1・二人の新たな同行者②
ジャガラーのウロコを指ですり潰したもの――一般には『清めの鱗粉』というトンデモ名で出回っているらしい――を塗り薬に混ぜて患部に塗った後、優兎はミントを起こして、ユニの力無しの微弱な魔法で回復させた。ミントは崩壊した床の破片で切り傷を作っていたくらいで、あとは大したケガはしていなかったが、花の魔物との衝突時に発生した音によって気を失ってしまったのだという。ジールが倒れる以前にダウンしてしまったので、仲間がえらく減っている事に戸惑い、また初対面のニーナに対しても恐怖心を露わにしたのだが、ニーナのおかげでジールが助かるかもしれないと聞くと、少し元気が出て来たようだった。
「よかった。ジールちゃん、大丈夫なのね?」
「はい! もうそろそろ目を覚ますと思いますよ」
ニーナの嘘偽りのない澄んだ笑顔を見て、ミントも嬉しそうに笑い返した。
「――あとは、アッシュとティムちゃんね。アッシュは昔から、頭はともかく体だけは丈夫だったから、心配する必要はないのかも知れないけど……問題はティムちゃんよ。無事だといいのだけれど……」
ミントはがっくりと肩を落とした。いろいろあって気が滅入っているミントに、優兎は何か励ましの言葉はないかと考えた。しかし、口から言葉が出るよりも先に、ニーナの声が前に出た。
「えーーーッ!? ティムって、〈ヘヴランカ〉の村長さんとこのお孫さんですか!? あの子、ここに来てるんです?」
「あ、え……ええ、そうだけど」 意外な言葉が返ってきたので、ミントは面食らった。「知ってるの?」
「はい! ……って言っても、ティムさんの年代記を一から十まで語れるほど、知ってるわけではありませんが」
「そりゃそうだ」と優兎とミントの心の声が重なった。すると、その時だった。ジールが目を覚ましたのだ。
「! ジール!」
「ジールちゃん!」
「――ああ、優兎に、ミント……」
ジールは寝ぼけ眼で、ごしごし瞼を擦りながらゆっくりと半身を起こした。
「うぐっ!あ、いったあー……。何か後頭部痛いし、肩がヒリヒリするんだけど……」
優兎とニーナは気まずそうに笑いながら視線を交わした。
「あー……、えっと、何というか……」 優兎はジールが傷つくのを恐れ、自分が襲われた事をおくびにも出さぬよう、慎重に言葉を選んだ。「もう、大丈夫なの?」
優兎が聞くと、少し間があって、ジールは「ああそうか、シュリープにやられたんだっけ……」と声を漏らした。
「まあ、それなりにね」ジールは微笑した。
ジールにもニーナの紹介をして、事の経緯を説明した後、四人は一旦下の階に下りようという話でまとまった。先に聖堂を訪れていたニーナの話によると、優兎達の向かおうとしていた先は行き止まりなんだそうだ。だから下の階に下りてアッシュとティムの二人と合流し、別の道を行こうというのだ。
そして優兎達が行動するにあたって、ニーナも共に同行するという話にもなった。ニーナの話を聞くと、どうやら彼女もリッテの花を探しに来ていたらしい。何という偶然だろうか。優兎達の側としてもお世話になったし、ニーナの持ち前の明るい性格から、この精神力を必要とする聖堂に気持ちの余裕をもたらしてくれるに違いないと踏んだ。そもそも断る理由がない。
こうして優兎、ジール、ミントの三人は新しい仲間を迎え、歩き出したのだった。
――しかし、仲間とは言い難いが、この四人のパーティに勝手に参入してきた者もいた。
「……ねえ、あのシュリープ、アタシ達の後をついて来てない?」 ミントはしきりに後ろを振り向きながら言った。「他のシュリープ達はあんなにしつこくはなかったのに。隙を見て襲いかかってくるつもりかしら」
ミントがビクビクしながら言うので、優兎はえ? と呟いて、浮遊させていた明かり用の光ごと、後ろを振り向いた。あ、本当だ! 優兎達の後方に、近過ぎず、遠すぎもしない微妙な位置にそのシュリープはいた。ニーナが来るまでじっと優兎の事を見つめていた、あの風変わりなシュリープだ。明かりと闇の入り交じるちょうど境目に立っているので、ぼんやりと影がかかってより一層不気味さが増して見えた。
シュリープは優兎達が一歩歩くと自分も一歩進み、早歩きすれば、シュリープも歩調を合わせてくる。
好奇心に駆られて、今度は一人一人別に歩いてみる事にした。優兎、ジール、ミント、ニーナの順だ。するとどうだろう。シュリープは優兎に合わせて歩いているらしい事が知れた。優兎が歩く時のみ、ついて来たのだった。
「ウソ! 何でぇっ!?」
優兎は救いを求めるように仲間達の方を向いた。しかし仲間達は、
「きっと優ちゃんの事が好きなのよ」
「生前の彼女さんかも!? うわあ、運命の再会?」
「だってさ。優兎おめでとう」
と、ミントはパッと思い浮かんだ事を、ニーナは素敵だと目を輝かせて、ジールは他人事のように笑みを含めて口にした。
「そんなあっ!」 優兎は青ざめた。「スライムとか、妖精とか、ドラゴンとかに好かれるのはいいけど、れ、霊はちょっと……」
狼狽える優兎を見て、ジールはついに吹き出した。
「あっははは! ジョーダンだよ、冗談」
腹を抱えて笑いながら、ジールは言った。
「それに……ぷくく、あのシュリープ、男の子だよ」
この発言には優兎を含め、ミントも、本気で彼女だと思っていたのに「冗談」と言われ、不機嫌顔だったニーナも驚いた。性別よりも、寧ろなぜジールが男の子だと断言出来るのかという事に注目がいった。
〈ハルモニア大聖堂〉に来てから現在に至るまで、一生分のシュリープに出会って来たつもりだが、いずれも黒壁に捕われた白い半身が人間の形を取っている事から、生前は人間だったのだろう程度の目星をつけるくらいしか叶わない。男女の区別はおろか、歳も分からないのだ。にもかかわらず、ジールは男の子だと断言してみせたのだ。
みんなが固まっているのに気付いたジールは、しまった、とバツの悪そうな顔をした。どことなくそわそわしていて、言葉を探しているのがよく分かる。
「あ……えっと、何ていうか俺、見ちゃったんだ」
ジールはみんなから目を逸らして言った。
「何を見たかっていうと、その……――ごめん。今はまだ、深く説明出来る自信がないや」
「思い出したくないのね?」
ミントが言うと、ジールはうんと頷いた。
「ミジュウル・バイ・シュリープに触れた者は、そのシュリープの、死ぬ前の記憶が一気に濁流のように流れ込んでくると言われているの。ジールちゃんの場合はまだ〈呪い〉で済んだけど、ひどい場合はショック死してしまう人だっているのよ。火傷を負っていないのに、火傷を負ったものだと認識して死んでしまったりね。――ジールちゃん、無理に教えようとしなくったっていいんだからね?」
「ありがとう、ミント」ジールは苦々しげに笑う。
「でも、俺が見た事はみんなにも伝えなきゃいけない事だと思うんだ。……だから、もうちょっと時間をくれないかな」
力なくジールが言うと、他の三人は穏やかな表情を浮かべて同意した。
「ああ、そうだ! 私、いいものを持ってるんですよ!」
瞬間、ニーナの顔がパッと明るくなった。そしてその嬉しそうな表情のまま、首から下げていたネックレスの紐を一度解いて、ジールの首へとかけてやった。
ネックレスには小さな袋がついていて、表には民族的な絵柄が描かれていた。
「護符です」 とニーナ。「霊や災いから身を守ってくれます。まあ、絶対安心! と言い切れるほどの効果はありませんが、何もないよりはマシでしょう」
それと……と呟いて、ニーナは今度はリュックサックから、体中にワケの分からない文字が隙間なく刻まれた、小さな文化人形のようなものを取り出して、ミントに渡した。
「ええっと……、これは何かしら?」
「それも護符同様、退ける力を持っています。気持ち悪い上にやっぱり多く期待は出来ませんが、ミントさんに差し上げます」
そうしてニーナからありがたいもの(?)を受け取った二人――ミントは少し頬が引きつっている――は、ありがとうと礼を言った。うーん、護符に人形かあ。いいなあ。僕には何をくれるんだろう?
優兎が期待の目をニーナの背中に向けていると、やがてニーナは「おっと! 忘れるところだった!」と思い出したように口にして、またリュックサックの中を漁り始めた。
「はい、どうぞ」
ニーナの手には、表面のつるりとした桃色の石が握られていた。うわあ、綺麗だなあ! 見た目がローズクォーツの魔除け石か。
優兎は頬を緩めて、石に手を伸ばそうとした。
「あっとシュリープさん! ダメですよ。この石に触れたらケガしちゃいますよ!」
……へ? 優兎は固まった。
「これはベリィさん用です」
ええええっ!?
優兎は衝撃を受けた。その間にベリィは優兎の肩からニーナの肩へとぴょんと乗り移って、ニーナの石を受け取り、ゴクンと飲み込んだ。石は食道とは別の、保管される袋への管を通って、ギルド・プレートと共に収められた。ベリィは柔和な顔を浮かべた。
(くうう~、ニーナの勘違いをそのままにしておいたのがいけなかったんだなあ)
(ね、何でニーナは優兎の事、シュリープだって思ってるのさ?)
羨ましそうにベリィを見つめていると、ジールとミントがそばに寄って来た。
(ああ、そう言えば言ってなかったっけ。――ニーナはあのシュリープが僕を襲わないのを見て、どうも……しゃべるシュリープだとか、服を着てるシュリープだとか、変わった目で見てるらしいんだよ)
(へえ、面白い事になってるんだねえ?)
(全然面白くないよおっ!)
しかし、本当にシュリープだと思い込んでいるのなら、優兎の肩に乗って平然としているベリィや、何の恐れもなく優兎と会話を交わしているジールとミントを見て、変だとは思わないのだろうか。それとも、人語を使い、服を着ている変わったシュリープだと見ているからこそなのだろうか。分からない。
いっそニーナの手を掴んでみて、自分が人間だと証明してみようか。そう考えはしたものの、本気で信じていた場合にショックで倒れられたら困るものだ。優兎はもう少し様子を見る事にした。
「――ところでニーナちゃん、アタシ達に魔除け……っていうのかしら。このアイテムをあげちゃっていいの? ニーナちゃんの分がなくなっちゃったじゃない」ミントは心配した。
「ええ、大丈夫ですよ。私も貰った側ですし」
それにほら、とニーナはスカートのポケットや首元・服の下から、ドサドサといろんなものを出してみせた。指輪に、書物に、小さな水晶に……おっと、「邪気を払う、神聖でありがたあああああい壷」と手描きで書かれた、いかにも胡散臭い品物まである。
「な、なるほどね。それでニーナちゃんはこの聖堂の中でも平気だったのね」
ミントは苦笑した。
——1・二人の新たな同行者 終——




