会話劇その4
「よく考えたらさ、警察官ってすげぇ過酷な職業だよな」
「警察官、ですか」
「彼らは国民の平和を守っているわけだが、視点を変えればヤバい奴を総じて相手にしてくれているということなんだ。たまに見かける変な奴居るだろ? あれの比にならないくらいヤバい奴を四六時中相手にしなくてはいけないわけだ。そんな彼らの精神には敬意を評するな」
「私には到底無理でしょうね」
「俺にも無理な仕事だ」
「そう考えたら、その辺の企業なんかよりも就職するのはよっぽどハードルが高いですよね。目指す方も受け入れる方も。少子高齢化で若手の労働不足が目立ちますが、もしかしたら真っ先に警察官が足らなくなるなんて事もあるんじゃないですか?」
「なんだその世紀末は。怖すぎるだろ。法治国家の崩壊がこんな形で訪れるのか」
「そうですよ。悪人が野放しになった世界、放置された一般人」
「放置国家だな」
「もう少し、若手の力を貸し大事にしなくてはいけませんね」
「だからといって若手が入りやすく長く続くようなホワイトな環境を作るってのは、警察官に限ってはイメージできないしな」
「でも勝手なイメージですけど、離職率が高いとは、あまり聞かない気がするんですよね。厳しい学校を耐え抜いたら、案外その時には精神的にも成熟して、それこそヤバい奴を相手にすることに慣れてしまうのではないですかね」
「慣れ、か。まぁ確かに、警察官という職に付けば、強力な肩書が付くわけだからな。就業時はもとい、プライベートでも意識しなくてはならないだろう。そうすれば、自ずと精神も寄っていくのだろうか」
「まぁ人の行動って、その人の気質や性格よりも、現在の立場、つまり肩書によって決まるところが多いのだと聞いたことがあります」
「スタンフォード監獄実験みたいなもんか」
「なんですか? それ」
「なんだ知らないのか後輩。結構有名な心理実験だぞ」
「そうゆうの好きですよね先輩」
「スタンフォード監獄実験。とある心理学者の行った実験だ。
内容は簡単、普通の大学生を集めてそれぞれに看守役と受刑者役にわけて、その役になりきって過ごすというものだ。
実験をリアルにする為に、受刑者役は逮捕される所から始めた。
更に虱検査など屈辱的な対応を受けて、より役に入りやすくしたんだ。
看守役もまた実行することで役にハマりやすくした。
最初は当然、不満の声が上がった。
しかし、ものの2〜3日でそれぞれがそれぞれの役を自ら率先してこなすようになった。
慣れてきたんだな。
暴力なんかは禁止されていたんだが、それでも看守役は段々エスカレートしていって、受刑者の態度が悪いなどの理由をでっち上げて、腕立て伏せをさせたり、裸で廊下に立たせたり、精神的に追い詰めるような虐待を積極的に行うようになったのだ。
そして受刑者役も不満こそあったが、基本的に看守の言う事を無抵抗で聞くようになった。
ただまぁ、実験に思ったよりも効果があったからなのか、当初予定してた日付よりも大幅短縮して実験は打ち切られたのだとか」
「はぇー、面白い実験もあったものですね。看守役が興に乗るのはわかる気がしますが、受刑者側も役にハマるとは」
「しかも実験終了を受けて、看守役の学生は話が違うと講義したそうだ。それ程、自身に与えられた役割が人格に関与する事を示唆してるとも言える」
「まぁその実験は、あらゆる肩書を一旦捨てて、一つの役割に特化したから極端な結果になったのでしょうね」
「元は普通の大学生だもんな」
「そうですね。実際は色んな肩書の複合ですから。例えば私で言えば、女子大生、一人っ子、20歳などなどが挙げられます」
「なるほどな、職業に限らず、それらも肩書というわけか。だったら俺は大学生、二人兄妹の長男、21歳、車の免許AT限定、英検5級、漢検3級、ファミレスのバイトリーダー、ラーメン好き、後は・・・」
「いやもういいですよ。肩書多すぎですって。明らかに人格に関係のない資格があるじゃないですか。というか先輩って妹いたんだ」
「言ってなかったか?妹がいるぞ。これは大事な肩書だよな? もしこれが弟だったら俺の人格は全く違うものになっていただろう。家庭の仮定の話だが」
「そして過程の話しでもありますけどね。というか妹どれだけ人格に影響度与えてるんですか」
「アイツとは色々とあるんだが、その話は追々」
「そうですか。まぁ余程粗悪でない限り、学生のうちは役割よりも家庭の環境と学校の環境が大きく影響を与えてると思いますね」
「妹がいることだって家庭の環境だぞ」
「まぁそうですが、厳密には何処の学校で、どんな同級生や先生に出会うかが大きい気がします」
「じゃあ肩書が人格に影響を及ぼすのは社会に出てからだというのか? でもこうも言うぞ。根本的な人の性格は大人になっても変わらないって」
「だからこその、肩書ですよ。結婚して、家を持って、仕事について、役職につく。それらは人格を形成する一部ですが、あくまで本心の外側の部分を形成しているに過ぎません。そうやって自分を押し殺して、社会に馴染むために役に嵌める。それこそが処世術であり、大人になるということなんじゃないですか?」
「な、なんか格好良くまとめやがって!俺は納得しないぞぉ!」
「子供みたいに抗議しないでください・・・」
「納得しないついでに、じゃあ俺達で真実を確かめてみようぜ?」
「確かめる?」
「そう。監獄実験とまでは行かないけれど、何か簡単な役割をそれぞれに与えることはできるだろ? 俺達の間だけの仮想肩書だ」
「私達だけでの間なら仮想関係と言えますが、面白そうですね」
「よし、ではまずどんな役割にしようか決めよう」
「まさか看守と受刑者なんてするわけには行きませんからね」
「日常の中には溶け込まなければいけないことを考えると、特殊な役割は難しいよな。例えば母親と赤ちゃんとか設定しても周りからすごい目で見られるだろうし」
「何と恐ろしい設定を持ち出してるんですか。その時は勿論先輩が赤ちゃん役をやってくださいね?」
「いや身長的に後輩が赤ちゃんだろ」
「それだと先輩がお母さん役じゃないですか! 女装でもするんですか!」
「大丈夫だ。俺は妹の面倒も見ていたんだ。例え後輩が赤ちゃんになっても、しっかり役をこなして見せるぜ!」
「キメ顔で言ってもこれボツ案ですからね!?」
「そうだったな。話してみたら案外いいと思ったんだが」
「ダメですダメです! それは実験じゃなくて罰ゲームです! もっと日常に溶け込んで、かつそれなりの役割が無いと」
「それなりの役割ねぇ・・・」
「ほら、例えば私達が兄妹になる、とか」
「それだと俺に関しては既に妹がいる分、役割に大きな変化はないんだよなぁ」
「そうですね・・・じゃ、じゃあ恋人関係とか・・ごにょ」
「そうだ! 俺とお前の先輩後輩関係を入れ替えるってのはどうだ?」
「あ、うん。いいですね」
「じゃあ今からお前を先輩と呼ぶ」
「では私が先輩を後輩くんと呼べばいいんですね?」
「敬語も入れ替えるんだぞ?」
「え?ああ、そうです、だね!」
「じゃあ先輩! これから何して遊びます?」
「う、うーんそうだね。どうしようか?」
「映画でも見に行きましょ! 見たいのがあるんスよ」
「お、おっけい。そのようにしよう」
「その前にお腹減ったっス。何か食べてからにしましょう」
「それじゃあ、蕎麦でも食べに参るか」
「わーい、ご馳走様です!」
「えっ!? ああ、そうだね。先輩だからね。うんうん、遠慮せずに食べるがよい」
「あざーっす!」
「この甘え上手め」
「あ、先輩。映画見る前にポップコーン買いましょう!先輩は飲み物コーラですよね?」
「お、おう。気が利くではないか」
「はいどーぞ。じゃあ俺はこっち座りますね」
「うむ、良きに計らえ」
「映画おもしろかったですねー」
「そうか? 我は最後のオチに納得しかねるな」
「わ、我?」
「んん、いや、なんかごめんなさい。どんな口調で接したらいいか分からなくて変になってました」
「今更何言ってんですか? 疲れてるんなら早く寝たほうが良いッスよ。じゃあ俺はさっさと帰ります」
「え、あ、まだ続けるんですね。うん、じゃあ、また明日」
「また明日ッス〜」
■■
「・・・それで後輩くんよ」
「なんスか先輩?」
「実験を始めて一週間経ったのだけれど、これ、まだ続けるの? だいぶ自然な形にはなったと思うけど、そろそろいいんじゃない?」
「・・・実験?」
「いや、ほら、スタンフォード監獄実験の奴」
「へぇ、先輩もスタンフォード監獄実験知ってるんスか。趣味会いますね! 俺もそういう怪しい実験大好きなんですよ!」
「いや! もういいから! 大体わかりましたから!」
「何がわかったんです? 先輩が何を言いたいのか分からないんですけど」
「何が言いたいって・・・だから、スタンフォード監獄実験のオマージュというか模倣というか、それの簡易版でお互いに肩書を入れ替えて日常を過ごしたらどうなるか、っていう実験を始めたじゃないですか」
「?? ああ、先輩来年はもう4年生ですからね。自分が所属する研究室の話か何かですか」
「え、いやいや、え? こちらの方こそ何を言ってるんですかって感じなんですけど」
「でも来年は同時に就活も始まるんですよねー。先輩はもう考えてるんですか?」
「・・・」
「そういえば俺、昨日の講義、苦手な筈だったんですけど何か前にも受けたことあるようなデジャブに陥って、まあお陰でなんですけど、結構理解出来たんですよね」
「え、まさか2年生の講義を受けてるんですか・・・」
「当たり前じゃないですか。俺2年生ですもん」
「こわいこわい! 役にハマりすぎですって!」
「役ってなんですか」
「だから肩書が人格に左右するって話!」
「肩書が人格に左右する? そんなわけないじゃないですか」
「今! まさに! 先輩が! そうなんです!」
「俺は後輩ですよ先輩。急に敬語使って・・・なんか怖いですよ」
「こっちのセリフ! え、本当に? 嵌り過ぎじゃない? 肩書に左右され過ぎじゃない? っていうか記憶も改変されてません?」
「俺もう行っていいですか? 今日の先輩は変ですよ」
「どうしようどうしよう! めちゃくちゃ馴染んでるよぉ!」
「先輩はたまにわけがわからないですからね~」
「どどどどうしたら元に戻るの!?」
「人を変な風に言わないでくださいよ。先輩こそ冷静になって元に戻ってください」
「わあわあわあ!」
「それじゃあ、お先っス」
「ま、待って!」
「何なんですか」
「じゃあ! 後輩くん、私と実験をしよう」
「研究室の何かですか?」
「うん、そうそう。私がいまテーマにしている実験に協力してほしいんだ」
「そういうことならいいですよ。先輩の頼み事ですからね!」
「う、うむ、頼もしいな。それで、実験というのが、さっきも話したスタンフォード監獄実験のことなんだが、以下略」
「成る程わかりました」
「そこで簡易的に、先輩と後輩の役割を変えようと思うんだ。私が後輩で、後輩くんが先輩」
「了解っス。面白そうですね〜」
「敬語もダメですよ?」
「そうかそうか、理解したぞ! 後輩よ!」
「おお?」
「いやー腹減ったな。おい後輩、ラーメン喰いに行こうぜ!」
「おお!?」
「心配するな、俺の奢りだ」
「せ、先輩・・・」
「な、何だよ涙目になって。そんなにラーメン食べるのが嬉しいのかよ。そうかそうか、ついにお前もあの味を理解したんだな」
「も、もとに戻ったぁ」
「変なことを言う後輩だな」
「本当に、怖かったですよぉ」
「よくわからんが怖いとは失敬な」
「よかったぁ。それに、財布も結構厳しかったです。先輩がいつも当たり前のようにご飯をご馳走してるれるのがあんなに有り難いことだと痛感しました。何処か慣れてる自分もいたので、反省です」
「お、何故だか後輩の評価が高いな」
「ええ、まぁ概ね実験は成功と言っていいんじゃないでしょうか? 主に先輩の方だけですが。私は終始違和感がありましたよ。やはり、ある程度の責任や矜持が伴わないとこの手の肩書は意味を成しませんね」
「何の話をしているんだ?」
「ん? まさか自分が後輩役だったときの記憶がない?」
「なんだ?後輩役って」
「い、いや。何でもないです。何でもないですとも!」
「ふうん? それならいいけどよ」
「ええ、気にしなくていいんですよ。それより先輩、今日は用事があったんですよね! 早くそっちに行ってください」
「ん、ああそうだった。友人の作ったゲームの製作を手伝うんだった」
「へえ、面白そうですね」
「俺も初めての収録だから、なかなか緊張するな」
「収録?」
「ああ、アフレコの仕事だ」
「アフレコとは?」
「うーん、吹替みたいなものだよ」
「吹き替え・・・声優・・・」
「そうそう、声優だ」
「先輩」
「なんだ後輩」
「絶対に断れ」
おわり
後輩ちゃんに後遺症が残った