8・花畑にて③
――僕は薄々こうなる事を予見していたのかもしれない。そうじゃなかったら、目を見開いたティムが叫ぶ前に行動に移す事が出来なかったと思う。きっと呆然と立ち尽くしていたはずだ。
優兎は泣き叫ぶティムを抱きかかえて、花畑の中をひたすら走った。辺りに花びらが散っていく。足が痛むとかそう言った事は、あのギラギラとした緑の目玉、両脇の牙や奥歯のように平べったい歯の揃った大口を見れば、どうでもよくなってくる。あいつに噛まれる、いや、噛み潰される方がよっぽど痛いに違いないからだ。
ヒョウの体と、危険生物であると自己主張の激しい黄色い斑点模様を持ったそいつは、優兎にどんどん迫っていた。図体はデカいが、なかなかに速い。気付けばもうあまり差がない。
五十センチほどに距離が縮まってきた時、ついに攻撃を仕掛けてきた。優兎の真横まで唾液を撒き散らせながら一気に走り、毛艶のある大きな手を伸ばしたのだ。バリアで防御出来る余裕などない。鋭い鉤爪が、キラリと青白く光った。
しかし、やられる! と覚悟を決めた瞬間だった。腕の肉を切り裂かれるまで僅か数センチのところで、炎がボッと上がり、怯んだのだ! 改めて飛びかかろうとするも、優兎の体はふわっと持ち上がり、攻撃は勢いよく跳ね返された。そのせいで奴はバランスを崩し、ゴロゴロと花の中を転がった。地面から生えた根っこによって宙に浮いていた優兎は、そのまま四人の元に運ばれた。
「あ、ありがとう……助かったよ」
地面に着地すると、根っこは地面の中に戻っていき、風のバリアも解かれた。
「まったく。普段は自信なさげにしてるくせに、こういう時はお前、とんでもない事をやらかすんだな」
アッシュはそう言って苦笑した。
「うわあああああんっ! 怖かったよう! 怖かったよう!」
「まあ二人共無事だったんだし、いいんじゃない?」
「そうね」
ミントがよしよしとティムの頭を撫でた。ベリィはミントの肩から優兎の肩へと飛び移って、ふるふると嬉しそうに揺れた。
「ん、奴が起き上がってきたぜ」
アッシュが気付いた。見ると、確かに前足をプルプル震わせながら、上半身を起こそうとしている。派手に地面に打ち付けて転んだにも関わらず、あの大きな体を支えるほどの力がまだ残っているのか!?
「……仕方ないわね、戦いましょう!」
ミントが呼びかけた。しかし――
「いや、このままずらかるぞ」
「!?」
ティムを除く三人の視線が、一気にアッシュへと集まった。
「はあ!? 何言ってるのよあんた! まだこっちを睨んでるじゃない! 戦意喪失していない証拠だわ!」
「バカ! これ以上構うんじゃねえ! 人を食うような獰猛な奴だって分かっただろ!?」
「獰猛な生物だからよ! それにこっちは四人。勝機はあるわ!」
「そんなもん、ただ人数が多いってだけだろ!」
それに、とアッシュはティムを見やった。
「ティムを今以上に怖がらせるつもりか」
うっ、とミントは二の句が継げなくなった。確かにそれは一理あるし、ティムは一応預かっている身だ。ここで彼に何かあっては困る。
ティムは相変わらずわんわん泣いていた。今、この一帯を満たしているのは彼の声だけ。優兎はどうしてよいやら分からなかった。くっくと笑うユニを制し、判断を二人に任せる。
やがて悔しそうに口を歪め、ミントは両手を突き出した。
「はあっ!」
途端に何百、何千というスイーティリアの花びらが、彼女の魔法によって散った。花びらは円を描くように、奴の周りをぐるぐると取り巻く。強いスイーティリアの花の香りが、香水を振りまいたように漂う。
「これで、アタシ達の匂いは紛れるはず」
浮かない顔でミントが言った。
「行くわよ」
――8・花畑にて 終――




