DAY 1
その日、ニューヨークに一匹、いや一人の類人猿が現れた。”名”は『ピト』。
今はそんなことは誰も知らないが、彼の出現が破滅の狼煙となった。
ーTHE NEW YORK TIMESー
市内で野生の猿が発見された。
市内で猿が発見された事例は今までに無く研究者はこれについて詳しく調査を進めている。
俺は今生物学の課外講義を受けている最中である。
生物科の教師であるハワード博士はアメリカを代表する優秀な生物学者としてとても有名だ。
ハワード博士の講義の内容はニュースや進化論などの理論から持ってくることもあるが、たまにハワード博士の研究について話すこともある。
特にそれらはとても興味深い内容なので、俺は一度も休むことなく出席している。
周囲のクラスメートからは奇異の目線で見られているが、仕方あるまい。
参加数数人のクラスに大切な昼休みを丸々潰してまで毎回毎回参加する人なんざいないわな。
「次の話題は、先日のニュースについてだ。市内で野生の猿が発見されたというニュースだが、これは動物園から脱走した猿などでは無く、現代生息している猿とは全く別系統のものだと私は考える。ひょっとしたら人類史に直接関わるような事かも知れない」
教室にどよめきが起こる。
まあ、ここにいる人数なんてたかが知れてるんだが。
「どういうことですか?」
反射的に質問していた。
「レイモンド君、いつも君は手をあげずに質問するがやめなさい、と言ってももう諦めざるを得んわ」
そう言って苦笑してから、博士は質問に答えてくれた。
「私は昨日、市警から駆除されたその猿の個体を研究のために貰い受けたので、研究所でその猿のDNA解析をしたのだが、これは古代の類人猿の生き残りが進化したものだと考えられる。まだ研究段階だが、それは単なる猿人ではなく、人類に匹敵する程の知能を持っている可能性があるのだ」
チャイムが鳴った。ハワード博士はいつもチャイムが鳴ると話を打ち切る。
もっと話を聞きたいところだが、そうにもいかないので後でハワード博士の研究所に行って話を聞くことにした。彼は研究所に生徒が入っても気にせず接してくれるので、その大らかさに高名な生物学者であることを忘れそうになってしまうほどだ。
もっとも、相手には迷惑がられている可能性も否定できないが。
「今日はここまでだ。後日、研究結果を話すことにする」
なぜ、そんなに優れた知能を持つ生物が何百万年も発見されなかったのに、いきなり発見されたのかという大きな疑問が生まれた。
それに人類史に直接関わるというのは、もしかするとその生物が人類にとっての脅威になるということなのか、証拠もないがそう考えると怖かった。
放課後、学校の前の歩道橋でナンシーを見つけた。ナンシーも生物学には興味があり、ハワード博士の講義に出席していることも多い。
何回かデートがてら博士の研究所に行ったが、本人はそういう意識はなかったらしい。
「やあ、ナンシー」
「レイモンド。さっきの猿の話だけど面白そうだから私も研究所に行こうと思うの。君も行く?」
「俺もその話に関してハワード博士に色々と聞きたいことがあるから行くよ」
「お、やっぱり気が合うね」
「そう言っておだてても無駄ですよ、君と付き合う気はありませんから」
はあ、ナンシーは冷たすぎる。せっかくこっちから歩み寄っているのに…
落ち込みながら、ナンシーと一緒に俺はその足で学校から徒歩15分程度の場所に位置する博士の研究所へ向かった。
これほど近くになければハワード博士はわざわざこんな講座を始めなかったことだろう。
自分の幸運に感謝しつつナンシーと歓談しながら研究所へと歩く。
*
講義を終えたハワード博士は助手のウィルソンと共に研究所に行き、研究の続きを行った。
先日発見された猿をエイプスと仮称し、昨日からエイプスの独自の進化についてウィルソンと共に研究していたのだ。
なかなかエイプスの進化過程を発見できなかったその時、ウィルソンが解剖されたエイプスを指差して言った。
その指先に指し示されていたものは、小さな黒い何か。
「ハワード博士。これは」
面倒くさそうに目を向けたハワードは、すぐに目を大きく開き、身を乗り出して見た。
「なんだ、これは」
あまりの衝撃に一瞬、言葉が止まった。
嘘だろう?そう言いたい気持ちで一気に鼓動が早まる。
「これは、本当に人類の未来に関わってくるかもしれんな」
ハワードは嘆息した。
*
ナンシーと二人で研究所に向かう途中、レイモンドは突如ポケットの携帯が振動して驚いた。
普段SNSなどは通知をオフにしているので、通知自体が少ないからだ。
しかし、ハワード博士からの着信だと知って、さらに驚いてしまった。
博士は滅多に生徒と連絡を取ることがないのだ。
「博士、どうされましたか?」
と聞くと、
「レイモンド君、すまんが研究所に来るのはまた今度にしてくれないか。とんでもない発見があったから、急に忙しくなってしまった」
と言われた。
少し残念ではあったが、
「わかりました。また今度お伺いさせていただきます。研究頑張ってください!」
と、返事をした。
電話を切って、ハワードはもう一度大きく溜息をつくと、
「さあ、これからやることは世紀の大偉業か破滅への一歩か、どちらだろうね」
そうウィルソンに告げた。
数日経って。
俺は今授業時間中である。そして今いる場所は男子トイレの個室。
手にはスマホ、耳にはイヤホンをはめ、動画の掲載されたサイトにシークレットモードで移動し、準備万端。
ずっと解放を待ち侘びていた欲求を解放する。
え?何を勘違いしているのですか?
まさかこんな清楚な僕が授業中にまで淫らな行為なんてしませんよ。
冗談はさておいて、今なぜ授業をサボっているかというと、この前ハワード博士からメールで連絡があった。
先日授業で話していた猿に関する詳細が判明したのだというので、記者会見をするらしい。
翌日、公式に州からも発表があった。
と、いうことで、今はその記者会見を見るためにサボっているわけだ。
まあ、もうすでに六限も終わりに近いので、会見が終わりそうな頃には鐘が鳴っているだろう。万全の体制だ。
お、博士が登壇した。いよいよ始まるようだ。
*
-THE NEW YORK TIMES-
先日の猿に関する分析が完了したとして、高名な生物学者ハワード博士を委員長とする特設委員会が記者会見を開いた。その会見によると、その猿は遺伝子解析の結果通常の猿と何ら変わりはなく、単に凶暴化した猿が市内に偶然迷いこんだものだと考えられるらしい。まだ市内に侵入した経路は不明だという。
ハワード博士が高校に到着した直後、俺は博士に詰め寄った。
だって、仕方ないだろう?
あそこまでして見たのに、結果が期待外れなんだから。
「博士!どういうことですか、昨日の記者会見。普通の猿な訳ないでしょうが!」
博士は言った。
「レイモンド君。落ち着け。人類と同程度の知能を持ち、かつ人類に危害を加えるなんて言ったら、全米、いや世界中がパニックだ、細かい分析が済んだあとにおいおい発表するよ」
博士の顔は少し疲れて見えた。
俺はまだ納得できていなかったが、博士は強引に話を変えてしまった。
「エイプスに関する大変な発見があってね、今忙しいのだよ。話があるようなら、また放課後とかに私の研究所まで来なさい。人手も欲しいのでね。」
大変な発見とは、この間言っていたものだろうかと気になった。しかし、博士はそのまま行ってしまったので、仕方なく教室に戻った。やはり裏に何かありそうだ。
教室に戻ると、同じクラスのボブが待っていた。
「レイ、どこ行ってたんだよ。次教室移動だぞ?」
「すまんすまん…」
「ん?顔色悪いけど大丈夫か?」
俺は気になって、普段なら(ナンシーが隣に座るというだけの理由で)楽しめる音楽の授業にも集中できなかった。
授業を終えた後、強引に連れてきたナンシーと共にハワード博士の研究所に来た俺は、入り口の前で立ち止まった。
ハワード博士が話す声が聞こえたからだ。
「これがもし機能している場合、エイプスには相当な文明が築かれている可能性がある」
「エイプスにこんなものがあることを発表すれば大発見になるんじゃないですか?」とウィルソン。
ハワード博士は首を横に振った。
「駄目だ。そんなことを発表したら世間は大混乱になる」
立ち聞きをした俺は思わず部屋のドアを開けてしまった。
「ハワード博士、それはどういうことですか!」
二人は、まずいっという表情で顔を見合わせた。
「答えてください!」
四人の声が交差する。