11・ナタリアの正体①
深夜。闇夜に落ちた六階廊下に、フードを頭に被った黒装束の不審者が歩いていた。魔法台のありかを示す、か細い明かりがかろうじて点いている程度なので、壁に手を添えて辿る事で道標にしている。
目的地はプレートに「ユウト・テルアキ」と記された部屋。不審者は家主のような慣れた手つきで合鍵を使用し、易々とドアを開けると、音を立てないように閉めた。
遅い時間帯なので、当然のごとく室内は消灯済み。窓から差し込む月明りに導かれるようにして進み行くと、不審者は部屋主の眠るベッドの前に立ちはだかる。そして腰の鞘からするりと剣を抜いて、切っ先を膨らんだ布団に突き付けた。
「起きろ。話がある」
剣を握っていない方の手で布団の端を掴み、強引に取り去る。
しかし、そこに交渉するはずの相手はいなかった。不審者が目にしたのは枕と本の山であり、布団に引っ張られると、床下に本が数冊崩れ落ちる。
行動が読まれていたと悟った直後、風呂場のドアが開かれた。
「……ガキはとっくに寝ている時間だよ」フードの中から溜息が零れる。
「すみません。夜更かし上等の悪い生徒で」
風呂場から現れた優兎は苦笑した。その余裕ある口ぶりから、正体を隠す必要がないと判断したらしい。ナタリアはフードを取ると、首を振って長い髪を搔き上げた。
「何であたしの行動が筒抜けになってるんだい。やっぱり、あのやかましい虫けら共を差し向けたのはあんただったとか?」
「ちょっと! プルプルはともかく、アタシのどーーこが虫に見えるってのよ! この節穴!」
答え合わせをするかのように、優兎の肩からキャロルとベリィがひょっこりと顔を出す。優兎は静かに、と唇に指を当てて制した。
「ナタリア先生、あなたは地球で僕を攫おうとしてきた二人組の一人だ。だから僕やキャロル達に怪しまれた事で、予定を早めてここへ来ると睨んだんです」
「……イワダヌキ一匹殺せない意気地なしのくせして、えらく自信たっぷりに言うもんだ。過去にあんたを襲った奴とあたしを結び付けるなんて、随分と発想が突飛じゃないかい? そこまで分かりやすいヘマはしてなかったつもりなんだけど」
「剣です」
「剣? 顔でも声質でもなくてかい? 当時だって、ちょうどこんな人の顔も分からないような時間帯だったはずだよ。状況的にも、あんたは冷静じゃなかった。覚えているわけがない」
「先生の言う通りです。あの時の人が学校でクラスの担任をやってるだなんて、想像もしていなかった。でも、僕の血と肉と骨は覚えていた。イワダヌキの子供の死骸に残された刺し傷のサイズと、僕が公園で受け入れた傷の類似性に加え、理不尽さとほんの少しのときめき、リアルの味が刷り込まれていて、先生への疑惑の浮上と共に解き放たれた。僕は自分を殺そうとする武器でさえも、かっこいいと思っちゃう人間なんです」
「……どんなにパッとしない奴でも、誇れるものの一つくらいはあるってやつか。結局死んでるようじゃあ意味ないだろってバカにしてたけど、今になって染みてきたね」
途端に優兎の言ってる事が分からなくなったナタリアは、熱視線から隠すように、剣を鞘に納めた。
「それで、僕に何の用ですか。人の部屋に忍び込んだ上に、脅迫までする必要がある事なんですか」
優兎が自力で導き出せたのは、同一人物であるという事だけである。ここまでしつこく狙われる理由に至っては不明だ。
「端的に言う。あたしと一緒に、ノズァークのとこに来てほしい」
「聞いた事ない名前ですね」
「あたし達の救世主だよ。そいつがあんたに会いたがってる」
「それだけですか? 命の保証は?」
「大人しくしてりゃあ、悪いようにはしない」
「救世主というのはどんな人なんです?」
「動く事もままならない老いぼれだよ。それでも計り知れない力を持ってる。そいつの協力を得る為に動いてたってわけさ」
「どうして僕に……聖守護獣のオラクルだからですか?」
「そこまで教えてやる義理はないね。こっちにも都合ってのがある。現状、あんたはあたしの誘いを断るつもりでいる。そうだろう?」
ナタリアの言葉を受けた優兎は、噛み締めるように頷いた。優兎側に利益がない。それに、ナタリアの目的が世の為にならない事だったらどうする? 彼女含め、優兎を連れて行こうとした者達の印象があまりよろしくないというのも後押ししていた。ノズァークという人物に関しては少々気になるものの、例え大金を積まれたとしても、優兎は拒否するだろう。
頑とした態度から、意志が強固なものであると受け取ったナタリア。やれやれと腰に手を当てると、驚きの一言を放った。
「だったら、もういいよ」
「え!」
「地球にいた頃のあんただったら無理やり連れて行ったんだけど、すっかり機を逃しちまったね。今後一切あんたに近付こうとはしない。正体を暴かれちまったし、今日付けで教師もやめるよ」
「やめる!? そ、そんなに簡単に決めちゃうんですか……?」
「慣れない事したせいか、とにかく肩が凝ったよ。デスクに噛り付いて仕事だなんて、性に合わないね。あんた達だって清々するだろう? 知ってるんだよ」
ナタリアは気にしていないといった素振りで肩を回す。優兎は何か言おうとして、詰まった。
「何さ、その浮かない顔は。――それとも、少しくらいはあたしから教えられた事でもあったのかねえ?」
首を僅かに傾けて覗き込んでくると、月明りを纏った、見透かすような視線に優兎はドキっとして、一歩引いた。ナタリアは「冗談だよ」と言ってスッと立つと、優兎を横切っていった。本当にこのまま部屋から出ていくつもりらしい。
しゃきっとしろ! 優兎は首を振った。
(さっきは僕が必要だって言ってたのに、一言断っただけであっさりと手を引っ込めた。この変わり身の早さは変じゃないか?)
都合があるで済ませた部分に、追及されるとまずい事を隠している――そんな気がしてならない。このまま帰してはならないと思った優兎は、咄嗟にマントを掴んで引き留めた。
「付いて来る気になったって様子じゃないね。……あんたにもう用はないよ」ナタリアは声で静かに威嚇する。
「僕への説得は二の次なんじゃないですか? 先生が学校へ潜入した時点で、すぐにでも僕の部屋へ来れたはずです」
「鍵を作るのに時間が必要だっただけさ」
「本気だったら、窓ガラスでも何でもぶち破って強引に突破出来たでしょう。地球でそうしたように。魔法台に印を付けた地図なんてのもいりません。あれはダミーなんかじゃなく、 書いてる途中で失敗した地図だ」
「あんた、いい加減鬱陶しいよ! 大して頭がいいわけでもないくせに、気取ってんじゃない!」
ナタリアは怒鳴って優兎を突き飛ばすと、煙玉を放り投げた。
「そうはさせないんだからっ!」
動向を見守っていたキャロルが、我先にと動いた。煙玉に体当たりし、連携でベリィが一旦包み込んで煙玉の勢いを収めると、ナタリアのいる方へと跳ね返す。自分に返って来ると予期していなかったナタリアは、痺れ効果のある煙の不意打ちを食らうと、ゲホゲホと咳込んだ。
しかし、彼女が煙玉のダメージに屈する事はなかった。胸元を抑えて苦しむナタリアの足元に、魔法陣が出現したのだ。
その色は、優しい温もりを感じさせる桃色。
「癒しの魔法!?」
床に沈んでいた優兎は即座に新手の出現を疑い、周囲を見渡した。だがここは建物の六階。魔力の出所も、本人から湧き出しているようにしか感じられなかった。
――癒しの魔法使いと言えば、性格や雰囲気は違えど、赤茶の髪や背丈などの端々が、彼女を髣髴とさせるような……。
(ま、まさかこの人は、リブラ先生の姉妹……!?)
リブラが三つ編みを解いて眼鏡を外し、笑顔を消せば、ナタリアと瓜二つになるだろう。状態異常から解放されたナタリアが優兎を真っ直ぐ睨んで来た時、同一人物とまでは言えないが、リブラの姿が重なって見えた。
あまりの衝撃に呆然としていると、ナタリアは腕で顔半分を隠し、マントを翻して走り出した。優兎が気付いた時にはドアが開きっぱなしになっているのが見えて、逃がしてしまったのが分かった。




