35話:ハイエルフ
まったく、なんでこのワシがこんな所で足止めを食わねばならんのだ!馬車の修理はまだなのかっ!?
伯爵であるこのワシが、わざわざこんな辺境まで足を運んでやったと言うのに、肝心の「恩恵の神の使徒」と呼ばれる商会長が留守とは!
先日ヴァレンティンめの屋敷で公王であるクジロ侯爵の息子のテリート公子の生誕祭が行われた。
ヴァレンティンの領地にはこの国で一番大きな「恩恵の神」の神学校があり、テリート公子はそこの生徒だ。本来であれば公都で祭りが行われるほどの公子の生誕祭だが、公都までは往復10日もかかる。準備も含めれば最低半月は学業が疎かになる為、クジロ公王が「学生の本分である学業を優先せよ」と公示し、学校の隣にあるヴァレンティンめの屋敷で行われることになったのだ。
ヴァレンティンめは革命前は辺境の子爵でしかなかったが、S級とも噂された伝説の「魔法戦士」の協力を取り付け、革命を成功させた功績で辺境伯になった。
そのヴァレンティンめの屋敷で行われた公子の生誕祭だが、お祝いに駆け付けないわけにもいかずしぶしぶこんな田舎にまで足を運んだのだ。
以前から報告を受けていた「恩恵持ち奴隷」専門の奴隷商が隣の子爵領にあったため、帰りに立ち寄ろうと子爵領の関所に向かうと、ヴァレンティンの手の者に関所を封じられていた。ワシが奴隷商に向かうのを読んでいたのか?奴隷なのに皆恩恵を持っているなど異常なことだ。商会長は恩恵の神の使徒なのではないか?との噂もあった。その者を捕らえることが出来れば恩恵により我が兵士たちを最強軍団にすることが出来るかもしれない!
「ヴァレンティンめ!ワシの邪魔をするか!?だが、ワシにも奥の手があるのだよ」
とあるルートで手に入れた迷宮産の魔道具で「魔物召喚の笛」というものがる。この笛を吹くと一度だけ封印された魔物を解き放つことができるのだ。ゴブリンを召喚する「ゴブリンの笛」やオーガを召喚する「オーガの笛」など。そしてワシが持っているのは貴重で強力な魔物、マンティコアを召喚する「マンティコアの笛」だ!
解き放ったマンティコアは関所を守るヴァレンティンの兵を一蹴した。その爪や牙で兵士を切り裂き、口から吹きだす炎で関所を焼き払った。見事に目的を果たしたが、マンティコアは我が兵士達にも襲い掛かって来た。
初めて使った笛だが敵味方の区別がないようで我が兵士にも被害が拡大した。危ういところだったが騎士たちが多大な犠牲を払い、なんとかマンティコアを敗走させることに成功した。
50人以上いた騎士たちはわずか十数名を残すのみとなったが、戦死した騎士たちの補充のためにもなんとしても奴隷商に向かわねばならなくなり現在に至る。
攫ってきたあの女を人質にして商会長の身柄を確保できれば御の字だが、ヴァレンティンの追手も迫っているだろう。一刻も早く領地に戻らねば・・・。
しかし、外がやけに静かだな?修理はまだ終わっていないのか?
「おい!誰かいるか!?・・・」
おかしい、返事がない。騎士たちは何をしている!?御者すら返事をしないというのはどういうことだ!?馬車のカーテンを開けて周囲を見渡す。
誰もいないが特に変わったことは・・・
「なんだこれは!?」
急いで馬車の扉を開けて外に出ると、10人以上いた騎士たちが全員地に倒れ伏していた。微かに動いているところを見ると死んではいないようだが、一体何が起こったのだ!?
わたしは奴隷商に帰るために街道に沿って進んでいます。周囲の景色が流れるように過ぎ去り、風圧で髪が後方にたなびきます。しかし馬車より速く、走るより静かです。空を飛んでいるのです。地面から数十cmの所を。
「ねえベアトリス。横の森を飛び越えた方が早いんだけど・・・」
「いやです!これ以上高い所は怖くてムリです!」
先ほど容赦なく上空を飛ばれて空に虹を作ってしまいました。地面から足が離れることがあんなに怖いなんて初めて知りましたよ・・・。
街道に沿ってしばらく飛んでいると関所が見えてきました。いつの間にか領地を抜けていたようです。
まだ遠いのでよくは見えませんが、関所の周辺に何頭もの馬と武装している兵士の姿が見えます。何かあったのでしょうか?
「さっきの貴族は無理やり関所を突破したみたいだね。これから追撃するようだ」
ああ、わたしの件でした・・・。
「このままじゃ鉢合わせだね。上空に登るよ!」
「え!?ちょっとまっ・・・!!」
急激に上昇したためお腹の中身が下に動きます。風圧で息が出来ず声にならない悲鳴をあげました。
「それでは追撃を開始する!抵抗した場合は抜刀を許可するが、グスターヴ伯爵は殺すな!」
「「「「はっ!」」」」
「ん?こんなに晴れているのに虹が?」
また服を乾かさないといけなくなりました。一体何度目でしょうか・・・。無事に関所は抜けることが出来ましたが、スカートに大きなシミが出来てしまいました。街道から少し逸れた所にある小川で服を洗い焚火の側の枝に引っ掛けます。パンツ一枚だけでは恥ずかしかったのですがニンフェア様がローブを貸してくださいました。ありがたいことですが服を洗濯する原因を作ったのもニンフェア様です。
「え!?ニンフェア様それって・・・」
「ああ、そういえば言ってなかったね。ボクは妖精族の生き残りでね。この通り羽が生えているんだ。珍しいかい?」
ローブを脱いだニンフェア様の背中からは薄緑色の羽が生えていました。以前のわたしなら驚いて腰をぬかしたかもしれませんが、今はジーリオ様やプルーニャさんも人間ではないことを知っています。
「羽のある方は初めてお目にかかりますが、ジーリオ様もプルーニャさんも人間ではありませんし」
「そうか。プルーニャにも会っているんだったね。それじゃ・・・」
何かを言いかけたニンフェア様が突然姿を消しました。え!?え!?今そこに座っていたのに目の前から消えてしまうなんて!?左右をキョロキョロしていると、背後の森から悲鳴が聞こえてきました。ガサガサと枝が折れる音が聞こえ地面に誰か落ちてきたようです。急いで森の中に入ると地面に横たわる女の子と、その肩を掴んで地面に押し付けるニンフェア様の姿が見えました。
「ハイエルフを見たことはあるかい?」
ニンフェア様は少し怖い顔をしてわたしにそう聞いてきたのです。
ニンフェア様が押さえつけている女の子の髪の隙間からは、長く尖った耳が姿を見せていました。