第104歩:「本来はこれより数倍大きな会場で戦うから、こんなゆっくりな戦いじゃないからね?」
「アルタエルちゃんの勉強にもなるし、ぶつかり合っているところを見た方が雰囲気を感じられると思うの。二重円があるわけじゃないから本当にぶつかり合うだけなんだけどどうかな?」
「えっ、やってみるって一緒に並走するんじゃ?」
「面白そう! 確かに私試合は見たことないから気になるかも!」
「アル、その一言はただアドニス様を苦しめるものですよ。アドニス様、私達の事は気にせずご自分の思う選択をしてくださいませ」
「……分かった、やるよ。折角の機会だもんね」
手足が微かに震えている事はその場にいる三人が分かっていたが、敢えて何も言わなかった。アルタエルとアヤメは各々励ましの言葉を告げて手すりの外に出る。
モミジはポケットから収納石を一つ取り出し、中から機体を取り出した。車体の至る箇所に傷が残っている《ピーチジェット》を見てアドニスは目を輝かせる。
「お、嬉しそうな反応だ。おねーさんも折角なら同じにしてあげようって思ってさ」
「ぜ、是非お願いいたします……って、私はどうすれば?」
「ん、それじゃあ手すりを超えたら駄目ってルールにしようか。アルタエルちゃん達! 角に立って判定してくれるー?」
「がってんだー!」
「それでは私はあちらで立っていますね! ではアル、見て色々学んでくださいませ」
「うん!」
「二人で戦う時はまず、中央で睨み合う様に回ってから試合を行うよ。そうそう、時計回りにね」
モミジの指示通り、アドニスは彼女の正面に機体を移動させると円を描くように機体を動かした。モミジも同じように円を描く。
未だにアドニスの表情は固いが、憧れの人物と好きな事を共有している時間に笑みがこぼれている。
「よし、そうしたらもう好きに動いて大丈夫! どこからでもかかっておいで!」
「行きます!」
モミジはアドニスから距離を置くように後ろへと下がり、アドニスはその脇へ回るよう弧を描いて機体を動かす。
「気を付けてね、大きく動きすぎると外に出てしまうよ」
「はい!」
モミジの横へと回り込んだ機体は、緩やかに移動する彼女の脇腹目掛けて突進する。モミジは動かしていた機体を止めると、アドニスの方向へと機体を傾けた。
機体の岩肌同士が触れ合い、鈍い音をたてて機体同士がぶつかり合う。互いに背後へと小さく押し返され、再度隙を疑うように円を描き始める。ルールを知っているアヤメは興味深そうにその光景を眺めているが、アルタエルは不思議そうに首をかしげる。
「や、やっぱり裏庭じゃ狭いですね」
「たはは、まぁ世間一般の家庭ではまずスカイライド一台分しか入らないと思うよ。ほら、次行くよ!」
「はい!」
***
「……勝負、つかなかったね」
結局、夕日が差し込むまでの数十分遊んでいた二人は互いに白旗をあげて機体を降りた。
アルタエルは釣られて柵の中へと戻る。その顔は未だに疑惑の表情が残ったままだ。
「あ、あのあのアルタエルさん」
「あ、うん?」
「本来はこれより数倍大きな会場で戦うから、こんなゆっくりな戦いじゃないからね?」
「あ、やっぱり? これじゃあ全然勝負がつかないなぁって思っていたの」
「本当は今よりもっと速いし、もっと迫力のある試合なの。そもそも機体の安全装置を外していないから速度は出ないしね」
「安全装置? そんな物が機体に付いているの?」
「そうだね。おねーさんみたいな優勝したプロの選手でも機体の安全装置を私用で外す事は禁止されているかな。ほら、さっきのアルタエルちゃんみたいに間違った乗り方をして怪我をしたら危ないでしょ? だから、特定の場所以外では外せない安全装置が付いているの」
「え、待って待って? それじゃあフルスピードの練習はどこで出来るの? 本番と違ったら怖くない?」
「機体を買った場所の奥に練習場があるって話をしたの覚えてる? そういう練習場にも外せる場所はあるからそこで練習するんだ」
「なるほど! 私はその練習が出来るようになる為の基礎の基礎を練習している状況って事か!」
「そうなるかな」
「うー……」
「焦っても仕方ありませんわアル。今日のところはここまでにしておいた方が良いかと」
「えーなんで⁉」
「モミジ様を歓迎しようと小屋の中ではマーザ様が腕を振るっておりますので、私達でずっとモミジ様を独占するのはあまりよろしくないかと。それにモミジ様の時間をお借りしている立場である事をお忘れなく」
「あぅ……」
「お、おねーさんの事はそんな気にしなくても大丈夫だよ⁉ 全然付き合うからね、ね?」
「と言っても、他に出来る練習としては移動しながらの回転だと思います。感覚で覚えるべき事は教える事が厳しいのではないでしょうか?」
「うーん、本当に頭が良いねぇ⁉」
「……とりあえず私は小屋に戻って準備が出来ているか確認してきます。それまでは練習をどうぞ」
アヤメはモミジの素直な誉め言葉に照れて顔を逸らすと、一人小屋の中へと戻っていった。
「うーん、でもアヤメちゃんの言う通りなのが辛いところだなぁ……おねーさんが教えられる基本的な事は全部教えちゃったんだよね」
「そっかぁ……あとは私がどこまで頑張れるかって事だね」
「アルタエルさん、私で教えられる事なら教えるから!」
自信無さそうに肩を落としたアルタエルの肩をアドニスが叩いて励ます。
「でも無理は駄目だよ? それで怪我したらおねーさん大泣きするからね?」
「えぇ⁉ 分かった、無理しない」
「良かった。それじゃあ、本番の成長、心から楽しみにしておくね」
「お三方ー! もう準備は出来ているそうですー!」
小屋の裏口が開き、中から現れたアヤメが三人へ手を振った。