4・異変②
『――リュートは花びらのように舞う熱い火の粉から身を守るようにマントにくるまった。キャロルにはああ強く言ったが、僕だって本当は怖いんだ。ここではこっちのドラゴンのブレスの攻撃は通用しない。だが、花の戦乙女達はこの場には一人残らずいない。あっちのブレスはこっちには通用する。むちゃくちゃ不利な戦いだ。
ドラゴンの爪にやられないよう盾で防ぎながら、リュートは早く手を打たなければと思った。
「あの火の攻撃をやめさせるには、どうしたらいいんだ!」
エリオットは言った。
「ウロコは固くて、剣が入らないし、魔法もダメだ! やばいな!」
またエリオットが言った。
花びらのように炎を散らしてくる奇妙なドラゴンは、リュート達の上を飛び上がった。そして崖の方に降りた。花びらのように炎を出すドラゴンは大きい声で吠えた。
「 」
(……まずい、行き詰まった。このドラゴンの鳴き声が分からない)
優兎は眉をひそめた。シャーペンをノートの横に転がして考えに浸る。
ドラゴンといえば、ファンタジー作品の代名詞と言っていい存在だ。作中において、敵モンスター役としては当然の事、旅の仲間として、空を飛ぶ為の乗り物として、なにかしらの形で登場している。が、優兎の書く物語は顕著な程登場数が多かった。相棒にドラゴン、雑魚敵モンスターにドラゴン、野生にドラゴン、乗り物として普及しているのもドラゴン、海を渡るにも専用のドラゴン、シリーズごとに敵対するのも勿論ドラゴンだ。舞台としている世界が重量オーバーでぶっ壊れても仕方ないくらいに溢れている。石を投げたらドラゴンに当たるような世界観と言えよう。それを何作も書き続けていれば、当然鳴き声のネタも尽きる。
思い付かないのであれば「ワンワン」でも「コケコッコー」でも下手すれば「ハァーヨイヨイ、エンヤコラサッサー」でもなんだっていいものだが、しかし妙にリアルさにこだわる優兎は真剣に考えるのだった。そのくせ登場時は「赤い」だの「大きい」だの何度となく使い倒した漠然な描写で済ませたのが矛盾を生んでいる。
(どうしたもんかなー。それっぽいのはもう使ってるし……「ドラゴン・レジェンド」の音声を参考にしてみようかな? きゅおー……ん? くおー……んん? なんて言ったらいいんだ?)
優兎は再度沼にはまった。頭ではこうと繰り返しイメージを流すことが出来るのに、いざ書こうとすると、ペンが進まない。
(音を書くって以外と難しいな。諦めて別の本を参考にするとか? いやー、「竜聖伝」は鳴き声というより「唸った」、「吠えた」で表す事が多いし、「エイジ・ストーリー」は重要な割に登場数少ないし……どれもあんまり目新しくはないな。誰もドラゴンを見た事がないんだから、参考も何もあったもんじゃないんだけど、やっぱりヒントはアニメにある気がする。うーん、あの声は高音と重低音のいろんな声を合わせたような感じなんだよなあ。三原色で例えると、シアンとマゼンタとイエローが重なり合って出来た黒色みたいな……あああ! 難しいっ!)
そしてかれこれ一時間近く一人で唸り声を上げ続け、試行錯誤した結果こうなったのだった。
『「あの火の攻撃をやめさせるには、どうしたらいいんだ!」
エリオットは言った。
「ウロコは固くて、剣が入らないし、魔法もダメだ! やばいな!」
またエリオットが言った。
花びらのように炎を散らしてくる奇妙なドラゴンは、リュート達の上を飛び上がった。そして崖の方に降りた。花びらのように炎を出すドラゴンは大きい声で吠えた。
「キャギャオンキャギャオンキャグラガガラガラグオォォォォンッ!」』
難問が解けたような清々しさを顔に宿して、優兎は背中の筋肉をほぐした。腕を上げてぐっと伸びをする。疲れが取れたような感覚を味わうと、チラリと目覚まし時計を見やった。――十三時三十一分。病院へ行く時間は十四時だから、そろそろ着替えた方がいいかな。
優兎はベッドから降りて、部屋の窓の方へ歩いていった。外はいい天気だ。澄み切った青空が広がっている。木の葉の揺らぎようから、風も穏やかみたいだ。
窓を開けて片腕だけ出し、冷たさも確認してみる。春にそぐわない、冬みたいに身を刺す冷たさは感じられなかった。太陽光による暖かさの方が、風よりも勝っている。これなら薄着の方がいいだろう。優兎は腕を引っ込めようとした。
しかし、どういうわけか急に腕に重みが加わり、体のバランスが崩れた。手首を力強く捕まれ、痛がゆいものが走る。優兎は心臓をドキッと言わせて、重圧に負けそうな腕をもう一方の手で掴んでサポートした。
手首から生えるようにして立っているそれを見て、優兎はまたドキッとした。鳥だ! だが、スズメやカラスみたいな、町中でよく目にする鳥よりもうんと大きかった。それでもって、オウムやインコ以上に華やかな体毛と尾を持っている。それに対して優兎は、「うわあああああ!」とか「ひいいいいい!」ではなく、ファンタジー好きとしていかにも彼らしい言葉が飛び出た。
「フェニックスだあああああッ!」
けれど優兎の心にあったのは喜びではなく、恐怖だった。流石に現実を受け入れられなかった優兎は、腕に乗っかっているものを落とそうと振り回した。二、三回振り回していると、すっと腕は軽くなる。腕の方をまともに見た際には、鳥の姿はすっかりなくなっていた。
(な、なんだったんだあれは……)
優兎は窓から身を乗り出して、あちこち見渡した。木の上には止まっていない。空を飛んでいる様子もない。通行人が偶然見かけて叫んだりもしていない。
爪先で手首を掴まれていた感覚は残っている。だが、さっきまで(優兎曰く)フェニックスと思しき鳥がいたという証拠はどこにもなく、何事もなかったように世界は動いていた。目の当たりにした当人でさえも信じられずにいた。
僕は疲れているのだろうか。優兎は階段を下りていって、手洗い場に向かった。鏡の中の自分と対面して、親譲りの――といっても日本人なら珍しくもないが――黒っぽいブラウンの目と、目が合う。血色がいいとは言えないが、幻覚を見るような、ひどくくたびれているようには見えなかった。
優兎は蛇口を捻って顔を洗った。顎や前髪から滴る雫を床に垂らさないよう、素早くタオルを掴み、顔を拭く。気分がスッキリとした優兎は、服を着替えようと、部屋に戻ることにした。
すると、玄関の方からドアの閉まる激しい音がした。「たあーだいまあー!」という元気な声。友達の家へ遊びに行っていた瑠奈が帰ってきたのだった。それにしても……まったく、学ばないものだ。ドアは静かに閉めろと何度も注意しているというのに。優兎は方向転換して玄関へ向かった。兄として、一応注意はしなくては。
しかし、階段の壁で見えていなかった瑠奈の姿が目に入ると、優兎の中から文句の言葉はすっ飛んでしまった。
瑠奈の横には、窓辺で出くわしたあの鳥がいたのだ。
「るるる、瑠奈! ふぇに、ふぇ、フェニック……!」
舌が回らない。瑠奈は兄の驚いた表情を見て、笑みをたたえた。
「えっへへ、ビックリしたでしょ! 郵便受けの上に止まってたから、連れてきちゃった! 可愛いよね!」
瑠奈はフェニックスの頭を撫でた。艶のある毛並みがめちゃめちゃにかき乱されても、フェニックスは鳴きもせず、大人しくしている。こうしてまじまじとフェニックスを見てみると、赤を主体とした体毛に、羽の先は青や緑など、いろんな色がまるで虹を作るように別れている。頭のてっぺんにはトサカ、あるいは寝ぐせであるようにひょろんと毛先が一本突っ立って、先端がくるんと丸まっていた。
「瑠奈、そのフェニックス、どうするつもり?」 少し落ち着いてきた優兎は尋ねた。
「フェニックスじゃないよ、ちゅん子だよ」
「ちゅん子?」
「瑠奈が名前つけたの! 飼ってもいいでしょ、お兄ちゃーん」
瑠奈はぎゅっと(瑠奈曰く)ちゅん子を抱き締めた。優兎は真っ青になった。
「だ、ダメダメ! 犬や猫ならまだしも、こんなに大きいし。問題だらけじゃないか。父さんや母さんが何て言うか!」
長男である為か、優兎は同じ子供でも現実的に考えていた。ちゅん子の背丈は小学生の瑠奈とそれほど変わりがない。小学生を閉じ込めておけるだけの鳥かごなんて、大型スーパーでも見た事がないし、餌代なんていくらかかる事か。優兎はそれを伝えたが、瑠奈は「ちゃんとお世話するから!」の一点張りだった。てっぺんの、頭髪のくるんとしたのが撫でても押さえつけてもピンと立つので、それを面白がってまともに聞いてくれない。優兎はムスッとすると、最後の手段に出た。
「瑠奈、知らないよ、食べられちゃっても」
「え?」 瑠奈は目を丸くした。
「ちゅん子は確かに大人しいかもしれない。今はね。でも夜、瑠奈が眠っている間はどうだろう? 本性を出してクチバシや爪で襲いかかってくるかもしれない」
優兎が言うと、ここで初めて瑠奈の顔に恐怖の色が見えた。それでも「そんな事ないもん、ちゅん子はいい子だもん!」と抵抗してきた。優兎は平静を装って続ける。
「ちゅん子の大きさから考えると、きっと普通の鳥以上に食べるだろうなあ。市販の餌じゃ満足しないよ。ネズミとかウサギとか他の鳥とか、肉質のあるものを食べるんだろうな。そう考えると、人間ももしかしたら……ね」
自分で言ってて残酷すぎたかなと思った。現に瑠奈は相当怯えていた。これ以上続けたら泣き出してしまいそうだ。その横のちゅん子はじっと優兎を見つめてくる。ただ見つめているだけではなく、優兎の目を射貫くような、睨みに近かった。優兎には「自分はそんな事はしない」と訴えているように感じた。
自分自身の病だけでも相当迷惑をかけているのだから、これ以上親に心配事を増やしてはいけないと考えた結果だが、優兎は困ってしまった。
その時、急にバサッとちゅん子が翼を広げた。マントを広げたような大きな翼からはキラキラと光る砂粒が舞い、驚いた優兎達は目をかっぴらく。
砂粒が優兎達に降り掛かると、ちゅん子は半透明になっていった。と、同時に瑠奈の背後でドアが開き、母が現れる。仕事から帰ってきたのだ。
ただいまという前に、母は玄関に揃っている兄妹に驚いた。
「何やってるのあんた達。そこに突っ立って」
優兎は何も返せなかったが、瑠奈は母の声に気付くと、鞄を持っている母の手にしがみついた。
「お母さん! お母さんあのね、瑠奈、ちゅん子を――」
瑠奈はちゅん子を飼いたいと伝えようとした。母は「なあに?」と言って前に進み、ちゅん子の前に立ちはだかった。ちゅん子は何もせず、母の邪魔にならぬよう、脇に逸れた。
「あ、優兎! あんた三十分になったら着替えときなさいって言ったじゃない」 母は靴を脱ぎながら言った。「もう四十分になるわよ。昼ご飯は食べたんでしょうね? 早く着替えてきなさい」
優兎と瑠奈は揃ってちゅん子に目を向けた。
「……母さん、驚かないの?」 優兎は言った。
「何が?」 母は返す。
「いや、そこにちゅん――鳥がいるでしょ?」
「鳥? やだ、ドアを開けた時に入っちゃった? 瑠奈、外に追っ払っておいてくれる?」
母は靴を靴棚に仕舞うと、そのまま居間に消えてしまった。兄妹は口をポカンと開けて再びちゅん子を見やる。これだけ大きな鳥なのだから、普通は何かしら反応を見せるはずなのだ。そう、優兎の反応がいい例だ。しかし母はまるで気付いていない様子だった。
ちゅん子を知っている? いいや違う。
ちゅん子が見えていないんだ!
瑠奈はこれ幸いと、ちゅん子を抱き寄せて優兎を見上げた。
「飼っていいよね? お兄ちゃん」