10・調合室のからくり④
遅かれ早かれ処理するつもりであったナタリアは、文字通りお邪魔虫を殺す事など躊躇わなかった。
今の一振りで、ナタリアは仕留めたと思った。だが手ごたえがおかしい。キャロルのような小人サイズの生物を斬った事はなかったが、それにしては骨や芯といった固いものにぶつかる事なく、スパッと切れたのだ。
ナタリアは分断したものに目線を向ける。それは赤くプルンッと揺れるもの――ベリィの体の一部だった。飛び散った飛沫も単なる赤い汁で、スライムボディのベリィには痛くも痒くもない。ナタリアが異変に気付いた時には、すでにキャロルはベリィの口の中に入り込んでいた。
「思いっ切り、行っけーーーーーっ!!」
指差すキャロルの号令で、ベリィは頬に空気を溜めて一気に噴き出した。砲弾のように飛び出したキャロルは、残った羽一枚の助けを借りつつテーブルの上に着地すると、ナタリアが棚から出していた薬瓶にしがみ付き、床に落とした。
ガッシャーンッ!
瓶が割れ、中の液体が辺りに撒かれる。液体から発生したあぶくと煙が床でシューシューと嫌な音を立てているが、キャロルは構わず別の瓶にも手を掛けた。
ガッシャンッ! ガッシャーンッ!
「面倒な真似しやがって!」
ナタリアは拳を握るが、薬液の煙を吸って咳き込んでしまい、その攻撃はキャロルには届かなかった。そんな事をしている間に、四つ目の瓶が落とされる。
(誰か、この音に気付いて! お願い! アタシが動けなくなる前に……っ!)
液体や粉末が混ざり合って発生した異臭は、キャロル自身にもダメージを与えていた。五つ目の瓶を落とす前に力が入らなくなって、ベリィに救助される。キャロルの上半身を咥えたベリィはテーブルから飛び降り、地図がくっついた分身をクッション代わりにすると、異臭の濃い場所を避けるように移動した。
「バカな奴らだね。こっちは薬や猛毒ガスに対処する訓練も豊富に積んでるんだよ!」
煙を食らっても尚、自身に分があると確信しているナタリアは、テーブルを支えにしつつベリィと距離を縮めていく。地図にくっついた体を切り離しても、赤い体はしっかりとした目印になっていた。遅い歩調とも相まって、あっという間に追いつかれてしまう。
「死ねッ!」
ナタリアは狙いを定めると、柄頭に手を添え、切っ先を下に向けて、ベリィ達を突き刺そうとした。
しかし、その渾身の一撃も当たらなかった。ベリィと剣との間に張られた薄い膜が障壁となって、攻撃が届かなかったのだ。
ナタリアは新手の仕業かと、咄嗟に入り口のドアを見た。が、かすんだ目を細めると、ベリィだけでなく、自分自身の周りにも膜――バリアが張り巡らされている事に気が付いた。
四方の壁から光が溢れるのを感じたナタリアは、バッと周囲を見渡す。光の発生源はなんと、壁に刻まれた文様。それまで何の変哲もない壁だったはずだが、バリアの出現と重ねるようにして一斉に輝き出したので、何かをキッカケに防御魔法が発動したらしかった。
「曰く付きの部屋め、くそっ!」
イラ立ちをぶつけるようにブンッと剣を振るう。煙による息苦しさはなくなったが、ナタリアにとっては余計なお節介でしかない。
更に、彼女にとって非常にまずい事が起こった。派手に動いたせいか、調合室に人を呼び寄せてしまったのだ。その人物は、中に誰がいるのかの確認もせずに勢いよくドアを開けると、抜き身の剣を握ったナタリアがそこに突っ立っていて、一瞬言葉を失った。
「せ、先生、どうしたんですか! この匂いは一体……!」
「ちょっとしくじっちまっただけで、別に大した事じゃないよ。直に異臭も薄まる」
言いながらチラリと目線を落とすと、そこにはもう彼女が追っていた者達の姿はなかった。
ハァーとうんざり気味に溜息を漏らすナタリア。剣を鞘に納めると、窓を片っ端から開けて後処理を始める。
「あんた、この事は黙っておいてくれるかい。虫を追っ払うのに手間取った結果ヘマしただなんて、恥ずかしくて人には――」
ナタリアが振り向くと、保身の言葉を掛けるはずの相手はどこにもいなかった。
大した事ないという一言だけを鵜吞みにして、素直に引っ込んだというのか。事を大きくしてほしくない自分にとっては都合がいいが、そんなうまくいくものだろうか? ナタリアは眉を顰め、飛び込んで来た人物の顔を思い出そうとする。朧げな記憶だが、パッと目に飛び込んでくる白黒の服と声には覚えがあった。
「あいつか。ったく、よりによって……」
腰を屈めて、砕けた薬瓶の破片の一つを拾い上げる。無骨な籠手をはめた手で拾い集めるのを煩わしく思ったナタリアは、素手で薬品に浸った破片に触れるわけだが、指先に火傷を負っても、少し我慢すれば傷は簡単に癒えた。
「うっ、……ハァ」
ぎゅっとつむった瞼を開けて、綺麗になった指の腹を確認する。
「ここいらで潮時だね」




