会話劇その1
「慣れというのは怖いものだと思わないか?」
「慣れ、ですか」
「ここで言いたいのは、慣れることによって発生するケアレスミスだとか、そういう事ではないぞ?」
「ところでケアレスミスって言葉、ケアレ・スミスって人の名前みたいですよね」
「確かにどこかのファッション誌にモデルとして存在してそうだ。じゃなくて、俺が話したいのは当たり前の事だけど当たり前すぎて見えなくなっているという話でだな」
「ファッション誌のモデルだったらケア・レ・スミスって感じですかね」
「・・・話を戻していいか? 人生は一度きりしかないって話なんだが」
「そんなの当たり前じゃないですか」
「そういうと思って前置きしたつもりなんだが・・・まあいいか。人はいつか死ぬだろ? つまり人生は有限だ。大なり小なりあるにせよ、上限が決まってて、人は残された時間を何かに使って消費し続けてる。恐ろしいとは思わないか? 今この時も刻淡々と時間が消費されているんだぜ? 死に向かって進んでいるんだ。俺たちはもっと、今この時を大切にしたほうがいいと思うのだが」
「私はそれなりに大切にしているつもりですよ。今この時だって無駄にしているつもりはありません」
「だけどさ、本来人はもっと真剣になれるはずなんだ。人生は死ぬまでに何ができるかだろ? だから終わりまでの残された時間を意識すれば、死を身近に感じれば本気になれるはずなんだ」
「死を身近に、ですか。ピンときませんね」
「だからそう、つまり慣れてしまっているんだよ。時間を消費するのに。なぜなら生まれてこの瞬間までずっと時間を消費し続けてきたんだから。だから慣れてしまうのは仕方のないことかもしれない。しかし、そのままではいかんと思っているんだ」
「どうあればいいと?」
「例えば締め切りが近いほど物事に取り掛かるときの集中力が増すだろ? だからそれを死に置き換えて、いついかなる時も自分が無事で何事もなく生きていられるとは思わないように心掛けて、次の瞬間死ぬかもしれない事を想定すれば、覚悟をしていれば、常に悔いのないように行動できると思うのだ。目の前のことにもっと真剣に取り組めるはずなんだ」
「目の前の事に、ねえ」
「時の流れとは、いわば命の消費といってもいい。そして俺たちは命があふれ出すのを止められない。まるで動脈を切られ、出血しているかのように」
「ぶすり」
「な、なんだよいきなり」
「先輩、私は今先輩のお腹を刺しました。致命傷です。血は止まらず、処置も間に合わず、やがて死んでしまうでしょう。さあ先輩は今、誰よりも死を身近に感じています。本気になれますか? 何かやり残したことをやりますか? 真剣になれますか?」
「いや、痛くてそれどころではない気がするけど」
「そういう話じゃないです」
「じゃあ痛いかどうかは置いといて、でも残された時間が少なすぎて今更何をしようとしても何もできずに死ぬだけでは?」
「だけど先輩は、死を身近に感じれてありがたく思えばもっと真剣になれるんでしょ? いつでも次の瞬間死ぬことを覚悟しろというのなら、同じことだと思いますがね」
「死を覚悟してるけど、これ、死が確定してるじゃん」
「いつでも次の瞬間死ぬことを覚悟するのだから、いつでも死が確定しているようなものじゃないですか」
「うーん? そうなのか? 厳密には違う気もするが、概ねそうかもしれない。いつでも死を覚悟しろって、本当の本当に死ぬことを覚悟してしまったら、行き過ぎてしまったらそれは、死んでいるのと変わらないのかもしれない」
「そうですよ。死ぬことを本当に実感しちゃったら結局何もできないんですよ」
「ダイイングメッセージくらいは書けそうだけどな」
「でも先輩の言っていることもわかります。確かに平穏に慣れすぎて、どこか緊張感に欠けているのは否めません」
「じゃあどうしたらいいんだよ。どうしたら俺はもっと真剣に生きていけるんだ後輩よ」
「そんなこと後輩に聞かないでくださいよ人生の先輩でしょうが。まあその、折衷案というか代案とかが無いわけでもないですよ。平常時に死を覚悟するのが過剰だという話はしましたよね? 人間、いつか死ぬとわかっていても、次の瞬間だとは思っていない」
「そうだな。確かにいつかは死ぬけど、事故にあうとか、お前に刺されるとか普通は除外して考える。いざ、危機に陥った時にやっと考えるようになるのかもしれんな」
「人という括りでは世界中でこの瞬間にも何処かで人は死んでるかもしれません。しかし、人類史上未だかつて私が死んだという前例はないんですよ」
「おお、当たり前の事を何てかっこよく表現するんだ。俺も今度使おう」
「・・・何やら哲学チックな話題を振るので、珍しく深いことを言うなぁと感心していたんですけど」
「何を言うんだ。俺はただ出血のくだりがかっこいいと思ったからお前に話したかっただけだよ」
「全然深い意味なかった!」
「おいおい後輩。あんまり先輩を馬鹿にするもんじゃない」
「真剣に取り合った私が馬鹿でしたよ!」
「そう言うなって、アイス奢ってやるから。それに、お前の話に興味が無いわけじゃない。続きを聞かせてくれ」
「・・・だいぶ興が削がれましたが、まぁ、いいでしょう。では話を戻しつつ。持論になるのですが、人間いつかは死ぬとわかっていても、本当のところは自分だけは死なないんじゃないかって思ってるのかもしれません。戦争や殺人事件のニュースを見ても、どこか他人事であるかのように。近所で事故があっても、身内が不幸にあってもです。もしかしたら教室にテロリストが入ってきて人質にされても、恐怖こそは感じても自分は助かるのではないかと思うんじゃないですか? 自分が不治の病に掛かったとしても、本当は大丈夫なのでは? って思うんじゃないですか?」
「正常性バイアスという奴だな」
「なんでそんな言葉知ってるんですか。浅いくせに」
「感心したか?」
「はい、少し見直しましたよ」
「お前はちょろいな」
「うるさいですよ」
「正常性バイアス。人は何か不慮の事態に行き会ったとき、精神を保護するために不安要素を取り除く手段として自分だけは大丈夫だと根拠もなく思いたくなる生き物だ。心が強いとか弱いとか関係なく、そういう心理状態に陥りやすい。人間の習性と言ってもいいかもしれんな」
「わりとあるあるですよね」
「死は誰にとっても怖いもので、誰にでも訪れる回避不可能の恐怖だ。そんな恐怖を前に日常的に怯えていたら人はもたない。だから人間は、死の存在を認識していながら、なるべく自分と遠いところに置いて、マインドコントロールの用に、自然に、無意識に、死は自分にとって無関係だと思い込む。わかったか後輩」
「・・・ん?」
「そして、だから身近に死を感じないというのは人間の生理現象なんだから、それを平常時に無理やり呼び出そうとするのが間違いなんだよ」
「いつの間にか私の意見を自分の意見として私に論じている!?」
「いやすまん。俺の方に興が乗って勢いで話してしまった」
「じゃあ勢いついでに結論付けちゃいましょうか。これらの話を受けて、先輩は結局どうしたら真剣に生きていけると思います?」
「えー、さぁ、どうしたらいいんだ後輩」
「結局私に振るんですか! 少しは悩めよまったく! ・・・だから私の言いたかった折衷案というのがですね、つまり、死というテーマが壮大すぎるので、もっと身近な例えに置き換えようということです」
「ほう、例えば?
「例えば、そう、今先輩が取り掛かっている課題を、このまま私と雑談を続けて引き延ばしたところで、やがて締め切りは来る」
「う・・・」
「そして明日、怒られるのが確定する」
「恐ろしい」
「恐ろしいでしょ? あの教授から怒られるんですよ? あの教授は怖いですよぉ。想像してみてください。さあ、あの教授を身近に感じましょう」
「あ、あの教授を・・・」
「ほら、どうです? 緊張感出てきただしょ?」
「いやいまいち」
「何でですか!」
「お前ならともかく、あの教授を身近に感じるとか普通に気持ち悪い」
「そ、そういう話はしてないでしょ! もうっ!」
「というかその考え方は短絡過ぎないか? みんな少なからず似たような理由で取り組んでいると思うぞ?」
「だから慣れてしまって安易に考えているという話では? 自分が置かれている状態を再認識して、現実逃避がいかに無意味で不利益かを理解して、当たり前の事を当たり前のようにできるためのプロセスとして必要なことだと思いますが」
「何だか大袈裟な話になってきたな。そんなに深く考えなくても多分大丈夫だって」
「それ正常性バイアス掛かってますから!」 あーもういい加減くだらない雑談はやめて早く課題を終わらせてくださいよ! 早く遊びに行きましょうよ!」
「わかったわかった。そもそも俺はそんなネガティブな思考は性に合わんのだ。怒られるから頑張るだとか、締め切りだから急ぐとかじゃなくてさ、もっと前向きに考えよーぜ。報酬制度なんていいんじゃないか?」
「報酬制度が果たしてポジティブな分類に入るのか疑問ですが。もういいですよ最初の提唱は何だったんですか」
「意見が変わったっていいだろ。人間何かを学ぶのに遅すぎるという事はない、なぜなら今この時が人生で最も若いのだから」
「それは誰かの名言です」
「バレたか」
「じゃあどんな報酬があれば頑張れるんですか?」
「それを考えるのはお前だろ?」
「意味がわからないんですけど。丸投げじゃないですか。はあ、何で私の方が疲れるんだ?」
「肩でも揉んでやろうか」
「結構です。もう、わかりましたよわかりましたとも。不肖私めが提唱させていただきましょう」
「さすがだぜ」
「えーと、じゃあ例えば、課題に真剣に取り組むと知見が広がる」
「小さいな」
「努力した過程が人生の糧になる」
「弱いな」
「教授に褒めてもらえる」
「どうでもいいな」
「私がなんでもいう事を聞いてくれる」
「それだ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「うわ、なんかやる気出してる・・・」
「よし終わった! さあ遊びに行くぞ後輩よ!」
「早っ! 最初からそうしろよ! 今までのは何だったんですか! 無駄な時間を過ごした気分なんですけど!」
「そこはまあ出血大サービスという事で」
「うまくまとめるな!」
「ほら行くぞ。アイス食べるだろ?」
「・・・食べるー」
「そういえば出血大サービスって、集客目的にしては物騒な言葉だと思わないか?」
「もういいですよ!」
おわり
アイスはおいしかった。