2・現状報告劇②
「副校長先生はお体の方、大丈夫かしら。〈ルーウェン〉の大病院で、治療カプセルに入れられたと聞いたわ。早くに復帰出来るといいのだけれど」
観客側だったミントも片付けに参加しながら、胸を痛める。魔法界では、魔法や薬でもどうにもならないような生死に関わる重症患者は、魔力の液で満たされた治療カプセルに入れられるのだった。病気にかかった植霊族のキャロルも、魔力を用いた手法で治したが、こと人間においても同様であるらしい。回復する、というのは、本人が治療行為について前向きである事の表れであるので、青痕が出ない程度の液に入れておけば、後は簡単な施術で済んでしまうそうだ。
「警備や副校長の容態は、学のある大人達に任せておけばいいよ」 イケてないカチューシャを放ったジールが言う。「俺らが気にしなくちゃいけないのは、リブラ先生の方。退職していった先生まで手が回らないだろうから、俺達が率先して動向を調べるしかない」
「そういやあ、姉妹疑惑が挙がってたんだっけか。見た目がちょっと似てるってのと、共通の魔法が使えるのと……それだけか? 似てねえ部分の方が多くないか? 性格とか雰囲気とか、まるっきり違うぞ。オレは一人っ子だからピンとこねえけど、何もかもが正反対の兄弟もいるのか?」
「共通点の数だけで判断しちゃあダメだよ、アニキ。もし仮に、職員室で見せた最後の姿が本人じゃなく、あいつの変装だった場合、様子がおかしかった事の辻褄が合っちゃうんだからさ。強制的に退職させられた可能性さえ考え得る」
「確かに」
「判明してない部分も付け加えないとよ」 横からぐいっとシフォンも口を出す。「ナタリア先生があたし達に明かしたのは名前だけで、本名や出身地は名乗ってないし、リブラ先生自体の素性も謎のままだもの。仲良し姉妹だったら、リブラ先生の口からポロっと零れるような事があってもいい気がするけど……」
一番リブラと過ごした期間が少ないシフォンから見ても、リブラのような、特に裏表のなさそうな性格をしていながら、生徒達に身の上話の一つも明かしていないのは妙に思えた。生徒達がわざわざ”聞かなかった”事に原因があるのではなく、言えなかった、あるいは隠しておきたかったのかもしれない。それは、ナタリアが非情で、怪しい輩の下で悪巧みをするような人物だからか? 家族間で深刻なトラブルがあったから?
教室内に、各々の深く考え込む声が響く。
「……リブラ先生とナタリア先生が、同一人物という可能性は考えられない? 劇中で、リブラ先生からナタリア先生に変身してみせたように」
冷静に切り込んできたのは、カルラだった。
しん、と静寂が訪れる。彼女の声調自体はとてもひかえめなものだったが、一瞬で他のクラスメイト達を凍り付かせてしまう程の影響力を有していた。
「……性格やしゃべり方だけじゃなくて、移動速度まで変えてたって事になる。ジール、リブラ先生がこの学校を務めて何年経つ?」
「一年組、二年組と上がって、一年組に戻されてる。残留組に回された事もあったみたいだけど、独学で勉強出来る子達の中じゃあ空回りしちゃってさ。その時期と倉庫組での期間を合わせて、少なくとも二年近くかな」
「性格や服装なんかはいくらでも誤魔化せるけど、歩調まで区別する必要はないよね。二人共、そんな器用な演じ分けが出来るような人物には見えなかった」
助けを借りて否定したのは優兎だった。カルラはミントに視線を送る。前述した意見だけでも、明らかな別人の根拠としては立派であるが、彼女は「そんなふうには見えなかった」という印象面に偏った情報だけでなく、獣人族の五感が察知した情報も欲したのだ。
「あ、あんまり個人の匂いがどうとか、勝手にべらべらしゃべりたくはないんだけど……。森を出た獣人族として、感覚もちょっと鈍ってるみたいだし……」
「前置きが長いな。早くしろよ」
気おくれしているミントを急かすアッシュ。ミントは物申したげに睨んだが、私的感情を優先している場合ではないのは最もであった。
「リブラ先生はチューリッチの花石鹸の香りをベースに、その時々でコロコロ変わる人だったわ。はちみつ入りのお茶とか、焦げた目玉焼きの匂いとか、服に付いたシミで食べたものが分かりやすいの。半面、土埃や生乾きの匂いやら、虫の死骸の体液やら、道端で踏んづけたらしいアレや酔っ払いが吐いたソレのミックスやら……とにかく、アタシ達が『先生らしい』と思える要素が詰まっていたわ」
「すまん。言いたくなかったっつうの、ちょっと理解出来たわ」
「ナタリア先生は、鎧やマントに付いた血と脂の匂いが前に出た印象ね。魔物や獣に留まらず、人間のものとみられる痕跡もあって――ひょっとしたら、副校長先生の血痕だったのかも。本人は武人だった頃の影響か、まとめて綺麗にしちゃう質だったみたい。髪の毛に洗い残した石鹸の塊がついてた事があったりで、所々大雑把な部分も垣間見えたわ」
「二人共、話の中に石鹸が出てきたね。まさか、同じ香りのするものだったり……しないよね?」
片付け終わった席について、優兎は聞きたいような、聞きたくないような気持ちを押し通して聞く。
ミントは記憶を辿る。やがて動揺を露わにするように口元を震わせて、「言われてみれば……そうだったかも」と答えた。
「待った待ったっ! 同性の姉妹なら、同じとこの製品を贔屓にしていてもおかしくないわよ!」
気まずくなりそうな雰囲気に、シフォンは声を上げて一筋の希望を見出した。確かめようがないので、他の共通点を探す必要があるだろう。ただ、別に疑惑が晴れたわけでもないのに、皆一様に緊張が解けた表情をしていた。
「同じ匂いで言えば、二人共独特な香りをつけている事はあったかしら。ふくよかな大地の中に、焼けた木々や成熟した穀類をイメージさせるようなもので、ほのかな甘みと異国情緒と、どこか刺激的な顔も見え隠れしていて……」
「何だそりゃ」
「スパイス? ワイン? それとも葉巻?」 アッシュが一蹴する余所で、シフォンが具体的な探りを入れる。
「はっきりとは。これも同一人物じゃない事の否定には繋がらないかもしれないけど、ひとまず伝えておくわ」
「――よくよく考えてみると、やっぱりリブラ先生とナタリアをイコールで結びつけるのは無理があるよ。リブラ先生の言動が全部巧妙な演技だとしたら、リブラ先生のままでいいはずだもん」
「どういう事? ジールちゃん」
「うっかり入っちゃいけない部屋に入っちゃった、とか、何を仕出かしてもおかしくない状態になってるわけ。別人に成りすますメリットがないんだよ。現にナタリアは授業を抜けまくってたし、俺らも警戒心を抱いた。だけどリブラ先生なら、いつでも優兎を言いくるめるチャンスはあった。副校長が犠牲になる事もなかった」
ジールからどんどん確信を突く発言が飛び出してくる。この強力な後押しは非常にありがたいもので、気付けば優兎も、周囲も同調していた。皆、本心ではリブラの事を疑いたくはなかったのだ。リブラと過ごした日々を穢したくないから、深いところまで追求するし、絶対違うという感情が前に出て、真実を知る事を恐れてしまう。
「もしも、リブラ先生の行方が分かったら……私、お疲れ様と言って、花を贈りたい。倉庫組のみんなと行きたい」
カルラがぽつりと呟いたのを経て、他の五人は今更ながら、ちゃんとしたお別れをしていなかった事にハッとさせられた。親の看病が退職理由であるので、純粋にリブラの意志で去ったというのも当然あり得るのだ。
真偽は後回しでいい。カルラの言葉に、遅れて五人が頷くと、合間の休憩時間が訪れるまで、どうやって行方不明のリブラを探し出すかの案や、横道に逸れた思い出話が繰り広げられたのだった。
――2・現状報告劇 終――




