1・マッド・トレーニング①
学校に新米教師のフリをした不審者が入り込んでいたという騒動は、開校以来例のない事案であった。それは学校を取り囲む高い塀や危険分子を排除する魔物の配置、頻繁な見回りなど、警備に余念がないのも然る事ながら、校長の影響力が絶大だからだ。一人一種の魔法しか持てないはずの世界において、無数の属性を操れる稀有な魔法使いであること。更に、魔法界を束ねる国王に直談判が出来る立場とあれば、悪党や無法者の魔族達にとって、どれほど不都合な存在であろうか。実際のところは本人不在の日数が近頃増えていたものの、裏を返せば、留守を任せられるくらいの安全地帯であったという事だ。
とはいえ、事は思いの外簡単に収束していった。
ナタリアと対面の機会が多かった倉庫組の面々は、重要参考人という形で呼び出される事があったのだが、彼女は学校に新任したばかり且つ、唯一の被害者自身の不明瞭な情報も相まって、接点の乏しかった大多数の生徒にとっては「学校が休みになった! ラッキー!」程度の感覚だったらしい。不安なムードが漂っていたのは初日くらいなもので、三日経つ頃には、いつもの休日と何ら変わらなくなっていた。まあ、学校側としてもその方が都合がいいのかもしれない。
明日からまた、学校に通う日々が始まる。生徒達が降って湧いた休日を思い思いに過ごす一方で、トレーニングホールでは汗水垂らしながら、素振り練習をする優兎の姿があった。
「――五十七! 五十八! 五十九! ろく、じゅうッ! 六十一!」
回数をカウントしながら、クロスカリバー専用の木の棒を熱心に振り下ろす優兎。彼の友達がこの光景を見たら、「久々のまともな休日くらいのんびりしとけよ」なんて呆れるだろうが、優兎にとってはこれでも立派な趣味の時間であった。
「……九十七! ……九十八! 九十九! ひゃくッ!」
終盤はもう、逆に振り回されているかのような棒捌きであったが、それでも自分の決めた目標数に到達すると、棒を放ってドタッとへたり込んだ。天井に向かって大きく息を吐いていると、ベリィがタオルと水入りのボトルを運んで来てくれたので、ありがたく差し入れを受け取る。
半分までボトルの中身を減らして、今日もやり切ったというふうな顔をしていると、横からユニが水を差してきた。
「二桁を超えた程度で、よくも満ち足りた表情が出来るものだ。百と言わず、新発見に名を与えるがごとく、命数法に『∞優兎∞』を加えて恥を晒すぐらいの気概を見せんか」
「悪くない提案だけど、毎日コツコツノルマ達成を積み重ねる方が僕には合ってるんだよ。それに、その程度っていつもバカにしてくるけど、ほら!」
右手の手袋を外し、指の付け根を中心に巻かれた包帯を解くと、優兎は手のひらを突き出した。小指球や指の付け根、関節の辺りに擦れて出来た赤い痕や、皮膚の剥けた痕跡が見られる。努力とは無縁なユニにはピンとこなかったが、優兎はこの有り様を頑張っている証だと言って、再び包帯を巻きなおした。魔法で治せるのに、潰れた豆をよれよれの包帯で巻いているあたり、傷跡を勲章のように大事にしている事が窺える。
「醜い手を自慢げに掲げるとは、正気を疑うな。――チッ、言ってるそばからふざけたものが見えた」
「お、気付いた? そう、剣のデザインをまたリニューアルしたんだよ! ここのガード部分の装飾、何が巻き付いているか分かる?」
「どうでも――」
「そう、ドラゴンだよ!」 優兎は正解したノリで詰め寄る。「脳みそと腸をくたくたになるまで煮詰めて、やっとここまでリアルな装飾がつけられるようになったんだよ!最初は僕のああしたい、こうしたいって思いが先走っちゃって、なかなかまとまらなかったんだけど、あるものに目を付けてからは、明確な形を作れるようになったんだ。さて、そのあるものとは何でしょう?」
「しら――」
「そう、『お土産コーナーでよく見かけるドラゴンの剣』だよ!」
「……」
「『お土産コーナーでよく見かけるドラゴンの剣』。勝手に僕の部屋に出入りしてるなら、上から二番目の引き出しにいっぱいあったのを見てるよね? 父さんが会社の同僚の人と出かけるたびに買ってくれるから、専用の引き出しになっちゃって。僕の筆記入れにも一個ついてるんだけど、まさかこんなところで役立つとは思わなかったなあ~」
「たわけが! ボクが貴様の事を何でも知っているかのような調子で突っ走るのをやめろ!」
「ユニにも一個あげようか? 吊るすのにちょうどいいのが頭に生えてるしさ」
「話を聞け!」
凡そユニの回答には見当がついているので、端からまともにクイズをするつもりはないのだろう。いつの間にやら手にしていた、金ぴかのドラゴンが絡みついた剣のキーホルダーを指に引っ掛けてブラブラさせている。
だが、優兎が調子に乗っていられるのもここまで。「まあ良い」と切り替えたユニは不敵に笑う。
「ちょうどフィールドの構想を練り終えたところだ。娯楽だ何だとほざく貴様に、極楽ではなく地獄を味わわせてやる」
「フィールドの構想って……ま、まさか、例のヘビロテ・シャトルランか!?」
優兎から楽観の表情が消え去ると、ユニは口角を上げて手を振った。すると、周囲の景色が揺らぎ始め、ユニは地表からごぼごぼと湧き出してきた水に包まれ、姿をくらます。
優兎は灰色の空と、薄く水が張られた世界に一人、取り残された。トレーニングホールで自主練習していた時よりも、静けさに満ちた閉鎖空間。空と、自身の強張った表情を写し込んだ水面を、靴底でぴちゃっと蹴とばすと、二メートル程離れた先に白い霧が集まっていくのが見えた。召喚時の演出というよりかは、霧自体が何かを形作っているように思える。
やがて現れたのは、白霧の蝶だった。四枚羽に霧の渦巻き模様が見られる。羽を揺らすと形状が崩れて、実態はないように感じられる。
優雅に踊る蝶を、固唾を呑んで蝶を凝視する優兎。だが、唐突に空から「ド」という音が響き渡ってきた事で、彼はユニによる修行が開始されたこと、眼界の蝶が倒すべきターゲットであると把握した。水浸しになっている木の棒を拾い上げると、剣の形になる魔法を付与して、駆け出す。
距離を詰め、剣を振り下ろすと、蝶はふわっと霧散した。手応え無くやられたものだが、振り返ると、先ほど優兎が突っ立っていた場所に全く同じ姿をした蝶が、ひらひらと空中散歩していた。頭上から聞こえてくるメロディーも途切れる事はなく、一オクターブ上の「ド」を折り返し地点にして、「ド、シ、ラ……」と下がり始めている。
思わず、木の棒を握りしめる手に力が入る。魔法を付与し直し、無言のまま優兎が二匹目に突撃していくと、反対方向に倒したはずの蝶が復活していた。優兎はふうっ! と息を吐いて、「ド」の音を合図に地面を蹴る。
(敵の質感が、昨日より甘くなってる。序盤は下手に振り回さない方がいいかもしれないな)
速度を徐々に緩め、蝶の前に辿り着くと、優兎は剣の先端で軽く突いた。メロディーが一周しきっていないので、少しの休憩にあてる。同じ要領でもう一往復した。学校の体力テストの一環である通常版と比べると、敵を倒す・クロスカリバーの魔法が解除されるといった要素がプラスされて、難易度が跳ね上がっているものの、現時点では休憩を挟む余裕がある様子。シャトルランを修行に組み込み始めた当初は、ドレミをバックに流しゃあ成立するみたいな感じで、スケート選手や訓練中の宇宙飛行士が真っ青になるレベルで激しく転がされまくって、ゲロ死にしそうな姿を爆笑の餌食にされたものだが、笑いの果てに 事が相当気まずかったのか、今では割とまともな修行内容となっている。




