第1歩:「行ってくる! 世界を見てくるよ!」
加筆修正
2024/11/29
山の中腹を削ったように作られた台地にある小さな村フォレステス。地面には芝が生い茂り、村の動線は花畑で彩られている。その上を小動物や人間が駆け回るのどかな村。入口がわかるように石で造られたアーチ状の門が設けられている。
幾つかの大きな家と手入れされた畑だけの小さな村で、年老いた老人と幼い少女の口喧嘩が響き渡る。
双方かなり熱くなっており、扉の隙間から外にまで言い合う声が響いている。
「行くったら行く!」
「ダメったらダメじゃ!」
「何でよ! 私は村長の言いつけを守ったよ? 誕生日を迎えて十六になるまで我儘言わずに生活したよ? 約束が違うよ!」
必死に少女の外出を止めている老人の声に、食い下がらない少女の声。お互い引く事の無い喧嘩。
そのやり取りを扉の前で聞く一人の少女。彼女は頭に乗せたピンクのベレー帽を被り直すとため息をついた。
村に吹く温かい風に揺れる長い金髪に晴れた空の様に明るい青の瞳。身長は小さめで百五十センチ程度だ。金髪の上にピンクのベレー帽を被り、ピンクのワンピース、ピンクの靴、ピンクの鞄と一見して好みが分かる服装をしている。
「約束なんか知らん!とにかく、お前を村の外へ出すわけにはいかない。危険すぎる。第一、お前達は村の外の事を何にも知らないじゃろ!」
「知らないからこそだよ!知らないからこそ行きたいの!」
「だからそれをダメだと言っている!」
――やれやれですわ。
扉の前で、終わりそうにない言い合いを聞いていた少女は、半ば呆れながらも扉のノブへと手に触れる。しかし、ドアノブは回さない。静かに二人の言い合いを聞き続けた。
「なんでよ、村長言ったよね? アヤメなら良くて私はダメって! 何で、何でアヤメはいいの?」
「あいつはお前と違う! あいつはちゃんと外の知識もある、冷静に分析する力もある。ところがお前はどうじゃ! いつも村の中を走り回っては花をダメにし、小動物にちょっかいを出しては追い回され、村人からは『お騒がせアルタエル』と馬鹿にされる始末じゃないか!」
「それは昔の話じゃんか! 今は違う!」
アルタエルと呼ばれた少女は、村長からの厳しい言葉にもすぐに反論する。村長が大きくため息をつき、息を吸い込む気配を感じた少女は、ようやく握っていたドアノブを回した。
優しそうな顔をした老人が驚いたように少女の方へ振り返る。その横に不満げに頬を膨らませている少女。黒い短髪、少し垂れた黒い瞳。先程まで言い合っていた為か、顔が紅潮して息が上がっている。
身長は金髪の少女より拳一つ分低い。
入ってきた少女の顔を見るなり嬉しそうに口角を上げた。期待するような面持ちで彼女に助けを求めている。
「……おぉアヤメか! お前からもアルタエルへ言ってくれないか? お前みたいに知識豊富な人間なら、アルタエルを外へ行かせることの危険性が分かるはずじゃ!」
「……残念ながら、そのお願いは聞けませんわね」
アヤメと呼ばれた少女は、目を閉じて首を横へ振る。驚く村長の脇を通り抜け、期待に満ちた視線を自分へと送るアルタエルの肩を叩いた。
「私も、アルと村の外へ出る事が夢でしたの。ですからアルが私と同じ十六になるまでの一ヵ月我慢していたんですのよ?」
「なっ!?」
アヤメは自分の味方をしてくれるのだと信じていた村長はショックを受けて固まっている。そんな村長へ、アヤメは更に言葉を重ねる。
「約束は約束。年齢が十六になれば行かせてくれるという話でしたわ。それが今になって約束は無かっただなんて……通りませんわよ」
「し、しかしアヤメ、わしはお前達の事を思って言っているのだ。ここから出てどうなる? 最後には食べる物も無くなって倒れるのがオチじゃ。そんな見え透いた未来があるというのにお前達を村の外に出すわけにはいかん!」
「あら、私は外に出てもいいという意見だったのに、今度は二人共禁止になるんですの? また言っている事が違いますわ」
「村長、いい加減認めてよ。私達がフォレステスの外に出てもいいって。アヤメとなら大丈夫だもん」
少女二人に攻め立てられた村長は、二人の熱気に汗をかく。少し苦しそうに表情をゆがめると、自分の後ろにある本棚から一冊のアルバムを取り出した。
数ページめくり、ある写真を指さして二人に見せる。
「アルタエル、お前の父親である男の末路だ。見ろ、この見るに堪えない無残な姿を! 面影さえも残っていないこの父親を見てもまだ行きたいと言うのか!」
赤茶色の地面に転がっているのは炭となった何か。辛うじて人間だった頃の形は残っているが、元が人間だったという事以外何も分からない。
アルタエルは一瞬その写真に気圧されるが、直ぐに首を横に振り村長の瞳をじっと見つめる。
「行きたいよ。なんでお父さんが危険を冒してまでこの村の外にある物を求めたのか知りたいの!」
「う、うぬ……。あ、アヤメもこっちの写真を見ろ。この村一番の探検家であったお前の父親、あやつだって母親と冒険に出て残ったのは父親の右足と母親の左腕だけなんじゃぞ! それほど危険な外の世界へ行きたいと言うのか!」
「……父上の末路も母上の最期も知りませんわ。私は私の意思で外へ行きたいんですの」
「ぐぅ……!」
写真をどかして村長の目を見るアルタエルと腕を組んで冷静に答えるアヤメ。
二人に気圧された村長はとうとう白旗を上げた。
「こ、この村不孝者め、もう知らんわ! さっさと出ていくがいい。但し、わしの家の裏にある倉庫から、食糧や水、その他冒険に役立ちそうな物が入ったリュックサックを持っていくんじゃないぞ。もう一度言うぞ、冒険に役に立ちそうな物が入ったリュックサックが家の裏にあるが、持っていくなよ。絶対だからな!」
村長の言葉にアルタエルとアヤメは顔を見合わせ、笑顔を作ってハイタッチをした。二人で頭を下げ、扉へと手を掛ける。
「たまにはテガミドリでちゃんと何を見たか伝えるね!」
「その時分の現状も書きますわ」
フォレステスに生息する鳥、テガミドリは人の書いた紙を足へ括り付けるとその相手へ手紙を運ぶ能力を持っている。普通の鳩ほどの大きさで、指笛を鳴らすだけで現れる。人の言葉を理解出来る為、宛先を言えば間違える事もない。
二人が駆け足で家の裏に回ると、そこにはアヤメとアルタエルの名前が書かれたリュックサックがあった。それを見て二人はまた顔を見合わせ微笑むと、リュックサックを背負って出口の門へと歩き出した。
「アルタエル!」
その背中へ、村長の鋭い声が掛かった。足を止めて振り返ったアルタエルは、見るのが最後になるかもしれない村長の顔を目に焼きつける。
「お前は行動力のある奴じゃ! しかし、困ったらアヤメに相談するように!」
「うん! 村長ありがとう!」
目元を拭いながら言う村長に、アルタエルは元気よく手を振る。
「アヤメ!」
そんなアルタエルを一緒に足を止めて微笑んでみていたアヤメは、自分の名前を呼ばれた事に気が付いて、ペレー帽を脱ぎ頭を下げる。
「お世話になりましたわ! テガミドリの事は任せてくださいまし!」
「アルタエルの暴走を止められるのはお前だけじゃ! お前はいつまでも冷静にいるんだぞ!」
村長の最後になるかもしれない言葉にもう一度深々と頭を下げると、ベレー帽を被りなおした。二人は村長へと手を振りながら門を出ようとすると、それに気が付いた村人達が集まってくる。
「アヤメ、アルタエル、行くの?」
「ほら言っただろ。二人ならきっと行くって」
「忘れ物は無いね?」
「危険そうだったら逃げるの優先するのよ」
「いつでも村に帰ってきなよ?」
肌の色も髪の色も違う村人達だが、皆仲が良いのか笑顔で二人を見送ってくれる。
長い間暮らしていた自分の村を離れる事に少しの寂しさを覚えるアルタエルだったが、すぐに表情を明るくして手を振った。
「行ってくる! 世界を見てくるよ!」