2・魔法銃③
治療が済んだ頃、ジールに背負われた形でティムが帰って来た。意識を取り戻していて、絶対に離すまいとジールの背中にしがみついていた。
ティムは目に涙を浮かべて、しゃっくりを繰り返しながら口を開いた。
「赤い……ひっく、ひっく、大きなお化けさんを見ちゃったんだ」
「赤い大きなお化け?」
優兎が繰り返すと、優兎も含めてジールとミントも、ある人物を盗み見た。
「まあ、本人もあの世の番人だとか言ってたしね」
「優兎、そのネタはもうやめろ。反応が滑って、オレ自身すんげえ恥ずかしい思いしたんだよ」
赤い大きなお化け(かもしれない人物)はイラッとした様子で優兎を睨んだ。
「赤髪のお兄ちゃんじゃないよう。ひっく。口がおーきくって、目が光ってて、すっごく、すっごーく怖い顔をしていたんだ。ズズーッ!」
助け舟が出たと思いきや、また同じ三名が赤い大きなお化けを見てきた。機嫌を損ねた赤い大きなお化け(確定)が火の魔法を放つ素振りを匂わせると、優兎達は慌てて視線を外した。
「赤い大きなお化けねえ。んなの、オレは見てねえんだけどな」
やがてニーナも帰って来た。大した成果が得られなかったのでいい顔をしていなかったが、優兎達の方を見ると、たちまち明るい表情に変わった。
「ティムさあああああん!」
ニーナに呼ばれたティムは、目を丸くした。
「キリアドローのお姉ちゃあああああん!」
二人は駆けていって、互いに抱き合った。嬉しそうに笑ってはしゃいでいる。優兎は生き別れた姉弟の感動の再会シーンみたいだなと思った。
ミントが「本当に二人共知り合いだったのね」と言うと、「はい!」、「そうだよ!」と二人は興奮した面持ちで返した。
「ほら、お兄ちゃん達がボクの家に泊まっていった時、話したよね? キリアドローの花に似た髪を持つ生の人間が、前の日に泊まっていったって!」
「そういえば、確かに言ってたなあ。その髪の人に、リッテの花が〈ハルモニア大聖堂〉にあるって事を聞いたって」
ジールが後頭部に両手を回して組むと、優兎は驚いたように反応した。
「その人って、ニーナの事だったんだ!」
「うん!」
「そうか、ニーナがこの聖堂に来た理由もリッテの花探しだったっけ。どうして今まで気がつかなかったんだろう!」
話が盛り上がって、辺りは明るい雰囲気に包まれた。けれどアッシュだけはニーナに会うのが初めてだったので、周りの話にイマイチついていけなかった。
「誰だ? この女の子。お前ら知ってんのか」
「さっき知り会ったばかりだけどね。僕らと同じ目的で先に来ていたんだって。だから一緒に行動する事になったんだ」優兎が言った。
「どうも、ニーナ・サウスです」
「ああ、オレはア――」
「おっと! その前に食事休憩しませんか? 私ずっと歩き回っていたんで、お腹すいてたんですよ」
アッシュは「ア」の口のまま、表情を強張らせた。ニーナはおかまい無しに、平らな地面にシートを敷き始めている。ふうむ、この振り回される感じ、アッシュもニーナもいい勝負じゃないか。横にいるジールも優兎と同じような事を考えているようで、二人は視線がバッチリ合うと、互いに苦笑した。
ニーナの黄色いシートには、ティムの祖父フィディアから貰った食料の残りとミント自家製のゼリィ玉に加え、ニーナの持ってきた獣肉の薫製と魚の刺身――水槽に入っていたもので、さっきニーナがさばいたばかりだ――が並べられていた。刺身は優兎とティムとニーナ以外は手を付けなかったのだが、懐かしの故郷の味を思い出した優兎は喜んで食べ進めた。醤油の代わりになる漬けダレに魚の血液を使用しているのか、生臭さが気になってそのまま食べた方がいいなと思ったのがちょっと残念なところではあるが。
「行けなくなってしまった二階の大穴の先ですが」 ニーナは薫製をもぐもぐと咀嚼しながら言った。「花はありませんでした。シュリープさんはいっぱいいましたけど」
「そうか。それならわざわざ通るまでもないな」
アッシュも硬い薫製を噛み切りながら、少し離れたところで大人しくしているのっぽをチラリと見やった。
「あいつは何だ? オレらの方を凝視してるよな。放っといて大丈夫なのかよ」
「どうも優兎の事ストーキングしてるっぽいよ」ジールが言った。
「優兎をか? ふうん。――おーいシュリープ! こいつは諦めといた方がいいぞ! こいつはちょっとばかしここ(頭を指で叩いて)がおかしくてなあ! たまに気が触れたんじゃないかと思うような事を言いやがるんだ! それに見ろ、この貧相な体! ひょろすぎてとてもじゃねえが、夜、ベッドでお前をリード出来るような奴じゃねえんだ!」
「治療の時のし返しか! 人のコンプレックスを弄るとはいい度胸だ!」優兎はカッとなって掴み掛かった。
「夜のベッドで何するって? お話を聞かせてもらうの?」
「ええそうね。そういう事よ」
ミントは薫製を剥き出した爪で細かく裂いて、ティムとベリィに「はいどうぞ」と渡した。
「――お楽しみのところ悪いですが、話を戻しますね。私が知人達から収集した情報によると、どうやら私達の探しているリッテの花は、もっと広い場所に存在しているらしいです。それこそ管理された場所のような。情報が確かかどうか、皆さんと出会う前に上の階を一通り調べ回っていましたが、やっぱり見当たりませんでしたね。それどころか、ありゃダメですよ。怖いものがいっぱいありました。子供は行っちゃダメです。心臓の悪い人も行っちゃダメです」
ティムを除く四名は「ニーナも子供だろう」という言葉を言いかけて、飲み込んだ。
「怖いもの……というと?」
優兎は好奇心に駆られて、恐る恐る尋ねてみる。
「ティムさんの耳を塞いであげて下さい」
ニーナはミントがティムの小さな両耳を塞ぐのを見届けてから、すぅと息を吸い込んだ。
「人間さんです」
優兎達は緊張の糸が一気に緩んだように息を吐き出した。
「何だ、俺達の他にも先客がいたんだ」
「あ、すみませんジールさん。はしょり過ぎました」一瞬ニーナの表情が緩まったかと思うと、またすぐに真剣な顔つきになった。
「人間さんだった……とでも言いましょうか。液体の入った沢山の水槽に、人間さんの中身が入ってました。部屋の真ん中に大きな石があったんで、管を通して石の何かを取り入れようとしていたのか、あるいはその逆か……。月日が大分経っているので、元は人そのものだったのかもしれませんが、今はべっちょべちょのドロロローン。油と分離した沈殿物みたいになってました」
中身、か……。優兎達は胸の奥が詰まったような感覚を覚えた。ニーナの語彙によっていくらか柔らかくなっているが、それでも想像に難くなく、気分を低下させるには充分だった。
「ミントさんと特にジールさん、気分が悪いなら耳を塞いだ方がいいですよ。シュリープさんとアッシュさんは? ――ああ、そうですか。大丈夫ですか。そうですねえ、あとは水槽の部屋以外に、機械だらけの部屋、タンクみたいなのが外付けされた密閉室、丸や筒状の白い塊がバラまかれていた部屋……あ、床に本も散らかっていました。使ってた人は随分お掃除が嫌いなんですかね? クモさんが巣食ってましたよ。うへえー。肝心な本の内容ですが、表に開き切っていたものは、魔法界語でも、古代語でもない言葉で書かれていました。古代語よりももっと難しそうでしたよ。私自身、古代語が読めるわけではありませんが、書体の全然違うものがいくつも見られたので、興味深かったですね」
ここで、ニーナは水分を取って一息入れた。
「げぷう。うはー、オートマリア水最高!」
「ええっと、絵や写真みたいなものは本になかったのかな?」
「おおう! シュリープさんの一言で思い出しました! ありましたよ、ありました! 鉱物や植物図鑑みたいなものでしたかね。——けど、写真機ってのは一回パシャ! ってやるだけでエネルギー充填やら専用のシートやらが必要になっちゃうんで、結構値が張るもんってのが当たり前の認識ですよね? 図鑑に模写が多いのもそういった理由からですし。それなのに惜しみなくベタベタ貼ってあって、正直引きましたね。精巧であるべきなのは確かなんですが……う~ん、お国柄でしょうか」
「他は?」
「アッシュさん、ここ。顎のところに食べカスついてますよ。……本や資料には興味あったんですけどね。そこまで深くは見てないんですよ。クモさんの巣もベットリでしたし。進んで触りたいものじゃないってのは勿論ですが、何より住処を壊すのは可哀想だと思いまして」
一通り話し終わったニーナは、再び水の入ったボトルに口をつけた。「げぷう。うはー、オートマリア水最高!」と同じ言葉を口にしている。
優兎は探るような目付きでのっぽを見た。水槽の中に人間の中身が入っていたとニーナは話していたが、その人らは元々どこから連れてこられたのだろうか。
憶測だが、優兎はこの〈ハルモニア大聖堂〉の近くに位置していた、〈置き去りの地〉が怪しいと思った。ある日突然住民がいなくなったかのような痕跡を残す、あの不気味な場所だ。
そして聖堂中を彷徨っているミジュウル・バイ・シュリープも何か関連性があると踏んでいた。〈置き去りの地〉から人材を取り寄せて利用し、その住民達の亡霊がシュリープとなって彷徨っているとしたら、合点がいくじゃないか。
だとしたら何の為? 何の目的があってこんな残酷な事を。石とやらの為か? 人の入った水槽の中心に石だなんて構図を想像すると、錬金術で馴染みのある例の禁忌の産物が頭に浮かんでしまう。
そもそもここまで探索していると、聖堂の要素なんて外見と最初の方くらいじゃないか。あれらは見せかけに過ぎないのか?
何にせよ、許される事ではないのは明白だ。自分の憶測も混じっているが、段々それが真実であるような気がしてきて、胸にくるものがある。
シュリープに変わり果てるくらいだ、相当辛かったのだろう。優兎はのっぽに同情した。のっぽはロウを重ねるようにして首を生やしながら優兎を見つめ返している。今ならのっぽや他のシュリープ達を見ても、恐怖心は感じられない……かな?
……のっぽの目からびゅるっと黒い液体が吹き出した。うーん、うーん……ダメだ。まだ無理っぽい。




