8話:ロクサーヌ
夢を見ていた。
もう20年以上前の夢だ。
その頃わたしは成人になったばかりで、プラトリーナ孤児院という所で働いていた。出来たばかりのその孤児院は、わたしのような者でも受け入れてくれた。
わたしのような人外と人間のハーフでも。
母は人間だったが父はインキュバスだった。
その孤児院は貴族の令嬢が暇つぶしで創立した物だと思っていた。貴族が庶民の為に何かをするなんて考えられないからだ。
しかしその孤児院の創設者、プラトリーナ・ディ・ナターレと言う男爵令嬢は毎日のように孤児院に顔を出し、なおかつ子供の面倒まで見ていた。貴族の気まぐれか、施しを与えることに優越感でも得ているのか、そんな風に思っていたがある日・・・
「子供は国の宝です。私には1の知識しかありませんが、それでも数人は救うことができるでしょう。しかし10人の子供に教え育てれば、1の知識をもった者が10人になり、数十人を救うことができます。優秀な子が育てば2の知識を持つ子も産まれます。そして3の知識を持つ子、4の知識を持つ子、その子たちが次代の子供たちを教え育てれば、いずれ国をも救うことができるのです。私にできる事なんてほんの僅かな事ですけど、その出発点になればと、この孤児院を作りました」
誰と話しているのかは忘れました。しかしプラトリーナ様がおっしゃった事は忘れることができません。これがわたしの原点だと。
「おはようございます。ジーリオ様!・・・ジーリオ様?」
「あ、ああ、おはようベアトリス」
どうしたのでしょう?ジーリオ様が上の空です。何か考え事でしょうか?
「今日は午後からお客様がみえられるとのことでしたが、どなたがいらっしゃるのでしょうか?」
わたしもこの奴隷商に7年いますので、それなりにお客様のことは存じ上げています。
「初めてのお客様だね。商工会の会長さんの紹介状をお持ちだそうだ」
この変わった奴隷商は基本一般の方の一見様はお断りで、初めての方は常連さんの紹介状か、貴族様の紹介状が必要となります。
「初めての方ですか・・・どのような子をお求めなのでしょう?」
「まだ決められてないそうだ。お客様は小規模商会の商会長さんで、従業員兼・・・奥様になられる女性が希望だそうだ」
え?・・・従業員はわかりますが・・・奥様を、奴隷から探すって?・・・
この世界は数十年前からの魔物の襲撃で男性が数多く亡くなり、成人の男女比が1:3となっています。
そのため一夫多妻制で、貴族だと10人前後、庶民でも2人以上のお嫁さんをもらうのが普通です。
小規模でも商会長さんであれば、女性などそれこそ寄り取り見取りでしょう。それなのに奴隷を買うというのは・・・
「えっと・・・お年を召した方なのでしょうか?」
「いや、まだ18歳だね」
18歳で商会長さん!?すごく有望な方ではありませんか。
「えぇっと・・・実はお金がない、とか?」
「商会を起こしてまだ2年だと言うが、すでに2店舗目を開店するらしいね。そこの従業員が欲しいらしいからお金がないわけがないね」
とすると・・・後は・・・
「あの・・・その・・・もしかして、お顔がその・・・」
「色々気になっているようだけど、会えば分かるよ」
はい、そうですね。考えても仕方ありません。
「商会の従業員として、計算、接客、交渉、3迷宮語のどれかを持ってる子をリストアップしておいてくれ」
「わかりました」
今日のお客様は細かい注文がなく会ってから選ぶようです。ジーリオ様がおっしゃった条件に合う子は・・・いっぱいいますね・・・
まず3迷宮語のどれかでいいと言うなら、その地域出身の子は全員ですし、計算はここでの基本スキルなので半分の子は持っています。接客、交渉となると少ないですが、それでも2/3の子は条件に合いそうです。そうなると優先順位は、年長者ですね。
先日ここにやってきた孤児院の子たちが一番の年長者さんですが、誰も条件に合いません。孤児院では読み書きも教えてもらっていなかったので。
他の候補は12歳の子で・・・え~っと・・・6人いますね。彼女たちを優先的に紹介することにしましょう。
「はじめまして。商工会の会長さんから紹介して頂きました「アルクアンシェル商会」のソリテールと申します」
「よくいらしてくださいました、ソリテールさん。わたしはこの奴隷商「フィオーレ」の商会長のジーリオと申します。どうぞお掛けください」
ジーリオ様の後ろに立つわたしは、軽くお辞儀だけをするとお茶の用意を始めました。
18歳ということでしたが、若くして商会長になるほどの人なので子供っぽさはなく24、5歳くらいにも見えます。かなりおモテになりそうなお顔ですし、なぜ奴隷の子を?・・・ただ一つ気になることと言えば、チラチラ見られています。
ジーリオ様とお話している最中ですが、時々お茶を煎れるわたしに視線が来ます。それに気づいたのかジーリオ様が、
「気になりますか?その子が」
「え!?あ、いえ、その・・・この子も・・・購入できるのでしょうか?」
わたしはダメです!すでに奴隷契約をしていますので・・・
「申し訳ありません。その子はうちの従業員でして。ベアトリス」
ジーリオ様に声を掛けられて作業の手を止めます。ソリテールさんに向き直り、
「挨拶もせず失礼いたしました。ベアトリスと申します、よろしくお願いします」
「あ、いえ、こちらこそ・・・ソリテールです」
なんとなくわかりました。ソリテールさんは女性に免疫がないようです。ブランディーヌのお相手のように怖がってはいないようですが。
「それで、どのような子をご希望ですか?」
「そ、そうですね・・・小柄でおとなしく、かわいらしい子がいいのですが・・・」
・・・ジーリオ様が聞きたいのは、どのような技能を持ってる子をご希望なのか、と言うことだと思いますが・・・
「失礼、そういえば商工会の会長さんの紹介状を拝見しても?」
「あ、すいません。こちらです」
「拝見します」
ジーリオ様は封筒から手紙を取り出して目を通していきます。
そして・・・天を仰いでしまいました・・・
「会長さんは少し誤解されてるようですが・・・わたしの奴隷商は愛玩用としてはお売りできないのです」
「・・・愛玩用ではありません。わたしは本気で妻となる女性を見つけたいと思っています」
「ですが・・・いえ、続けてください」
「わたしは普通の女性が嫌いです。男のお金や地位に縋ろうとする女性が・・・今まで会った女性はどれもそんなのばかりでした!」
ソリテールさんは苦虫を嚙み潰したような顔をされています。よほどキライなんですね・・・普通の女性は、お金はあればあった方がいいと思うのではないのでしょうか・・・
「しかし会長さんの所で見かけた奴隷に心を奪われたのです。打算もなく主人の為に働くその姿が美しく、その子がここの出身だと聞いて・・・」
ソリテールさんは一呼吸置いて続けます。
「わたしには夢がありました。どこかの田舎の小さな町で雑貨屋を営みたいという夢です。そのための資金、金貨100枚を得るために必死に働きました。お店が出来たら妻をもらい、ささやかですが幸せな生活がしたかったのです」
ジーリオ様が黙って聞いています。わたしもお茶の準備の途中ですが、なんだか聞いていないといけない気がして手を止めたままです。
「ところがわたしには商才がありました。予定の金額はわずか半年で貯まり、会長さんの勧めで独立し商会を開きました。商売は順調でそろそろ嫁探しをしようとした時、女性が群がってきました。お金目当ての女たちです・・・中にはわたしが商売で成功するまで見向きもしなかった女性もいました・・・わたしが女性嫌いになるのに時間はかかりませんでした。それからは夢を忘れ仕事に打ち込んでいたのですが、先日小さな町の町長さんが、雑貨屋を開いてほしいとうちの商会を訪ねてきたのです。たいした規模でもない町で、出店するメリットはないと断ろうとしたのですが、そこで夢を思い出しました」
少しづつ沈み込んでいた表情が急に晴れやかになりました。
「奴隷を売ってください。普通の女性ではダメなのです・・・雇っても信用できません・・・公都にある本店は売却します。予定価格は金貨400枚、そのお金で奴隷を売ってください。わたしは心を買いたいのです・・・。小さな町に雑貨屋を開き、二人で暮らしたいのです」
歪んでいます。歪んでいますが・・・言葉でどうこう言っても仕方ないのかもしれません。
ジーリオ様も迷っているようです。言っては悪いですが、こんな方にうちの子を任せてもいいのでしょうか?
「奴隷の隷属期間は10年です。10年後売った奴隷が貴方から離れてしまうかもしれませんよ?」
「かまいません・・・それで逃げられるなら、わたしはそれまでの男です。おかしなことを言っている自覚はあるのです。心を買うなんて・・・すでにわたしは心が死んでいるのかもしれません・・・」
このような方ですが・・・癒してくれる女性が必要なのかもしれませんね・・・
「条件があります・・・」
「なんでもおっしゃってください」
ジーリオ様がテーブルの上に肘を付き、組んだ両手の上に顎を乗せて条件を出されました。珍しくお行儀が悪いですね。
「奴隷は売りましょう。ただし、結婚は隷属期間が終わる10年後です。売った奴隷が拒否した場合諦めてください」
「かまいません」
ソリテールさんはさも当然と言う顔をされて即答しました。
「ベアトリス」
「はい」
「ロクサーヌを呼んでください」
「はじめましてロクサーヌ・・・です・・・」
「ソ、ソリテールです。よろしくお願いいたします」
ジーリオ様が選んだ子はロクサーヌです。最近12歳になったばかりの子で、あまり身体が丈夫ではありません。いつも本を胸に抱いています。
確かにソリテールさんの希望の、小柄でおとなしくかわいらしい子ではありますが・・・
「ロクサーヌはあまり丈夫ではありません。無理に仕事をさせると寝込むこともあるでしょう。それでもかまいませんか?」
ジーリオ様の呼びかけには反応せず、ソリテールさんはしゃがんでロクサーヌと目線を合わせました。
「わ、わたしはこれから田舎で雑貨屋を開きます。それを手伝っては・・・くれませんか?」
ロクサーヌはじっとソリテールさんを見つめてからジーリオ様に視線を送りました。
「ロクサーヌが決めていい。嫌なら他の者にするから」
「イヤじゃない。わたしを買ってくれるんでしょ?なら行く」
ロクサーヌは迷う素振りもせず決めました。よいのでしょうか?
「ソリテール様の心は真っ暗になってるね。暗くて痛そう・・・癒すのがお仕事?」
「!?」
ロクサーヌは首を傾げてジーリオ様に問います。ソリテールさんが息を飲みました。ロクサーヌのスキルって?・・・
「ロクサーヌは【感情観察】という恩恵を持っています。かなりレアな恩恵ですが、観察しかできないので癒すことはできません」
一般的には「スキル」という言葉は通じません。普通の人は「恩恵」と呼んでいます。
驚いているソリテールさんの顔にロクサーヌが触れました。
「かわいそう。とても痛そうね。痛いの痛いの飛んでけ~」
え~・・・っと。ロクサーヌ、いくら何でもそれは・・・
「ぷ、あっはっはっは」
ソリテールさんが吹きだし大笑いしました。
「少し、明るくなった」
「ジーリオさん、あなたは客に嘘をつきましたね。観察だけではありません。癒す力も持っているではありませんか」
「そうですね。申し訳ありません」
ソリテールさんはロクサーヌと握手をしながら「これからもよろしく」と言いました。
「ジーリオさん、ロクサーヌを買うのはやめにします」
「え!?」
ソリテールさんは何を言っているのでしょうか?たった今よろしくって・・・
「ロクサーヌをください。買うなんて失礼だ。その代わりこの奴隷商に金貨400枚を寄付します」
貰うのも失礼ですけど・・・結局同じことなのでは?・・・
「そうですか、それでは奴隷契約書は必要ないですね。嘘をついたお詫びに譲渡しましょう」
ジーリオ様はソファーに身体を預け、眼だけロクサーヌに向けて最後の確認をします。
「ロクサーヌ、奴隷契約は終了です。それでもソリテールさんについていきますか?」
「行く・・・お店をするの、やってみたかった」
頬が少し赤くなりました。
「わかりました・・・ロクサーヌ、元気で」
ロクサーヌは持っていた本をソリテールさんに預け、両手を腰の辺りで重ねジーリオ様に静かにお辞儀しました。
「お世話になりました商会長さん。今までありがとうございました」
ジーリオ様は、古代語で「夜明け」を意味するロクサーヌの【隷属】スキルを解除しました。