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少女モニカは唯一の愛を失った

不定期です。

 それは嵐の朝だった。

 雨風が王城の壁をたたきつけ、喧しい音を立てる。十四歳の少女、モニカ・ディーオンはその音で目覚めた。

 数度瞬きをすれば、眠気は容易く吹っ飛んだ。ベッドから這い出て、着替えを済ませると、師のもとへと歩く。緩やかな癖のある、肩ほどまでの桃色の髪が歩くたびに揺れる。前を見据える金色の目にはわずかな希望の光がある。基本的に感情を表に出さない彼女だが、最近はかすかに笑みを含むようになった。

 いつもの作業部屋に着いて、そこに師の姿も、薬を作る作業音がないことに気がつき、首を傾げた。あの人が寝坊するとは珍しいが……昨日は仕事が多かったようだから、疲れがたまっているのだろうか。

 モニカは、師がいないならば、と薬を作り始めた。この前手に入れた貴重な薬草をこう使おう、ああしようと考え、手を動かすうち、三十分ほど時間が経っていた。

 しまった、と気がついたのは、ぴったり朝の八時を知らせる鐘が響いたときであった。師の出勤が近い。

 どんどんと乱暴に部屋を叩くのは、恐らく師の同僚か、上司か。顔や仕草には出さずとも、大慌てで扉を開けた。

「薬師。遅刻をするなど……。……お前は弟子の方か。薬師はどうした」

 上司の上司だった。

 モニカは淡々と、

「こちらには来ていないようです。探してまいります、大変ご迷惑をおかけいたします」

「早くしろ」

 不機嫌な彼に、それでは、とお辞儀をして、師の自室に急ぐ。こんなことになるのなら、三十分前に起こしておけばよかったと、後悔して。

 ノックもせずに飛び込んで、ベッドに寝そべった師の肩を揺さぶった。

 やけに冷たい。

「師匠、遅刻ですよ」

 穏やかな笑みは崩されない。いつもなら、すぐに起きるはずなのに。

「――師匠?」

 少し、不安を感じ始める。薬師としての目が師の顔を見るたび、囁いてくる。

 ああ、よく似た状態の人を、モニカは見たことがある。あれは確か、モニカが四歳ですらなかった頃――。

「師匠、起きないと。ねえ、嘘ですよね。早く、起きないと、」

 それを人は、死体だとかゴミだとか、言った。

 モニカは汗を吹き出して、老体には少々強すぎるほどの力を入れた。師匠、師匠と何度も話しかけて。

 だが、師は、それでも起きない。

 モニカが一度、師匠と声をかければ必ず起きる人が。

 しびれを切らしたらしい上司の上司が、師の部屋に入り込んできた。そして、モニカと師を見るなり、吐息を漏らす。

「……貴様は薬師の弟子だろう? こんなことも、分からなんのか。無能め」

 とっくに理解している。知識と経験が、事実を冷淡に伝えてくる。けれど、信じられないのだ。昨日の夜まで元気で、笑顔で、くだらない話をしていた相手が、二度とそうしてくれないなど。

「死んだか、全く。王室付き一級薬師・ストルゲ・ディーオン。はあ……葬式をせねばならんか。面倒くさい。大臣閣下に知らせよう。弟子。貴様も同行せよ」

「…………」

「おい!」

 ぼんやりと師を見つめ、ゆっくりと肩から手を離すと、無表情で彼に伝えた。

「はい。わたしにできることと言えば、大したことではありませんが。それでよろしければ」

 嵐の中葬式をするわけにもいかないので、葬式は大分後になった。一級薬師、というのは特別だ。世界中がその実力を認めた者にしか渡さない称号なのだから。それだけ丁寧にやらねばならないのだ。まして王室付きであるのに、粗末に扱うなど、考えられない。

 それが終わるまで、モニカは王城の貸し与えられた自室で、一歩も外に出なかった。幸い彼女は人当たりが良く、メイドや厨房から親切を返してもらえる立場にあったので、食うに困ることはなかった。

 モニカにとって、それほど死は遠いものではない。いつかは来るものだと、受け入れてもいたはずだ。なのにどうして、こうも呆然としてしまうのだ。初めて得られた愛が、遠くに行ってしまったからか。それじゃあ単なる自己中心的な感傷じゃないか。

 ぐるぐるとそのようなことを考えていたが、モニカは師の仕事を継がなければならない。その日は嫌でも巡ってきた。重い体を動かして、仕事はする。死んだってかまわないが、掬い取られた命を無駄にするなど許されない。




 さて、師の死から一か月後――モニカは、牢屋にいた。

 原因はなんだったか。分からないが、とにかく、師と違って自分は失敗したらしい。

 冤罪である。大臣が王の毒殺未遂で、死刑を叫んだ。毒見役が現在重症のようだった。それが証拠だといわれた。疑いさえあれば、この国で死刑は覆らない。王族が絶対。王が死ねと言えば皆死ぬ。そういう国だ。そう特殊な国でもないか。

 つまり、要するに王や大臣にとって、モニカが邪魔になった。だから死刑にされた、と、その程度の話。特に悲観はしないが、もし今時が巻き戻ったなら、うまくやってみせようと思う。まあ、そんなことはありえないのだが。

 そんな、何もかもどうでもいいモニカを見に来たらしい大臣が、ペラペラと語る。

「ああ、清々しい気分だ、モニカ。お前の師が死んだと聞いたときは、これ以上ないほど幸福な気分になったし、それに意気消沈したお前が仕事の失敗を繰り返し、随分と酷い扱いを受けている、と聞いたときは笑いが止まらなかったものだが。いや、それ以上の至福がこの世にあるとはな」

「…………」

「どうした? 憎くてたまらないような顔をして。お前の師は何を言っても、誰でも許すという信念を曲げなかったのだがな。所詮、十四の子供か。感情のままに、国王を殺そうなどと企む、子供だな?」

「……わたしは、いつも通りです。それが憎くてたまらないように見えるというのなら、貴方の心が、わたしの何かを恨んでいるのでは」

 泥沼のような、死んだ目を大臣に向け、冷めた声で話す。そう、モニカは平常だ。目の前の大臣を恨むなど、とんでもない。人間らしいな、と微笑ましくすら思う。

「ふん、そうか。自分の名誉をずたずたにされて、自分を信じてくれた師を愚弄することになっても、怒らないか。それは、薄情なだけだろうに」

 その夜、モニカはよくよく考えた。今ここで自分が死んだところで、誰かが困るとは……。はたと気がついた。当たり前のことを見落としていた。自分は薬師だ。王室付き一級薬師の弟子だ。その能力をみすみす失わせるわけにはいかない。生きる義務がある。

 愚かにもほどがある、と、小さく乾いた笑いを漏らした。貰ったもの全て抱え込んで死へと突っ込むなど、師から貰ったもの全て否定していると同義。

 では、どうするか。今は、自分の命を優先すべきだ。罪状はあとで晴らせばいい。いくらでも方法はある。ちょうど、戦争が終わり、戦に出ていた王女・ヴィクトリアが王に謁見するはずだ。王族と重鎮たちは、功労者たる彼女を迎えるため、一ヶ所に集まるはず。残るのは中級貴族や下級貴族の使用人たち。彼彼女らであれば、危険さえなければ協力してくれるはずだ。

 ヴィクトリア王女が帰ってくる予定日が、明日のはず。それまでにどうにか、使用人たちに危険の及ばぬ方法で脱出する必要がある。見て見ぬふりをしてくれる可能性は少ないと思われる。誰だって死にたくはないからだ。

 誰も処罰されてほしくはないし……。

 どんなものにもなれる、と言われている魔力を使うにしても、体内に溜められる魔力――魔力量が、モニカはとんでもなく少ない。できることなんて、さほどない。

 服はそのままだし、中にあるのも黙認されたが、役に立つものはなにもない。ちなみに黙認された理由は、モニカの服に強力なモニカ以外からの衝撃を弾く結界魔法が張られていて、誰も触れなかっただけである。

 唸っているうち、朝が来た。……不味い。今日を逃せばあとはいよいよ死を待つのみ。

 一か八かの賭けで、監視役の兵士に聞いた。

「あの、脱獄を見て見ぬふり、してくれませんよね」

「そりゃあ……、いくらモニカでもなあ。俺、死にたくねえよ」

「そうですよね。……今の、聞かなかったことに」

「んまあ、大したことじゃない、って俺は思った」

 ってことにする、ということらしい。ウィンクを返してくれた心優しい兵士に感謝を込めて軽く頭を下げつつ、考える。

「この国で、国王の毒殺未遂した大罪人が脱獄されても、兵士に処罰がくだらない理由、なにかありますかね」

「……無理じゃねえか? それこそ、ヴィクトリア王女くらい地位が高くて、戦力としても一兵卒じゃかなわない人間が加勢したとかで、死刑免れるかどうかじゃねえの?」

「要するに、実質不可能と」

「ああ。ありえんねえ、この国の方が、こんな一兵卒の命をわざわざ見逃してくれるなんて」

 と、そのとき、モニカの牢屋の壁ががんがんと叩かれた。ここの牢屋は、囚人同士の会話を防止するために、正面の壁以外は石造りである。

「おい。壁を叩くな」

 兵士が移動して注意すると、ぴたりと止んだ。

「ん? ……」

 兵士が戻ってきて、モニカを手招きした。

「なんでしょう?」

「隣の囚人、どうやら魔法研究所の奴らしい。自分を脱獄させてくれれば、とりあえず戦力としては言い訳が効くと」

 魔法研究所。魔力・魔法をこよなく愛し、研究するところだ。魔力や魔法は神様から与えられたもの、とされているので、特に神への信仰が強い国から支援を受けて、国をまたいで魔法の研究をしていたはずだ。

「……罪状は?」

「反逆罪。あと一歩だった。それくらい優秀だが、まあ……国に、逆らってるから」

「わたしと同じようなものですか」

「いや、完全に自分の意志。……まあ、ここはそういう奴らが集まってる場所だからな」

「……人の命を奪おうとするのは、よくないことです」

 モニカは自分で、善悪の境界線をくっきりとさせる。口にする。

「けれど、わたしを助けようと、思ってくれている。いい人です」

「……おう」

「分かりました、一緒に脱獄しましょう。わたし、魔力をそのまま鍵状にしてしまえばいいかと思いまして」

「それで、開けると?」

 兵士が呆れた顔をした。

「牢屋に結界魔法がないわけないだろ」

 魔力を弾くような。

 モニカはそうなのか、と驚きつつ、決してそうは見えない顔で、別の案を考え始める。

 また、壁が叩かれた。

 兵士が行って、すぐに戻ってきた。顔には喜色。

「喜べ、モニカ。お前は生き延びることができそうだぞ」

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