって、今にでも入ってくるはずだ。国王の毒殺未遂なんて大罪人を逃した失態を挽回するために、死ぬ気で。
もう満身創痍に近かったが、モニカの頭にあるのはあの兵士のことだけだった。ヴィクトリア王女が他の王族と仲が良くない、なんて聞いたことがない。第一、彼女は戦争に駆り出されていて、その素性を知る者など、ごくわずか。一体どうして、そんなことを知ることができるのだろう。力も強大で、恐ろしい噂が後を絶たない。
あれは、嘘か、妄想か、理想だったのではないか――。
青ざめる心地で、モニカは身を潜め続けた。どうか、あの兵士が無事であるように、と。
三時間後。モニカは、ある音をとらえた。こっちに足跡がある! と。……やってしまった。
後ろは足場が悪い。薬師にすぎないモニカと、こういった場所で走ることに慣れている兵とでは、到底逃げ切れない。動けば音でバレる。動かなければ見つかる。
足音はどんどん大きくなっている。念のためポケットに手を突っ込んで、通り過ぎてくれることを期待する。明確に足跡を残してはない。足跡から向かった場所を完全に特定されない、と、思う。
息を殺して、身を縮める。自分の匂いは無臭。どうかバレないで――。
いや、駄目だ。これは、気づかれる。モニカの何かが警鐘を鳴らす。この国――スコトスの兵士に薬師が通用するとは思えない。足掻きたいなら、今すぐ飛び出して走り出すべきだ。
勝算はあるだろうか。足場が悪くとも、幸運ながら、モニカが履いているのは薬草採集のときに使うブーツ。……体力さえなんとかなれば、……駄目だ。魔法使いがいない確証はない。瞬殺される。
冷静になろう。魔法使いがいたとして、生きたまま拘束するのはなかなか難しい。人を攻撃するための攻撃魔法とは違って、人を拘束する魔法など――補助魔法は、人を縛ったり危害を加えたりといったことのために開発された魔法ではない。よって、それを拘束するために使うのは、ぬるいお湯でものを冷やそうとするのと同じ。魔法使いがいるとしても、モニカを殺すか逃がすか、の二択だろう。生き残れる道はある。
正直、それでも、逃げ切るのは難しい。
せめて、モニカにまともな魔法が使えれば、やりようはあるのだが。
考えている間にも、じりじりと音は大きくなる。あと少し経てば、もう逃げられなくなる。モニカは息を深く吸い込んで、泥を踏んだ。走る。
いたぞ! そいつだ! 声が飛ぶ。それを背に受け、モニカは腕を振った。鼓動が早い。冬の風が皮膚を通り過ぎる。
徐々に徐々に、追いつかれていく。足元に魔法が飛んでくる。焦りが出る。緊張が思考を鈍らせる。
声が近づく。足が一瞬、もつれかける。呼応して、心臓の高鳴りが加速する。その隙を逃す兵士ではない。
とうとう、モニカの手首を、兵士が掴んだ。