8・最も苦痛な授業⑤
イワダヌキの死骸を袋に詰め、集合地に会する優兎達。森で作業していた班が二袋分で、畑班が一袋と半分。一袋に大体七、八匹は入るので、課外授業にしてはしっかり働いた部類になるだろう。これらは農業用の荷車にこんもりと積み上げられ、作業が済むと、六人はナタリアの前に整列させられた。
「害獣駆除はこれにて完了とする。聴取内容や個体群の生態と合わせて、ここら一帯のはほぼ殲滅したと判断していいだろう。見せしめとしても充分な数だね」
言いながら、ナタリアは荷車から落ちそうになっている袋が気になったのか、引っ張り出して袋の山のてっぺんへと放り投げる。ドサッ! 荷車の山を虚ろな目をして眺めていた優兎は、投げ捨てられた袋から血のシミが浮かび上がるのを見てしまって、うっと呻いた。
「ご苦労だったと労っておくよ。報酬はあんた達の方で好きにしな」
「授業ついでに金稼いでやろうって魂胆はないってのか?」とアッシュ。
「別に。スレスレって事ぐらい理解しているつもりだよ。懐に入れるのがアウトって事も、あんた達相手なら大目に見られるだろうって事もね。そんな綱渡りをしてでも、あたしが教師らしく振る舞えるのは、こういう場だったのさ」
確かに、机に座って学習する時よりも、こっちのナタリアの方がまともに教師をしているふうに見えるのが何とも。
「うにゅー。でも、ワタシ達の学校は文字を一から教えるとか、魔法を自在に操れるようにするとか、普通の暮らしをして行く上で身につけなくちゃいけない事を学ぶ学校ですよ。この授業内容では認可は下りません」ミントは意見する。
「文字ってどれ? センツラル語を教えろって事かい? ハッ、勘弁しとくれよ」
「今話している言葉ですよ……」
ミントの耳が消沈を表すように垂れた。その耳が微かに「まるであいつみたい」という誰かの嫌みを拾った。
「それはそれとして――」
振り返ったナタリアは、落ち葉を踏み締めて生徒達に近付いていった。その内の一人に接近したかと思うと、すかさず篭手をはめた拳で思い切り腹部を殴る。
「う"あッ!!」
意図しなかった重い一撃に、優兎はあえなく倒れ込んでしまった。どよめきと共に枯葉が舞い散る。
倒れてからも、優兎には自分の身に何が起こったのか把握出来なかった。ガンガン響いてくる腹の痛みで思考が落ち、呼吸の仕方すら分からなくなってしまう状態。だが、周囲に鞘を突きつけて有無を言わせないようにしていたナタリアの姿が薄ら見えるようになると、暴力を振るわれた記憶が駆け巡ってきて、捨てられた子犬のような顔をして震えた。
「何でこんな目に遭うのか、あんたは分かってるはずだよ」見下げた目と声を上から浴びせてくるナタリア。
「な、何で……っ」
「とぼけた事を。あんた、殺される前に殺せるようになれっていう、この授業の目的に反しているよ。あんたみたいな弱いカスの根性をしばいてやるものだったのに、あんたはあの時間何をしていた? 罠の設置? 魔法で檻?? ふざけるんじゃないよ」
「ふざけてるつもりは……ゴホッ! うう……」
弁明しようとしたが、黙ってしまった。ふざけていると捉えられても仕方がなかったからだ。授業の目的は最初に明示されていて、他のみんなはイワダヌキの駆除に貢献したのに、大量の死骸の中に優兎が手を下したものは一匹もいない。
惨めだ。無様だ。殴る必要はなかったと周りがあれこれと言ってくれているが、優兎の慰めにはならない。自分が出来なかったばっかりに、とますます思い詰めるだけだ。
するとその時、優兎のそばの枯葉の中から、カサカサと何かが姿を現した。イワダヌキの顔だ。優兎が転がった際の震動に驚いて、出て来たのだろうか。
これにナタリアが目をつけた。枯葉の山を足で散らすと、イワダヌキの体が露わになり、ひっくり返った。その身はこれまで見て来たイワダヌキよりも一回り小さくて、泥の鎧も殆どついていない。そんな若いイワダヌキの頭を、ナタリアは足で踏みつけ、逃げられないように固定した。
「殺せ」
「え!?」
「チャンスだ。今ここでこいつを殺れたら、一皮むけたと見なしてやってもいいって言ってるんだよ」
足元からキーキーとくぐもった悲鳴が聞こえる最中、ナタリアは鞘から剣を引き抜き、優兎に握るよう差し向ける。先端に模様が施されている銀色の美しい剣に、優兎の怯えた表情が映り込んだ。
「魔法なんか使わずに、こいつで心臓を貫いてやるんだよ。魔法だと、殺したっていう実感が持てないだろうからね」
「心臓を、つらぬく……」
「ああ」 ナタリアは押さえつけていた足を変えると、優兎の肩を強引にぐいと寄せて、耳元で囁き始める。「うだうだ悩むな。力の強い奴が弱い奴に勝つ。強い信念を持った奴が生き残る。単純な事さ」
「あっ、あっ……」
「優しさなんてのは何の足しにもならないゴミ屑だ。こいつは悪だ。荒らす、貪る、骨の髄までしゃぶり尽くし、踏み躙る。こいつが一匹でも残っていれば、畑主は病んで首を括るだろう。雌を見つけて、子を産んで、繁殖したら、苦しみの連鎖がいつまでもいつまでも続いていく。こいつは邪悪だ。糞をぶん投げる愚人がいれば、そいつも殺していい輩だ」
「う……っ」
耳の穴から忍んでくる声に抵抗して、身をよじる優兎。だがナタリアの力の方が強い。片方の篭手をボトリと落とすと、その女性らしい綺麗な手で優兎の腹部を撫でてきた。円を描くように、ゆっくりと。
一枚の服越しに、指と手の平の感触がくすぐったいくらいに伝わってくる。殴られて傷ついた心を解きほぐし、大人しく言う事を聞けと訴えかけているのだろうか? 触られている箇所を中心に、心無しか全身の血の巡りがドクドクと速くなっていっている気がする。
それでも、もがき苦しむイワダヌキに目をやると本当に可哀相で、ナタリアのやっている事が余計なお世話に思えてならない。――催促されなくとも分かってる。とどめを刺すまで、先生がこの子を解放する事はないだろうというのも、合理的な考えが出来ないせいで余計に苦しめている事も分かってる。
だけど、今の僕には思い切る事が出来ない。
言われるままに刃を下ろせば、きっと後悔する。良かったなんて絶対思わない。剣も凶器にしか見えなくなってしまう。
嫌だ……、やりたくない!
殺したくないッ!!
「優兎君!」
苦悩に縮こまった背中を通して、彼の叫びが伝わったのだろうか。シフォンは必死な声で名前を呼んだ。
優兎はハッと目覚める。シフォンの声によって、自由を奪い、苛んでいた糸がぶつんと千切れたらしい。
「う、うわあああああッ!!」
空を突き抜けるような大声を上げると、優兎は強引にナタリアの手を振り切って、その場から逃亡した。




