東屋にて(婚約後1ヶ月ごろ)
○執務室にて
王太子の婚約者として何不自由のない環境を与えられているはずなのだが、大自然のなかで育ったフェリシアにとって、王宮での暮らしはとても窮屈なものになっていた。
侍女であるライラが王宮に残ってくれたことが唯一の救いだったが、彼女自身、王宮でのしきたりを覚えながらフェリシアの世話をしているため、以前のようにゆっくりと二人でお茶をする時間もない。
ストレスと息苦しさから故郷を思い出し、感傷的になる日が続いていた。
「フェリシアの様子がおかしい?」
執務室で、レオンハルトは密かにフェリシアにつけている影からの報告を受けていた。
「王太子妃教育は順調に進んでいるとの報告を受けていますが……慣れない環境にお疲れが溜まっているのかもしれませんね」
影が去ったあと、伯爵家の子息で側近兼護衛を務めるアレックス・ダンセルが、横からレオンハルトに声をかける。
「……アレク、明日の午後にフェリシアと会う時間を作ってくれ」
「直前での調整は難しいかと」
「それを何とかするのがお前の仕事だろう?」
レオンハルトは冷たくあしらう。
幼馴染でもあるアレックスは、気を許すことができる数少ない人間だ。
「ハァ……分かりました」
アレックスはがっくりとうな垂れながら呟く。
「あまり時間は作れないですよ」
○東屋にて
「毎日頑張っているみたいだね。フェリシアはとても物覚えがいいと聞いているよ」
婚約から1ヶ月程経った、とある昼下がり。
午後からのレッスンが急遽取りやめとなり、東屋にて、レオンハルト殿下と二人だけのお茶の席が設けられていた。
お茶の準備が整ったところで、レオンハルトが無言で人払いをする。
「殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「ああ、堅苦しい挨拶はいいよ。それと私のことは、レオンハルトと。できれば二人だけのときはレオンと呼んでほしいな」
「殿下に対してそのような畏れ多いこと……」
「レオンだよ、君のことはフェイと呼んでもいい?」
「ほら呼んでみて」とばかりに、有無を言わせない空気だ。
「ではレオンハルトさ……」
「レ・オ・ン」
優しく訂正しながら、いつの間に近づいたのか、レオンハルトの手がさりげなくフェリシアの手の上に重なる。
(近い、距離が違いです、殿下!)
婚約のときに初めて顔を合わせてから現在まで、彼がなぜこんなにも自分に好意を寄せてくれているのか、フェリシアには理由が分からなかった。
「ゴホン、失礼ながら、レオンさまとは婚約のときにお会いしたのが初めてのはずです。
このような(過剰な)ご好意を寄せていただく理由がわたくしには分からないのですが?」
(いまさらですが、どなたか他のご令嬢と私をお間違えになられているのでは?)
困惑した表情で尋ねると、レオンハルトは伸ばした指をフェリシアの指に絡めながら、魅惑的な笑みを浮かべた。
(だから近いですっ!殿下!)
真っ青な瞳に絡め取られ、恥ずかしさに軽く眩暈を覚えながら目線をそらす。
「君は覚えていないかもしれないけれど、私は以前、フェイに出逢っているよ」
そう言って、フェリシアをじっと見つめる。
いつ何処で?と尋ねようとしたとき、
側近のアレックスが、うしろから声をかけてきた。
「殿下、失礼ながら、そろそろお時間が……」
「まったく、無粋な奴だな」
アレックスを軽く睨み、絡めた指を名残り惜しそうに離す。
「フェリシア、君は私にとって唯一の存在だ。絶対に手放す気はないから覚悟しおいてね」
そう言い残し、レオンハルトはアレックスとともに東屋をあとにした。
呆然としたままのフェリシアを、遠巻きからハラハラしながら見守る侍女ライラの姿があった。