⑪ 大丈夫やで
それは……僕や。たぶん。
――――風子さんの♡を手に入れたのは。
いや、正確には……♡の人参やけど。
風子さんが作った大量のコロッケの中に、たった1個だけ入れたという、♡型の人参。それが当たったら、メニュー決定権1回分という特典つきで、みんな盛り上がった。
ところが、大皿が空になっても、♡発見報告がでないので、♡はどこへ行った? とみんな首をひねっていた。
けれど、トモヤが、うっかり夢中で食べてしまったのもあるかも、と言い出して、どうやら、♡は、知らない間にトモヤの胃袋の中に収まったらしい。という推測で落ち着いた。
もしかしたら、ほんとにそうだったかもしれない。……けど。
自分の皿の最後の1個を食べたとき、僕は、舌の先でなんとなくハートの形を感じた。たぶん、そうだと思う。星形でも花形でもなかった気がする。
(きっと、これ、♡やな……やった)
心の中で、小さくガッツポーズをする。ほんとの彼女のハートを手に入れたわけでも何でもないけど、なんだかちょっと嬉しくなってしまう。
地球風に言えば、幸先がいいとか、縁起がいいとか。そんな感じか。
秘かにニンマリしていると、テツヤが(あんたやろ?)という視線をさりげなく送ってよこした。
口の中で♡やなと思った一瞬に思考にロックをかけたつもりやったけれど、彼には気づかれていたみたいだ。
そう思って見回すと、今度は、全員がにっこりしながら僕を見て、
(ヒロくん、♡ゲットしたね?)と頭の中で話しかけてきた。
トモヤももぐもぐしながら、うんうんうなずいている。
(よかったね♡)
彼の思考が流れてくる。
はぁ。……やっぱり。バレてたか。
しゃあないなあ。彼らに、隠しごとはできない。
お互いの心を読めるのって、便利なようで、ちょっと困る……とくにこんなときは。
でも、邪気のない彼らの笑顔を見ていると、僕は、ついつられて笑ってしまう。
そして思った。
(ここにいたい。ずっとこうして、ここに。彼らみんなと一緒に)
もちろん、それがムリなことはわかっている。いつかは、みんな卒業してそれぞれの場所に向かうのだから。
考えると、少し胸がきゅっとなる。
(大丈夫やで)
そのとき、頭の中で、テツヤの声が聞こえた。
何がどう大丈夫なのか、彼はハッキリとした言葉にはしなかった。けれど、彼の、大丈夫や、が温かく心強く響く。
そやな。
いつかお互いが離れてしまうとしても、今一緒にいるこの時間を楽しんで、忘れないように大切に胸にしまえばいい。今の自分にできることは、ただ、それしかないのだ。きっと。
(そうやんな?)
(おう)
テツヤが、声には出さず、くちびるの両端をそっと上げてほほ笑んだ。
ふと目をやると、風子さんがため息をつくのが見える。
でも、心配しすぎないでいようと、僕は自分に言い聞かせる。
彼女が、職場の先輩であり、元上司である彼から、戻ってこないかと誘われていることは、彼女の眼差しの中で読み取った。けれど、どんな答えを出すのか、それを決めるのは、彼女だ。
(どこにも行かんといてや。ここにおってや)
そんな言葉を口にする権利は、僕には、ない。僕自身が、いつかはこの地を離れてしまうのだから。
(せめて、彼女の作った小さな♡をそっと自分の胃袋に納めて、ささやかな幸運を味わっていよう)
気づくと、僕の口からも、小さなため息が洩れていた。