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第十話 俺の従姉が身体を洗ってくれるらしい

 しかし、俺はそのことを30秒後に後悔することとなった。


「ゆ、雪奈さん。もう少し離れてもよいのではないですか? これは身体を洗うと言うよりも」

「え? 私にとって他人の身体を洗うっていうのはこういうことを指すのだけれど。直すから、具体的にどこがダメなのか言ってくれないかしら?」


 明らかに『弟』として接する気持ち満載の声が後ろから届く。やはりというか何と言うか。無責任なことを言うものではないな。

 しかし、問題点を具体的に言えと来たものだ。これはかなり難しいのではないだろうか。


 抱きしめられていたときとは格段に違う柔らかさを背中に感じながら切り抜け方を模索する。胸を当てないでください、近づきすぎないでください。色々言いたいことはあるが、どれも有効な手ではない。すべて俺を攻める材料と化してしまう。

 これまで会ったどんな面倒くさい人物よりもある意味面倒くさい。全然手立てが思い浮かばない。


「ねぇ、永政くん」

「ひゃい!?」


 耳元で唐突に囁かれ、変な声を出してしまう。またヤツに餌を与えてしまった。


「ふふ、かわいいわね。背中を洗うのが終わったから次は前を洗ってもいいかしら?」

「ま、前、ですか?」


 途切れ途切れに雪奈さんの発した言葉を繰り返した。

 耳に残る吐息の感覚がなくなるとほぼ同時に、思考も追いつく。ぶっちぎりでダメだということにようやく気がついた。


「ダメですよそんなの! 正気を取り戻してください、雪奈さん!」


 俺が何とか雪奈さんのテンションを元に戻そうと画策するものの、そんなことが効くならば元々こうはならないわけで。


「私はいつでも正気よ? そもそも永政くんがお姉さんに身体を洗って欲しいって言ったのよ? 弟の頼み、聞くのが姉の務めじゃない!」


 どう考えても正気とは思えない言葉を貰った。そういえばこの人、弟が絡んでいる時間に正気な時間などなかった。


「では弟の頼みでナシにしてもらうことは」

「言ったことをなくすことはできないのよ?」


 なぜかやたらと説得力のある言葉を発する雪奈さん。だが、正論ではある。状況が状況なもので正しいとは思えない部分もあるが。


「そ、そうですが、でも」


 何とかしようととりあえず言葉を繋ぐものの、適切な言葉が見つからずにいた。

 そうしている間に雪奈さんが前に来てしまう。咄嗟のことだったので何もできなかった。よって。


「……あら、意外とかわいいのね」

「うぁ……」


 いつもよりも大人びた笑みを浮かべ、雪奈さんが言う。俺のプライドを弄んで楽しいのだろうか。

 雪奈さんを睨みつけるが、むしろそれすら楽しそうにどんどん俺の身体へと接近してくる。


「じゃあ、前も洗うわね」

「あっはい」


 なぜ、俺は断るつもりだったのに許可をしてしまったのだろうか。

 俺はただ、有無を言わせない美しさに息を呑み、雪奈さんの細い手が胸へと迫ってくるのをただ待つしかできなかった。


「ふぁ……っ」


 雪奈さんの指が上から下へと降るとき、謎の快感が胸の内から湧き出し、情けなくも声を出してしまった。

 これくらい耐えなければ。耐えなければこれから三年間も雪奈さんといられないだろ、何とかしろ、俺。


「気持ちいい?」


 そう誓ったばかりなのに、情欲的な声を出し、わざとらしく小首を傾げてみせる雪奈さんに脳髄あたりがクラクラしてしまう。


「かわいいわね、私の弟は」


 花魁を彷彿とさせる笑みを浮かべ、雪奈さんは呟いた。俺の身体に這わせる指の動きも、そのたびに揺れる胸も、こちらを見上げる瞳も。すべてが俺を誘惑する要素に思えて堪らない。そんな可能性、ほとんどないというのに。


「上半身は終わったわね。次は下半身に行こうか?」


 艶めかしい吐息が俺の胸板に降りかかる。もうこのまま流されてしまおうか、そう思い始めたとき——。



「なーんてね!」



 と、軽快かつ明るい声が浴場に響き渡った。

 幼子のような笑顔を顔いっぱいに咲かせ、俺のプライドを破ろうとしているとしか思えない言葉を投げかけた。


「ふふん、どうよ、お姉さんの実力! 下半身も洗って欲しかったのでしょう、私のお口で!」


 人差し指を自らの口に当てて、俺にウインクをする雪奈さん。このときばかりは殴ってやろうかと思ってしまった。絶対に実行はしないが。


「あのですねぇ、やるつもりもないのにそんなこと言わないで頂けませんか?」


 出来る限り怒気を滲ませながら言うも、雪奈さんは俺の言葉を無視する才能でもあるのか、溌剌とした雰囲気を保ちながら。


「弟くんは怖いなぁ。でも、あなただから出来るのよ?」


 と、もう怒ることが出来ない言葉を掛けられてしまう。せめてもう少しお灸を饐えればよかったのだが。

 仕方がない、次同じようなことがあったらそのときにまとめて説教しよう。今回は流されかけた俺も悪いと言えるし。


「ふふ、お姉さんの魅力にメロメロになった永政くんもかわいかったわよ」

「あ?」

「何でもないわ。私、先にお風呂入っておくわね」


 畜生、どこまでも俺の言葉が無視されやがる。

 自由で美しい姉の後姿を見送り、俺は自分で身体を洗い始めた。

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