②転逆勢形・31
「あれ、思った以上にこの扉固いな……」
士気をダウンさせた扉に向けて、優兎はもう一度気合いを入れて攻撃魔法を放った。衝撃波と共に、扉はベコッとへこむ。しかし、二・三発程度では突破出来そうにない。
(おっかしいな。ユニの力で強化されてるのに、何でうまくいかないんだろう。ユニ、もっと火力を高められない?)
『扉と運命を共有したいとは異な事を。フフ、ならば爆散でいいな? せっかくの爆ぜ舞台だ、スローをかけて一秒間を一時間ペースにまで引き延ばして――』
(うわっ! 待った待った! ――てことはつまり、僕自身の許容量的にこれが限界だってこと? えー、そうなのか……)
体が耐えられないせいで、こうして手こずってしまうとは……。ダメもとでユニ自身が直々にこの場へ赴けないかと頼んでもみたが、『建物全体を完璧にリフォームしてからものを言え』とあしらわれてしまった。完全にこっちの味方をするとまではいかないらしい。
「もういいよ優兎。ここで躍起にならない方がいい。ひとまず置いといて、階段の方を上がってみようよ」
ひょっとしたら回り込めるかもしれないし、とジールにポンと肩を叩かれる。優兎は聞き入れた。
階段は踊り場を挟んで、コの字になっていた。不安に思うようなヒビ割れなどはパッと見、見受けられない。気になるところと言えば、波線やグラフなどの図表が描かれた用紙が、一足の靴とボロ切れの中に散見している点だろうか。
「うわわ、転びそうだよう!」
「大丈夫よティムちゃん。アタシがしっかり手を繋いで――」
ズベッ!
「あ、言ってるそばからミントが転んだ」
二階は一階の構造と似ているものの、いくつも並んでいる部屋がより密閉された空間へと変わっていた。廊下をすぐ入った場所には壊れた鉄格子が見える。
そして忘れてはならない、ミジュウル・バイ・シュリープ。この階にも彼らは当然いた。
「フツーに漂ってんな。こいつら下の爆発には気付かなかったのか? 結構な数だったと思ったが」
階段の壁から声をひそめて、アッシュが言った。
「逃げ去ったら、ポカンと忘れちゃうっていうのも考えられるんじゃない? 幽霊なんだもの」
ミントはパタパタとスカートの裾を叩いた。
「ちょっとアッシュ、様子見してないで早く行きなさいよ! 後ろつっかえてるのよ」
「ま、待て待て。心の準備ってのがあるだろうが。よーし、三カウントで行くぞ。三……二……一……――」
一瞬、間が空いて、
「――五十……四十九……四十八……」
「バカ! 増えてるじゃないの!」
ミントはハァーと溜息をついた。その後ろで、ジールが顎に手を添える。
「突っ込む前に、一度この辺りの浮遊霊を追い払ちゃった方がよくない? 優兎のバリアに頼るにしても、張り付かれたらバリアの強度を下げる、妨げになっちゃうと思う」
「ああ、なるほどな。流石オレの子分!」
アッシュはパチンと指を鳴らした。そして「火と反応するもんがあるんだろ? ここからオレが一発かませば終わりじゃねえか」と言い出した。
「僕達も終わっちゃうって!」
「さっきので学習しなさいよね!」 ミントはキッと睨みつけた。「アタシと優ちゃんとジールちゃんでやるから、あんたはティムちゃんをお願い」
「はあ!? オレはお守り役かよ!」
「あんたの子分なんでしょう? 親分が面倒見るのは当然じゃないの」
ミントがそう言い放つと、アッシュはぐうう、と二の句が継げなくなってしまった。実際、ここで火の魔法を使うのは間違い無く危険な事だった。先ほどのバトル同様、着火物がまるで存在しないという保証はしかねるし、あまつさえここは二階だ。大きな爆発によって床が崩れでもしたら、先に進む事が難しくなってしまう。
その後、話し合いは淡々と進んでいった。どんなふうに攻撃を仕掛けるのか、道中はどうやって蹴散らしていくか。さっきの戦いではバリアを張りながらでも攻撃は出来たけど、どうする?いや、蹴散らす程度なら他に任せた方がいい……とまあ、内容はこんな感じだ。
おおよそ固まってくると、作戦はいよいよ実行へ。アッシュがティムを引っ張り、他三名は手の平にそれぞれ魔法の色を宿した。緑・紫・白――優兎はやはり飛び抜けて光量が多い。まだユニが力を貸してくれているという証拠だ。ありがたい――が並び、闇の世界に鮮明な色をもたらしていた。
――三……二……一……!
まず動いたのはジール。腰の布袋から素早く種を掴むと、シュリープ達が漂っている場所を中心に、廊下に思い切りバラまいた。砂粒のように小さいものからドングリ並みのサイズまで様々なものが、シュリープ達の頭上を舞い、ザーッと雨が降ったように下へ落ち、跳ねる。
その音が合図だった。ミントは両手を突き出して、激しく吹き荒れる風を作り出した。風はシュリープ達に先制攻撃を仕掛けて払うと同時に、撒いた種を更に奥の方へと運ぶ。流石はミントだ。パンの生地をこねるみたいに器用に手を動かし、奥にすべての種が飛んでしまわぬよう工夫を凝らしている。その横で、ジールは二回目を投入。
いい具合に種が行き渡ったと見て取れた頃、ジールは次の行動に移った。屈んで、ひんやりとした床に右手を置く。
目を閉じて集中。すると床は緑色に輝き、光る道となった。再びジールが目を開けた時には、種は根を下ろしていた。シュリープが出現すると、追尾するように根を張らせて移動し、針のような攻撃を仕掛ける。
「よし! うまくいった!」
ジールはみんなに親指を立てて見せた。
「あとは勝手に植物達がやってくれる。行こう!」
歩き出すと共に、優兎はバリアを張った。安全地帯を作る為だ。行く先を照らす光を出しているのも、勿論優兎。だが、ユニの力のおかげでまったく苦にはならなかった。
一階を歩いていた時と比較して、しっかりとした足取りで探索を開始した一行。廊下をかつて塞いでいたらしい、壊れた鉄格子――否、片開き扉が落ちた枠の中を通り抜ける。……立ち入って早々だが、何だか嫌な雰囲気だ。この階でも扉のはめガラスから中の様子を伺うくらいの確認は取るのだが、いずれの部屋にも地縛霊シュリープが佇んでいた。はめガラスの真ん前に集まってガリガリとくぐもった爪音を立てる様は肝を冷やすし、何かを訴えようとしているふうに思えて困る。実際優兎達が廊下を通ると、合わせるようにベタベタベタッ! と張り付く音が聞こえてきて、明かりをやると、半透明な部屋の壁には黒い手形が重なり合って映し出されていた。
牢獄――これが二階の印象だった。「……誰か、何か面白い冗談話でも持ってない?」とジールが救いを求め始め、その提案に対してミントさえ口出ししてこないのは当然と言えよう。
(ねえユニ、長く生きてきたユニには愉快な笑い話とかあったりしない? あ、この場所に何があったのか、もし知ってるなら、その解説でもありがたいんだけど)
『……あ"あ? 何がだ。クソ程どうでもいい』
(う、ガラ悪く断られた)
結局誰もふざける事なく突き進むのだが、やはり障害となるシュリープを簡単に退けられるだけ気分はラクだった。ミントの瞬発力に頼り切ってしまうのは、長丁場覚悟の探索には堪えるし、準備に時間がかかる木の魔法で対応するとなると、爆発的に魔力を消耗しなくてはならない。強化された優兎も優兎で、当人は戦闘経験の浅い一般人である為に隙だらけだ。それ故、この階で最初に行った策は三者共にうまく体力を温存させたものと言えた。
しかし、これで万事うまくいく程甘くはなかった。
――その敵は、この場の誰も――神さえも想像だにしなかった方面から牙を剥いたのだ――
……ル、……ル、……ル……
「ねえ、ねえ。何か聞こえるよ」
そのおかしな音をいち早く聞き取ったのは、同じ獣人でも様々な場面でビクビクと感覚を研ぎ澄ませてきたティムの方だった。ティムはアッシュの横で首をキョロキョロと動かした。
「ああ、聞こえるな。シュリープの爪音が」 アッシュは平然として歩く。「『肉だ、肉だ。新鮮な猫の生肉が歩いてるぞおおおっ!』って言ってんだよティム」
「アッシュ、忘れないでね。あんたの敵はシュリープだけじゃないんだからね? ウフフ」
「ハハ、悪かった。謝る。お前はシュリープには狙われないと断言しよう。紫色の猫の肉なんて、毒がありそうで幽霊だってお断りだよな」
「マリア色と呼んで欲しいわ。――でもそうね。毒はあるかもね。あんたを視界に入れるだけで、もうジワジワと溢れ出てきちゃって。切り刻んでやりたいという衝動が。どうすれば納まるのかしら。あんたの口に瓶でも詰めて、封じてしまえばいいのかしら?」
アッシュとミントは互いにいがみ合った。やれやれ、元気があって羨ましい事だと優兎とジールは呆れていると、ティムは、
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
「何だ!」 「何よ!」
「うるさいからちょっと静かにしてて!」
「……はい」
「……ごめんなさい」
怒鳴って、二人を黙らせた。熱くなっていた二人は水をぶっかけられたかのように大人しくなる。優兎とジールは吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。
しかし、ティムの方はそれどころではないようだった。ティムはアッシュに手を離すよう言ってから、床に小さな耳を押し付けた。
ズル、ズル、ズル……
「まだ聞こえる。ズル、ズル、って引きずってる音みたい。何だろう」
コツ、コツ、コツ……
「あら、アタシにも聞こえるわ」 ミントの耳がピクリと反応した。「逆方向よ。アタシ達が通ってきた廊下の方から……かしら」
優兎達は一カ所に固まった。一方は前を向き、もう一方は後ろを向いて背中合わせに。ガリガリ、ベタベタというシュリープ達の騒ぎ立てているのとは反対に、こちらはジッと息を潜めて構える。
優兎は早まった息づかいをする自分に、落ち着け、落ち着け、と言い聞かせた。ティムを背後に、優兎は光の届かない暗黒の世界と対峙した。あちら側も優兎達の様子を伺っているような気がするのだ。
やがて、暗黒の世界から聞こえてくるそれは、優兎を始め、アッシュ、ジールの耳にも届くようになった。段々とボリュームが上がってくる。そばまで近付いてきているのだ。
けれども、その音を理解出来るまでになった優兎達――ティムやミントも含めて――は、どうした事か、緊張の糸が解れていくように肩の力を緩め、目を瞬かせた。ズルズル、コツコツという獣人達から報告された音以前に、別の音が先に聞こえてきたのだ。
それは何とも場違いで、軽快なメロディー。
ランランラララ、ランランラララ
ランランラララ、ランランラララ……
「な、何だ? 歌が聞こえてくるぞ!?」
「しっ! アニキ、静かにして!」
わたちはお花。きれいなお花
暖炉に燃える 赤色
お船の浮かぶ 青色
お空で泳ぐトマトの黄色
何色にも染まらない
……え? わたちがおいしそうですって?
コトコトお鍋で煮込むの?
ジュージュー獣脂で焼くの?
それともジリジリ汗が出るまで炙ってみる?
あなたっておバカさんね
わたちは食べ物じゃないのよ
ここで歌は一区切りつき、また「ランランラララ……」の繰り返しに戻った。何だこの歌は。続いている辺り、まだ歌は終わりではないらしい。
予想通り、二番が深淵の中から流れてきた。歌詞は違えど、二番もメロディーは似たようなものだった。「わたちはお花」で始まり、自分はあなたが思っている程の存在ではないといった内容で締め括られている。
そして、三番が歌われた。
わたちはお花。すてきなお花
母さまの カーペット色
父さまの ねまき色
クロちゃんの おぐし色
何色にも染まらない
……え? わたちを調べたいの?
パラパラお花図鑑をめくる?
プチプチ花びら摘み取ってみる?
それともペタペタ触ってみる?
あなたっておバカさんね
そもそもあなたは――




