29話:ベアトリスの危機
プルーニャさんたちが去っていつもの奴隷商の日常が戻ってきました。すでに午前もあと1時間程度になり急いでお昼ご飯の準備をします。ローズさんたちは怪我はなかったようですが、酷く疲労していましたのでお部屋で休んでもらっています。30分ほど遅れて昼食を終えるとジーリオ様がお出かけになりました。
「被害は最小限で防げたようだけどマンティコアのような魔物が現れたとなると、領主様に報告にいかないといけないからね」
「わかりました。いってらっしゃいませ」
ジーリオ様は魔道馬車に乗り込むと窓から顔を出して、
「来客があったら待ってもらっておいてください。夕刻までには戻りますから」
「はい。お気をつけて」
ジーリオ様を見送り、午後からは畑仕事に勤しみます。冬が近づいていますので修道院用の畑には大根、白菜などのお野菜を植えています。少し遅い種まきでしたが順調に伸びているようなので、雪が降る前に収穫したいところです。普段と変わらない奴隷商でしたが、厄介ごとと言うのは立て続けに起こるもののようです。
「ベアトリス!正門の前に馬車が来たよ!」
「馬車?」
お客様でしょうか?ジーリオ様がお戻りになるまでまだ2時間以上はかかりますが・・・。土で汚れた手を洗い少し汚れていたエプロンだけ交換すると急いで正門に向かいます。そこには一台の豪華な馬車と馬に乗った兵士の方が10人ほど見えました。貴族の方ですか・・・。家紋に見覚えがありませんし一見様でしょうか?しかし貴族の方では一見様でも追い返すわけにはいきません。おもてなし致しませんと。
「お待たせして申し訳ありません。商会長様は現在留守にしておりまして、夕刻までお待ちいただければお戻りになると思いますが」
わたしが門越しにそう伝えると一人の兵士の方が馬車まで走り伝言を伝えています。
「よし、通せ」
「はい。少々お待ちください」
わたしは館の扉まで戻ると壁に埋め込まれた水晶に手を置き『開門』を念じます。すると「ギィッ」っと金属の軋む音がして正門がゆっくりと左右に開いていきます。
「おおっ・・・」
「これが噂に聞く奴隷商の魔道具か・・・」
貴族の方々にも噂が広まっているようですね。正門が開くと馬車がゆっくりと敷地に入って来て玄関の前で止まりました。外にいた従者の方が扉を開くとデブい・・・恰幅のいい派手な装飾のついた服を着た50代ほどの男性の方が階段を降りてきました。わたしは深々と頭を下げて挨拶をします。
「ようこそいらっしゃいました。奴隷商「フィオーレ」の従業員、ベアトリスと申します。以後お見知り置きくださいませ」
「ん」
大仰にあるかないかの首を縦に振り屋敷に向かって歩いてきます。ただの従業員に過ぎませんが名乗りもしてくれません。仕方ないので心の中では「クビナシ」とでも呼んでおきましょう。わたしは玄関の扉を開け応接室に向かって先導します。
「商会長様は現在出かけておりまして、申し訳ありませんがしばらくこちらでお待ちください。今お茶を持って参ります」
そう言って部屋を出ようとするとクビナシが突然声を掛けてきました。
「そちはいくらだ?」
「はい?」
今何とおっしゃいましたか?わたしがいくらか?わたしを買うつもりですか?
「申し訳ございません。わたしはこの奴隷商の従業員でございます。売り物ではございませんので・・・」
「ちっ、まあいい、では他の者を連れてこい」
何でしょう。カチンときますね。ジーリオ様は留守だと言っているではありませんか。
「申し訳ございません。わたくしでは紹介は出来ません。ジーリオ様がお戻りになるまでお待ちください」
「おい娘。グスターヴ様の命令だ。誰でもいいから連れてこい!」
このクビナシとその取り巻きは、完全に奴隷商を娼館か何かと勘違いしているようですね。今までは貴族の方でも誰かしらの紹介でいらっしゃった方でしたので、礼儀をわきまえている方ばかりでしたが、このクビナシは何でも思い通りになると思っている腐った貴族のようです。こういう方には・・・。
「申し訳ございません。商会長様のご命令でないとお引き合わせすることが出来ません。これはオルテンスィア公国辺境伯、ヴァレンティン様にもお認め頂いたことです」
「くっ・・・」
従者の方が絶句しておられます。それはそうでしょう。公国であるこの国には国王という制度がありません。公王様が収める国です。そして公王様とはサイモン侯爵様。ヴァレンティン辺境伯様は侯爵様の次に位が高いお貴族様なのです。
「ふん。ヴァレンティンの爺か。革命で地位を上げた成り上がり者めが。わたしはこの国で100年以上続く由緒正しいグスターヴ伯爵だ。構わぬから連れてこい」
こ、困りました。切り札が通用しません。伯爵と言う位は確か辺境伯より下だったと思うのですが、まるで意に介していません。こういう場合はどうすればいいのでしょうか・・・こんなクビナシにうちの子達を会わせるわけにはいきませんし、庶民であるわたしが逆らうことも出来ません。
ジーリオ様!早く帰って来てください!!




