6・〈食人鬼のテーブル〉④
〈ガルセリオン王国〉に入ると、そこは様々な人や種族で溢れていた。地面の敷石は一面色みを抑えた白色。そこに外から来たと思しき移動店やワゴン販売、路上パフォーマンスなど、各々の店や催しが展開されている。
「優兎、この敷石の色にはちゃんと意味があるんだぜ」
アッシュが話しかけてきた。
「そうなの?」
「ふふん。〈ガルセリオン王国〉はな、中央の時計塔広場を中心に、大雑把に東西南北の四大エリアに別れてんだ。その四大エリアとも敷石の色は違ってて、北は国民への愛を表す赤、東は豊かさの緑、ここ南は平和の白、西は武勇のオレンジになってんだ。この四色は国旗のカラーにもなってる」
アッシュは自慢げに言った。「うわ、今何かすげー物知りっぽい事言った、オレ!」とニヤける。
「アニキ、〈ダルシェイド大陸〉の人なら誰でも知ってるよ」
ぴしゃりとジール。それを面白がって見ていた優兎だが、前方に警備兵の姿が見えると、目の色を変えた。武装した警備兵達が悪事を働いたと思しき人を引っ張っている。近くにはフリル部分が控え目な、トリケラトプスに似た頭と二本足に、妙に長い翼と尾という鳥の胴を持った生物がいた。
「うん? ……ああ、あの生き物は『ジェラフ』っていうんだ。ジェラフも魔物。馬並みの脚力があるし、長距離に向いた体力もあるから、〈ガルセリオン王国〉では兵士達の移動手段として飼われているんだよ」
ジールが説明。しかし優兎の興味はすでに別のものに移っていた。警備兵の腰からぶら下がっているものだ。
(あれ、多分剣だよな。本物だ……!)
と、連行されていた人物が隠していたナイフで綱を切った。銀の得物を目にした通行人が「うひゃあ!」「キャッ!」と短い悲鳴を上げる。しかし騒ぎになる前に、素早く背後にいた兵が剣を引き抜き、牽制。悪人は手を上げてがっくりと項垂れた。
(今、剣を抜いたぞ! うわ! うわあっ! 抜き身が見れちゃった! かっこいいなあーっ!)
剣は鞘に納められてしまったが、優兎はカメラのシャッターを切ったかのように一瞬を見逃さなかった。すらりと長く、振るったその刃は点々と、小さな星屑をふりかけたように煌めいていた。鉄の他に、何か魔法界ならではの鉱物を混ぜて作られているのだろう。
地球で怪しいローブの二人組に攫われた際、一応はレイピアという形で本物を見ている。だが状況が状況だったので、もううっすらとしか思い出せないし、兵士に握られた剣というのはまた別格の美しさや良さがあるものだ。出来る事なら、是非とも近くで見てみたい。握りたい。重さは? 振るった時の腕にかかる負担や感覚は? 柄の装飾を目に焼き付けさせてもらいたいものだ。
しかし、そんな願いが叶うはずもない。優兎は兵士でも王様でもなく、ただの学生に過ぎないのだから。いつの間にか立ち止まっていた優兎はアッシュとジールに急かされると、仕方なくその場を離れた。
喧騒の合間を通り抜けて仕切りのトンネルを越えると、三人は敷石が一面オレンジ色に染まっているところへやってきた。南部エリアから西部エリアへ足を踏み入れたらしい。武勇というテーマに合わせるかのように、武器屋や鎧、丈夫そうな衣服などの装備を売っている店が多く見受けられる。案内看板を見るに、ここのエリアは闘技場もあるようだ。
「聞け、優兎。これから行くところは万屋的なギルドだ。西部の目立たない端っこの方にある。お前、偽名決めとけよ」
よそ見していた優兎の肩に、アッシュは腕を回した。
「偽名を? もしかしてミントが言ってたように、これから犯罪事に手を――」
「バカ、違ぇよ! 学校の生徒だってバレると面倒なんだよ。ギルドってとこは仕事のないフリーの奴、スリルを楽しんでる奴、ただ単純に金稼ぎ目当ての奴……まあ、とにかく大人が行くところであって、子供は禁止されてんだ。ましてやオレらなんてまだまだ子供だろうが。名前は勿論、歳や種族まで偽らなきゃなんねえ」
「ふうん。でもバレない?」
「相手は七十を越えるじーさんだ。一年のうちになくした雑巾は数知れず」
「そこまでして買いたいものでもあるの?」
「『入るな』って言われると余計入りたくなるタイプなんだよ、オレは」
ジールは無言でポンと優兎の肩を叩くと、「何を言っても無駄だよ」と首を振った。
「ああ、因みにオレの偽名はギル。ギルバードの略な」
「俺はジャック」
「種族については任しとけ。優兎にとびっきりぴったりの奴らがいるからな」
アッシュは目を細めてニヤリとする。この世界を知らない優兎にとっては頼もしいけれど、その笑い方からしてあまり評判のいい種族ではないようだった。
「ええっと、アッシュがギルで、ジールがジャックか。……何か、うっかり本名の方で呼んじゃいそうだな」
「言いそうになったら、オレが一発痛いのくれてやるよ」
アッシュは手をグーの形にした。
「うっ、気をつけようっと」
「アニキは本当に容赦ないからねー」
「あったり前だ。子分のしつけは、親分であるオレがしっかりしてねえとな!」
「しつけって……」
表情を引きつらせるジール。優兎はふふっと笑った。
屈強な体格の人ごみに紛れ、酒を立ち飲みしている獣人達、大食い大会で盛り上がっている集団を横目にしながら突き進んで行くと、古めかしい建物の密集地に突入。地面にまだ中身の入った瓶や紙皿などのゴミが散っている。酒瓶を手に壁際で眠りこけている人もいる。
雰囲気が怪しくなってきたなあと思いながら歩いていると、一線画しておどろおどろしい装いの建物の前で立ち止まった。赤いペンキ(であってほしい)が外壁に飛び散っていて、血のように垂れまくっている。
出入り口の上にはほぼ切れている電飾と、男が包丁をクロスさせて持ち、厚切りステーキ皿の前で卑しくよだれを垂らしている絵の看板があり、〈食人鬼のテーブル〉とあった。
「……検問の時よりも遥かに怖がってる自分がいるんだけど」 優兎は顔を青くした。
「実際入ってみると見かけだけだぜ。子供が入らないようにする為じゃね?」 アッシュは看板を見上げる。
「そう、なんだ……。うん、こんな建物が僕の家の近所にあったらトラウマになってる。絶対」
ギィー……!
西部劇に出てくるような両開きドアを開けて、外との境界を股がった途端、酒と煙と独特の臭さの入り交じった匂いが三人を出迎えた。優兎は顔をくしゃっとさせた。建物の中は中高年ぐらいの大柄な男性ばかりだ。店名通り、本当に人間でも食べていそうな人相と荒くれ具合だ。雑に置かれたテーブルで、それぞれ酒をあおったり、葉巻を吹かしたり、カードを使ったギャンブルを楽しんだりしている。
部屋の中心では二人の男がケンカをしていた。殴る・蹴る・イスを投げるなどして争っている。周りの者はというと、止めもせずに「そこだッ!」とか「腹だ! デブい腹ががら空きだぞ!」とショーの感覚で声を張り上げていた。
平然としている二人とビクビクした一人は真ん中を大きく避けて踏み込んでいくと、その内カウンターに行き着いた。一人のお爺さんが、汚れたジョッキをさっと布切れで拭いて並べている。ごわごわと絡み合う髭が目立ち、決して清潔とは言いがたい。
「よう、爺さん! 久し振り」
フランクにアッシュがカウンター越しに挨拶をした。
「……おお、ギルか! よく来たな」
「俺もいるよ」
「ジャック!」 お爺さんはボロボロの黄ばんだ歯を覗かせてパッと笑った。「ああ、前会った時より背がでっかくなったか? ほれ、さっさと座れ。軽くナッツでも出してやろう」
三人が大人に合わせたカウンターチェアに勢いをつけて乗っかると、お爺さんは厚いレンズの丸眼鏡をくいっと上げた。
「……? はて、その隣りにいるのは誰だったか」
首を伸ばすお爺さん。自分の事だと分かった優兎はビクリとした。
「こいつは新入り。最近知り合ったばっかなんだ。あーえっと、名前は――」
アッシュはほら、と優兎に視線を送る。優兎は息詰まった。しまった! 偽名を考えておくの、すっかり忘れていた!!
あたふたと回りにヒントになるものがないか目で探し求めていると、アッシュの座席から二つ飛んだ席でリンゴっぽい果実を頬張る男性が飛び込んできた。優兎はゴクリと唾を飲み込む。
「あ、アップル……」
額から、たらりと汗が流れた。
「そ、そう! それだそれ! まったく、緊張し過ぎて自分の名前も忘れちまったのか? リラックスしろよ。リ・ラ・ッ・ク・ス!」
アッシュは大げさに笑いながら、優兎の背をバシバシ叩いた。力を込めて。一方優兎は「ああああ僕のバカ野郎! ナイトでもロードでもルシファーでも、ちょっと考えればいくらだって候補はあったろうに!」と頭を抱えた。
「アップル、ねえ。しかしまだ子供のように見えるんだが?」
「こいつは『ノーガロット』――ジールはぴくりと反応した――なんだよ。こう見えて、なんと九歳! 立派な大人だ」
アッシュは自信を持って言った。
「ほほう、ノーガロットときたか。確かに突っついただけで倒れそうだわい」 お爺さんは水に濡れた手を袖で拭いた。「わしの名前はマーガレット・グリーギャン。万屋ギルド〈食人鬼のテーブル〉の店主をやってる」
そう言ってマーガレットは手を差し伸べ、握手を求めた。ふーむ、マーガレットという花がここにもあるかは分からないが、随分と可愛らしい名前だ。優兎はよろしくお願いします、と言って、意外とがっしりしている手と握手した。
「何だか、今日は随分と人が多いね?」
ジールがナッツの袋を開けながら言った。
「ああ、土壌改良で一仕事終えてきた奴らがちょうどな。ジャックなら知っとるんじゃないか? 近頃野菜の質が落ちとる。よう育つし見た目ばっかりはでっかくて立派なんだが、味は普通サイズのものの方が断然うまい。だから土をいじって栄養面を補ってやる必要があるわけだ。おてんとうさんが顔を出したから、今の内だろうがな」
「噂には聞いてる。なるほどね」
「最近の依頼はやっぱり、畑仕事を手伝ってくれやら、相変わらず人探しやら、そう言ったもんばかりだ。お前達が求めてるような魔物退治なんぞありゃせんぞ。あっても五つ星級かそれ以上だ。キツいぞ?」
「分かってるって。前のディナブロ退治でよぉーーく学んだって。オレ達にゃまだ早いってな」
アッシュは不貞腐れてそう言った。マーガレットはニヤリと笑うと、壁に打ち付けてあるボードを顎でしゃくった。ボードには様々な色と大きさの紙が何枚も止めてある。
「ほら、さっさと手頃な奴見っけてこい。決まったら声をかけてくれ」
マーガレットは背後の部屋の奥へと行ってしまった。完全に姿が見えなくなると、ジールはアッシュの方に体を傾ける。
「ねえ、アニキ。ノーガロットってのはあんまりじゃない?」
「んー? こいつにはピッタリだと思うぞ?」
アッシュの言葉に、優兎が首を傾げる。
「その、のーが……ナントカって何?」
「ああ、奴らはトイレ詰まった時に使うアレアレルギーと、バナナに滲み出てくる黒いアレアレルギー持ちだから、一応その辺注意しろよ」
「いやだから、ホントにどういう種族なの!?」
「世の中には知らない方が幸せな時だってあるんだよ、アップル」
ジールは苦笑した。
三人はボードの方へと移動した。種類別にボードが並んでいて、討伐系、調査系、もの探し系、労働者の募集系タイプに別れている。
確かにマーガレットの言った通り、依頼は畑仕事や人探しのものが多かった。そちらの方に紙が集中している。優兎は一部に目を通した。
『突然いなくなってしまった妻と息子達を探しています。妻の名前はマール。結った茶髪に、腕には赤い宝石のついた銀のブレスレットをしていて……』
人探しの依頼の紙を見ていると、どうにも片親が家族を捜している、あるいは祖父母のどちらかと子供のセットといったものが目につくような気がした。場所はバラバラみたいだが、何だか奇妙だ。
他に変わった依頼を挙げると、なくしてしまったプレゼントと同じものを作ってほしいやら、楽器の弾き方を教えて欲しい、いい女を紹介してもらいたいなんてのもあった。
「いっぱいあるね。どれがいいだろう?」
「んー……あ! アニキ、アップル、これなんかどう? 『〈ハルモニア〉で落とした、クリーム色の小石を探してきてください』だって。九百リヲ! あの辺の魔物はそこまで血気盛んでもないって聞くし、いけるんじゃない?」
「……いや、ダメだな。〈ハルモニア〉は大陸がデカいからな。もっと大人数じゃねーと見つからねえよ」
「人探しはどう? 困ってるみたいだし。……って、このギルドの名前〈食人鬼のテーブル〉なのに、人様の為になってることしてるんだね。何だかおかしいや」
「お、アップル。お前面白い事に気付いたな。言われてみりゃ矛盾してやがる」
しかし、ジールがこれもダメだ、と首を振った。
「前に一度、アニキと二人で引き受けてみたんだよ。三十代くらいの男性を見つけてくれってやつ。子供よりは探しやすいかなと思ったんだけどね」
「見つからなかったんだ?」
「そう。有力な目撃情報を見つけたまでは調子よかったんだけど、そこでぱったり。どころか依頼主もいなくなっちゃった」
ジールはやれやれといったふうに言った。優兎はペラッペラッと紙の束をめくった。
「――じゃあ、これは? 『リッテの花を一本お願いします』っていうの。千二百リヲ」
ここ、と指差して二人にも見せた。
「ふうん、花か。花ならそこら辺にでも咲いてそうだな」
「決まりだね」
ジールは留めてあったピンを外すと、依頼の紙を持ってカウンターへと向かった。
——6・〈食人鬼のテーブル〉 終——




