5・ユニ①
ここは……どこだ?
清潔なベッド、窓から入る風で揺らめくカーテン。……静かだ。周りには誰もいない。まるで覚えのない場所に一人、ぽつんと優兎だけが佇んでいる。
視野に掛け時計が見えた。午前二時五分。深夜だ。
優兎は自分の意思に逆らって歩き出す。何だ? 僕は何をしているんだ? 視線の位置も何だか変だ。ブランコで立ち乗りした時みたいに周囲を見下ろしている。僕、いつの間にこんなに背が伸びたのだろう。
わけが分からない。しかし、優兎であって優兎ではない人物は、そのまま一歩一歩静かに歩いている。目線には一つのベッド。仕切りのカーテンがあって、ベッドに誰が寝ているのかは定かでない。
謎の人物(優兎)はカーテンの前に立つ。その際にシルエットとなって、人物の姿が映し出された。体格や髪の長さから見て、男性ではなく女性だろう。
女性はカーテンを開けた。――
――重い。
何かが優兎の腹の上に乗っかっている。息苦しい。
そーっと瞼を開いてみると……そこにはゼリィがいた。優兎の顔を覗き込んでいる。心配してくれているらしい。
ゆっくりと地面から半身を起き上がらせる。と、頭がガンガン痛んだ。
(ええっと、確か僕はゼリィを庇って……起きたら、ベッドのある知らない場所にいて……で、また起きたら洞窟で倒れてて……んんん? どうなってるんだ? さっきのは夢? それとも今、洞窟にいるのが夢??)
服についた土を払い落として、優兎は立ち上がった。ついでに夢か現実かを一発で見抜く方法を試してみる。――痛たっ!! どうやら、今洞窟にいることは現実であるらしい。ということは、あれは……?
つねった頬を撫でながら、優兎は辺りを見渡した。すると、自分とゼリィがお椀型の白い壁で守られている事に気がついた。そしてその外側には砕けて粉々になった――氷の破片!?
どうやら優兎は無意識に光のバリアを作り出していたようだ。これらの破片はカドルの残骸だろう。
「あらゆる魔法の頂点に立つ属性……」
ふと、相性について書かれていた本の一説を呟く。
(そうか、光の魔法は氷の魔法よりも強かったんだっけ。それで助かったのか。指輪もあるし、もっと冷静になるべきだったな)
だが、意識があるならいざ知らず、気を失っている間もバリアを維持できるものなのだろうか?
(そういえば、アッシュとジールの姿が見当たらない。どこにいるんだろう?)
嫌な予感がする。優兎は壁を伝いながら一本道を出た。〈骨の間〉には誰もいない。暗いが、人がいれば骨の砕ける音がするはず。
優兎は二人とはぐれてしまったのだ。
「どうしよう。早く合流したいけど、視界は悪いし、魔物もいるし……」
優兎は困り果ててしまった。溜息をつき、岩壁を背にして座る。
段から頭蓋骨の欠片をチラリと見て、ここから出られなければ自分もこんなふうになってしまうのだろうか、と思った。この人達もこの明かりの届かないところで日々を過ごしたのだろうか。命消え行く瞬間は恐怖に満ちていたのだろうか。それとも最後まで神の救いを信じていたのだろうか……。立場に寄り添う形になると、切ない気持ちで溢れ、より心が沈んだ。
すると今まで優兎の横で大人しくしていたゼリィがそばまで寄ってきて、彼の右手をトントンと叩いた。どういう意味だろう。
「手がどうかした? ――ああ、そうか! 僕は光の魔法が使えるんだった!」
早速優兎は魔力を溜めた。指輪ごと手が輝きを放ち、彼の周りに小さな魔法陣が浮かび上がる。そして優兎達を洞窟まで引き寄せたのと同じような、宙に浮いた明かりを想像し、作り出した。
(はあっ、出来た! 自分の力だけで出来たぞ!)
当たり前だが、明るい! と思った。初めて自分の意思で発動された魔法に、感動すら覚える。たいまつよりもずっと辺りが見渡せるようになった。
(この子、凄いなあ。咄嗟に放った魔法で、一発で光の魔法使いだって分かったのか。僕よりずっと頭がいいかもしれない)
明かりとして光の魔法を使っている人を見ていなかったし、そもそも失敗続きでちゃんと発動出来るかも怪しかった為、優兎には考えが及ばなかった。褒めるつもりで指で撫でてあげると、ゼリィはくすぐったそうに笑った。不安だった気持ちがゼリィのおかげでどんどん和らいでいくのを感じた。
とりあえず、アッシュとジールのいる場所に合流しなくては。優兎は明かりを浮かせたまま〈骨の間〉の中央まで歩いた。ゼリィもついて来る気のようだ。のろのろと大きな骨の間を縫って進んで来る。
ダメだ。二人がどの道を行ったのかさっぱりだ。
「ねえ、僕はどの道へ行ったらいいと思う?」
優兎はしゃがんでゼリィに聞いてみた。端から見れば、魔物に道を尋ねるなんておかしな奴だ、と思うかもしれない。だが先ほど光の魔法使いだと見抜いた件を考えると、ゼリィという種族は魔力を感じ取る事が出来るのかもしれない。もしそうなら、アッシュとジールの魔力を感知出来るのではないだろうか。予想が外れたにしたって、自分の勘よりは頼りになるはずだと思ったのだ。
すると人の言葉を理解出来るのか、ゼリィは一つの穴を指差した。まだ行った事のない場所だ。
「あっちだね? 分かった」
そう言うと、優兎はゼリィをコートの右ポケットに運び入れて、指示通りに右の道へ突き進んだ。まっすぐではなく右方向に曲がっていて、こちらもゆるやかな段になっている。
ここまで監視していた者も、優兎の後を追っていった。
(明かりの維持は割と簡単なんだな……主人に合わせて前を行くようにイメージして作れば、あとはオートなんだ。魔力は消費し続けるかもしれないけど、気にし続けなくていいのはラクだ。光量を増やす時は継ぎ足していくイメージでいけば……ああああ、あんまり指示を上乗せしすぎると落っこちちゃうな。経験不足かな? 適度に縮めて、っと……)
歩きながら、優兎は魔法の使い方を学んでいった。明かりについては少しコツが掴めたかもしれない。指輪のおかげで魔力の消費も程よく抑えられているようだった。
しばらく歩いていると、急にゼリィがブルブルと震え出した。優兎はポケットを開く。表情から察するに、何かを恐れているようだ。自分で指示した道なのに……どういう事だろうか。
(でも、元々は僕が悪いんだよな。家族や友達から無理矢理引き剥がして、見知らぬ土地に連れて来ちゃったんだから、そりゃあ怖いよな)
これ以上怖がらせてはいけない。優兎はゼリィを逃がしてあげることにした。もはや宿題なんてどうでもいい。
「君なら賢いし、音もなく行動出来るよね。元気をくれてありがとう。ここに置いていくのも気が引けるけど、仲間の元へお戻り」
ポケットに入れていたゼリィを地面に下ろす。ゼリィは突然の事にキョトンとしている。優兎はそのまま放っておくことにした。
ゼリィと別れてから間もなく、二つの分かれ道にぶち当たった。まったく……迷路みたいな洞窟だな。優兎は肩をすくめた。本当に二人はどこへ行ってしまったのだろう。
途方に暮れて、気まぐれに左の道を選ぶ。しかし、入ってすぐに優兎は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げた。なんとそこにはカドルの大群が彼を待ち受けていたのだ。ざっと十匹? いや、もっとだ。奥の方からもカドル達の低く唸る声が聞こえる。
先ほど悲鳴を出してしまったせいで、カドル達には「何かいる」と気付かれてしまった。だがまだそれだけで、「獲物だ」という事には気付いていない様子。一匹、また一匹と優兎に近付いては、コートに頭をこすりつけたり、前足で押してきたりする。何なのか調べているようだ。
優兎は声が出ないよう、口元に手を当てたポーズで、カドル達の興味が削がれるのを待った。心臓がバクバクと激しく鼓動し、汗が頬を伝う。まるで「だるまさんが転んだ」をしているような気分だ。ただし命がけの。
しかし何分間か過ぎた後、カドルの事をよく知らない優兎はその大人しい態度を見て、「この子らはあの時追っかけてきたカドルより狂暴ではないのかも」と思うようになってしまった。今、優兎に興味を持っているカドル達は肉食動物というよりも、ペットのようではないか。
ここのカドル達は安全だと気を許した優兎は、この場を離れようと決心した。口元に当てていた手を外して背を向け、一歩二歩と忍び歩く。そして念の為、もう一度カドル達の方へ振り返る。
「!?」
優兎は言葉を失った。そこにいたのは好奇心でいっぱいの、愛くるしいペットのようなカドル達ではなく、獲物を狩るハンターと化した者達だった。目皺を寄せ、彫刻と見紛う姿が一斉にこちらを向いている様は、とてつもない恐怖だ。
「な、なんでーーー!?」
勿論動いた為だ。そうとは知らず、優兎はまだ行っていない別の道を選び、全力で走った。総出でカドルの群れが追って来る。
明かりを灯しながら攻撃魔法なんていう同時進行、いきなりで放てるだろうか。いや、もうやるしかない! 優兎は腰を捻って光の球を放った。球は先頭のカドルにぶつかり、爆発する。うわ、やった! と安心したのも束の間、爆発は二、三匹巻き添えにしただけで、追いかけて来るカドルの数はそれほど減ってはいなかった。二球目を作って投げたが、まだまだどんどん出て来る。ダメだ! 多すぎる!! 優兎は攻撃を諦めて走る事に集中。しかし、スピードは落ちていくばかり。稼いだ分の距離がどんどん詰められていく。ダメだ、もう限界だ!
へろへろになって、へたり込んでしまった優兎。突如、信じられないことが起きた。
なんと、諦める事を知らないと言われていたあのカドル達が、走るのをやめたのだ! 二球目を作った際に明かりがしぼんでしまい、音しか分からないのだが、どのカドルも優兎から遠のいていく。辺りは再び静けさを取り戻した。なぜだ? そしてこれは喜んでいい事なのだろうか……?
とりあえず優兎は、マッチの火程に小さくなってしまった光を元の大きさに戻した。う、眩しい! 急激に強くし過ぎた! 光が彼の周りを照らす。段々と目が慣れてくると、洞窟内の様子がはっきりと分かるようになった。カドル達が避けるようなものは何も――いや、さっきと違う!
ここら一帯の壁は、洞窟というより室内のようであった。壁も岩肌ではなく、つるつるとしている。そして壁には文字が刻まれていた。砂埃が詰まる程の古い言語のようで、翻訳が機能していない。少なくとも魔法界語ではないらしい。
古語の書かれた壁は奥の方にずっと続いている。この先に一体何があるのだろう? 優兎は覚悟を決めて前へと進む。
どんどん歩を進めるうち、優兎に身に覚えのある苦痛が襲いかかってきた。頭が痛みを発する。それに体が熱い……! こんなところで不知の病を発症してしまったというのだろうか。優兎は息を荒げながら壁に手をついた。
けれどもその苦しみは長くは続かず、すぐさまふっと軽くなった。完全になくなったわけではないが、体がラクになった。
変化に驚いていると、あの不思議な白い光が真横に止まっていた。うわ、いつの間に! ギョッとして体を反らすと、白い光はすーっと奥へ進んで行き、大きな扉の向こう側へ消えてしまった。
(入っていいのかな……?)
扉を押すと鍵のかかった様子もなく、すんなりと開いた。すぐに眩い程の光の渦が優兎を包み込む。今まで暗がりの中を彷徨っていたので、堪らずぎゅうっと目をつぶってしまった。ごしごしと目頭を擦り、少しずつ瞼を開ける――
「ええっ!?」
優兎は面食らった。目の前には、白く輝く美しい庭が広がっていた。
扉が背後で閉じていくのを耳にしながら、少し歩いてみる。道の周りに銀色に輝く植物。そして心地よく流れる水音が聞こえる。
(ちょっと待てよ、この光景見覚えがあるぞ。確か……――そうだ! 一昨日に夢で見た、白い庭園!)
天から降って来る白い花びらも夢で見た通りだ。――ということは、奥にはアレが……?
優兎は逸る気持ちを胸に駆け出した。道中にいくつものガゼボを見つける。違う、これじゃない。これも違う! けれど屋根の形状や容相はそのものだ。
駆け回り、首を振り回し、そしてようやくその場所を見つけた。泉の上に浮かぶガゼボ。内部には夢の通り、黒水晶が見える。
「君が……ああいや、テレサ様が僕をここへ?」
優兎はその場で呼びかけた。黒水晶の獣は動きを見せない。が、声は返ってきた。
『待っていました。あなたがこの世界へ訪れた時からずっと……』
ここまで導いて来た白い光が水晶の手前に降りてきて、パッと消え去った。
「何で僕なんかに……」 優兎は俯き、首を振るって顔を上げる。「この世界の神様なんですよね? なぜそのような状態になっているんです?」
『闇の神の仕業……なわけが、火の、氷……――分かりません。とにかく、何者かに閉じ込められてしまったのです』
徐々に女性の声が滞っていく。切羽詰まった様子が伝わってくる。
『早く、この水晶に触れてください、奇跡の子よ……。水晶の魔力があなたの体を虫喰んでしまわないよう、ワタシの力で押さえ込んでいるけれど、これ以上は……ゴフッ! ――ワタシはもう……みが、もた、な……ゴホッ! ケホッ!!』
激しい咳き込みだ。優兎は建物へとまっすぐ伸びている一本道に、ごくんと唾を飲み込んで足を踏み入れた。すると、夢以上の壮絶な寒気が全身を駆け巡った。凄く気持ち悪い。足を元の位置に戻すと寒気は収まったものの、鳥肌が立ちっぱなしだ。
(何で僕なのか分からない。でも、助けを求めているんだ! 見過ごすなんて出来るはずがないっ!)
すーはーと震える心と体を整えさせて、水晶までの道のりを再度確認し、覚悟を決めて踏み込んだ。全身を突き上げるような痛みが襲いかかり、あわや泉の中へ落ちそうになった。
それでも今度の優兎は、進み行く度胸を見せた。濁流にのまれ、三半規管を滅茶苦茶にかき乱されている感覚に吐き気がする。汗が止まらない。その内、指先から青いカビのようなものがブツブツと滲み出てきた。この現象は記憶にあった。翻訳の魔法を入れてもらった時に、かぼちゃ頭の少女・カペラの腕にも現れていたものだった。
(これ、魔力なんだ……! 魔力が体を飲み込もうとしている!)
カビのような斑点は、よくよく見れば魔法陣の模様の集まりであった。魔法陣の斑点はどんどん広がっていき、指の先を青から黒へと染め上げていく。
「う、あ、あ"ああああッ!!」
優兎は絞り上げるように声を荒げて自身を奮い立たせると、体が真っ黒になる前に走り抜け、そして――指の先が、水晶を撫でた。
たったそれっぽっちが優兎の限界だった。一気にすべての重荷が解き放たれた感覚がまた壮絶なもので、優兎の目から光が消えた。力を失った体はぐらりと傾き、そして泉の中へと叩き付けられてしまった。




