6・忍び寄る影①
その頃、アッシュとジールは、アッシュの部屋で本型のすごろくゲームをしていた。最初にサイコロを三回振って、出た目で体力の数値を決め、マスに控えている魔物達をやり過ごし、ゴールの場で残っていた体力値やお宝のボーナス加点で勝敗が決まるというものだった。
現在の勝敗状況は、アッシュがゼロ勝でジールが二勝。三回目の勝負もジールがリードしている。
「くっ……、お前、本当にこのゲーム得意だよな」 アッシュは顔をしかめる。「おしっ! ここだ! ここで『ゼリィ玉』のカードを使う!」
「アニキが考え無しなんだよ。アイテムの選択肢が出た時も、愚直にゼリィ玉カードばっかり選ぶしさあ。毒消しとか状態異常を未然に防ぐアイテムとか、そういうものも選んだ方が効率的なんだよ」 ジールは足を組み替えた。
「そのマスに止まらなかったら無駄になるだろ? 体力は裏切らねえ!」
「今やってるステージ、猛毒まみれの湿地なんだけど。盤上じゃそんな根性論は……うん、いいやもう。ゴールまでに留め刺す。宿木させてあったベロゥドントカゲを仕向けて、十マス抜けるまで毒化させる」
「させるか! 火の魔法でお前諸共焼いてやるよ!」
「はい、氷の魔法で完封。――お、ラッキー。『相手に百のダメージ』だって」
「んなっ!? ふっざけんなコラ!」
「あっはははは、残りの体力二だって。ウケる」
アッシュは頭を抱え、ジールは勝利を確信した。
(マズい……今日は絶不調だ。このままだとこいつに最速勝利記録を更新されちまうぞ! カードのマスに止まって、逆転の一手になるカードでも引かねえ事には、打破するのは無理だ!)
負けたとしても、長引かせるだけでいい。とにかく今は、記録を更新されてなるものか! という気分だった。
すると、部屋のドアがドンドンと音を立てた。誰かが呼んでいる。瞬間、アッシュの顔色がパッと明るくなった。チャンスだ!
「おいジール、代わりに見てこいよ。オレはここでじっくり考えとくから」
やれやれと思いながらも、ジールはその言葉に従い、様子を見に行った。その隙にアッシュは伏せてあるカードの束に手を伸ばす。
「誰ですかー?」
ドアの前に郵便受けを開けて、ジールは声を張り上げた。こうすると声がよく通るのだ。すぐに慌てたような声が返ってきた。
「あれ? ジール!? お、おかしいな、部屋割りだとここは――ああっ! そんな事どうでもいいや! 僕、優兎! 早くドアを開けてっ! お願い!」
(……?)
何をそんなに慌てているのか分からないが、相手が優兎ならいいか、と思ったジールは招き入れる事にした。ドアが開くなり、優兎はそそくさと中へ入ってくる。
「どうしたのさ、一体――ってうわああああっ!?」
振り向いた途端、ジールは大声で叫んだ。声につられて、アッシュもひょいとドアの方へ顔を覗かせる。そして青ざめると、彼もまた叫んだ。
優兎の顔面は血まみれになっていた。床に垂れぬようハンカチで拭ってはいるが、それもいつまで持つか。
「何! 何があったのさ!?」 ジールは慌てる。
「手紙の形した鳥に、あた、当たっちゃって……」
「だからって、どーしてそうなるんだよ!」 アッシュがツッコむと、優兎の元へと駆け寄った。
「はい、治療終わりましたよっと」
医務室の先生、ヨミ・ベクルルという黒髪の男性は、爪を明るいピンク色に染めた手を下ろして、緊張が解かれたように微笑んだ。
あの後優兎はアッシュ達に連れられて、医務室を訪れていた。
「校長先生から君の様子を見るよう言われてたけどねえ。まさか、初っ端に関係ないケガを見る事になるとは」
ヨミはビニール製雨合羽みたいに透けた白衣のポケットに手を突っ込んだ後、背もたれが軋んでひん曲がるぐらいイスに沈み込んで、シャボン玉の出るタバコを吹かした。
「うう、お騒がせしました」 優兎は頭を下げた。「それで、あの、回復魔法が発動しなかった理由は……?」
「単純に魔力が足りなかった。君、今日一回魔法を発動させてるって言ってただろう。それも突発的で派手なやつだと。その一回でほとんど使ってしまったと推測する」
「ええ……そんなに枯渇するのが早いんですか? 僕の魔力は」
「状況を見ちゃあいないから一度にどれだけ放出したかは分からないが、それほどすぐに消費してしまうのは、感情のエネルギーに合わせて魔力も爆発してしまうからだ。フォー・チャートの指輪があれば、もう少し節制する事も出来るんだろうが……。魔力が足りないにも関わらず、額の傷を深めてしまった理由は、攻撃魔法の方がすんなりと出やすいからだろうな。うまくいかず、イラッとしたはずだ。不可能を可能にする事への負担は回復魔法の方が多くかかるが、怒りに連動するそれは、単純であるほどすっと出る。――ともあれ、早いとこ指輪を受け取った方がいい。予定を早めるよう連絡しておく」
「はい」
「意固地に魔法に頼ろうとするな。塗り薬でも唾でも治るような傷は体に任せておけばいいんだ。ヤバいと思ったら専門に頼れ」
「すみません」
「はい、ゼリィ玉キャンディ。ミックスをあげよう。あとはコレ」
棒付きキャンディと、ミニチュアのイスを手の平に乗せられた。
「?」
「ドールハウスの一部。ここに来るたびに充実していくという寸法だ。愉快だろ。今後ともよろしく」
「? はい、お世話になります」
優兎は手の平のイスを見ながら医務室を出る。外ではアッシュとジールが壁にもたれかかっていて、待っていた。
「おお、治ったみたいだな」 アッシュは優兎の姿に気付いた。
「うん、回復の魔法であっという間だった! やっぱり本職の人は違うね。何かキャンディとドールハウスの一部? も貰っちゃったけど」 優兎はジールを見た。
「ああ、イスの方は通院特典だね。あの人、言ってる事は普通だけど、リブラ先生とはまた違う意味でマイペースだから。アニキも大ケガした時に何回か貰ったって言ってたよね?」
「禿げた人形の髪の毛一本一本とか、時計の部品とかな。あんなもんよりはマシになったみたいだな……」
アッシュはうんざりした顔で言った。優兎はあっ、と声を漏らす。
「二人共、何か作業してたよね。中断させちゃってごめん!」
「作業? ありゃあゲームしてただけだ。いいんだ、むしろちょうど良かったぜ。おいジール、今日の勝負は決着がつかなかったってことでいいよな!?」
「……まあ、別に良いけど」
「よっしゃあ! 優兎、サンキュー!」
最速記録がおじゃんになったと、アッシュはほくそ笑んだ。優兎はわけが分からず「?」マークを飛ばす。だが浮かれている理由におおよそ見当がついていたジールによって、次回わずか十五ターンで容赦なく叩き潰される事を彼は知らない。
「しっかし、回復の魔法を使おうとして、逆に悪化させるとはな。血だらけの顔を見た時は心臓が縮み上がったぜ」
「本当にね。コントロール出来てないみたいだけど、優兎、フォー・チャートの指輪はもう決まったの?」
優兎は頷いた。「なかなか選んでくれなかったけどね……」と口にして、ハッと余計な事を言ってしまったと気付く。
「選ばれなかっただと!?」
「指輪に!?」
案の定二人は食いついた。優兎はハァーと溜息をついた。
暫し、その周辺は笑い声で溢れた。道行く生徒達はこちらをチラチラと見てくる。優兎は顔を赤くして、ムスッと膨れた。
「そんなに笑わなくても……」
「ご、ごめんごめん。でも、選ばれないって話、聞いた事なくって……あはははは!」 ジールは再び腹を抱える。
「し、しかもその理由ってのが『キモい』って何だよ! ひでえな! ぷはははは!!」 アッシュは壁をドンドンと叩いた。
「――でもまあ、空のフォー・チャートか。優兎のイメージにピッタリかもしれないね」
「そう? ジールはどんな指輪だった?」
「今も持ってるよ。俺はこれ」
ジールは腰に下げている鞄から指輪を取り出した。指にはめると、森を下から見上げた風景が現れた。日を浴びて燦然と輝き、そよ風に揺られ、無音なのに、今にも葉の響きや鳥のさえずりなんかが聞こえてきそうだ。
「アッシュのは?」 優兎は顔を上げる。
「んあー、真っ黒な中に、マグマみたく赤い亀裂が入ってく奴だったか。最初は気に入ってたけど、どっかに当たるたんびにカツーンカツーンて耳障りになってきてよ。毎日付けるのも億劫だったし、そう経たねえうちに外してたな」
「アニキはコントロールよりもパワーで押し切っちゃうとこあるからね。でも指輪無しでそういう事が出来ちゃってたんだから、才能のなせる技だよ」
「ふふん、まあな!」
アッシュが誇らしげに鼻を鳴らすと、校内放送が流れた。
『全校生徒の皆さん、七時までに食堂へ集合して下さい。今夜は揃って夕食を取ります』
スピーカーもないのにどこから音がするのだろう? 優兎が音源を探していると、アッシュに背中を叩かれた。
「よし、行こうぜ優兎」




