8・最も苦痛な授業②
ナタリアがクラスの担任になってまだ五日。本日のスケジュールは前半が別の教師の授業でみっちり詰まっていて、失った日常が久々に戻って来たかのような錯覚を覚えた。他の教師とナタリアの授業には天と地ほどの差があり、真剣に教える気があるのと一切ないものが変にミックスされていると、一日の疲れ方が尋常ではないのだ。
そんな束の間の平和も、二時間、三時間、四時間目と経て行くごとに鬱々とした気分が堪っていく。五時間目はナタリアが教壇に立つ事になっているのだ。理不尽な罰や授業とは名ばかりの、黙々と作業をこなす時間がまたやってくるのかと、誰もが辟易していた。
だが今回は様子が違った。教室に入って来るや否や、突然ナタリアは「校門前に集合しな。外出許可は取ってある」とそれだけを言って踵を返した。
「そういやあ、新米教師の育成に課外授業も組み込まれてたっけな。そんな必修があった事を呪うなんざ、倉庫組始まって以来の経験だぜ」
アッシュの言葉通り、これまでに受けた仕打ちのせいで期待値はゼロに等しい。マイナス感情を詰め込んだような淀んだ空と、胸のざわつきを表すように植物が揺らぐ庭園を進みながら、優兎達は遠く離れたナタリアの姿を追った。
校門を出て十五分。先導が足を止めたのは、〈起点の地・ルーウェン〉へ伸びる道からほど近くに位置する雑木林だった。木々の隙間から緑の葉っぱが整列したジャガイモ畑が広がっているのが見え、土のふくよかな匂いがここまで運ばれてくる。
「この機会だ。良い子にしているあんた達に、今日は身になる事を教えてあげるよ」
良い子の部分を強調させて、ようやく口を開いたナタリア。六人の生徒に緊張が走る。
「藪から棒にどうした、とでも言いたげだね。――あんた達を見て、少し昔の事を思い出したのさ。あたしはこんなところに来る前は、死んで本望の前線から引き抜かれて、たまに下っ端を教育・従える立場の指揮官をやらされていたんだ。正直、指揮官に任命された頃から人にものを教えるのは得意じゃなかったね。多額の給金に目が眩んで入った奴が多くて、出来ませんって泣き付く役立たずばかりで。胃に穴が開きそうだった。技を見て盗めとか、繰り返しやれって適当な事を抜かしておけば、とりあえず指導しているふうに評価されて楽なもんだったけどね。ここじゃあそういうやり方は反感を食らうらしい」
木に背中を預け、神妙な顔で身の上を明かす。それを聞いて、これまでの問題行動には一応理由があったのかと、得心がいった優兎達――だったが。
ナタリアは懐に手を差し入れる。
「だから、あたしはあたしでも教えられる事を実行するよ。――ここら一帯に潜んでいる『イワダヌキ』共を駆除しろ」
「!」
バッと丸めてあったびらを見せつけられて、生徒達は目を見張った。びらはギルドから取ってきたと思しき依頼書で、証明となるギルドの判の他に、依頼者の指名と場所の指定、農作物への被害を訴える内容などが綴られていた。
「えっとお……質問なんですけど、気絶みたいな戦闘不能状態でも殲滅扱いになりませんかね?」
シフォンは顔色を窺いながら、そろそろと手を挙げた。ナタリアは面倒臭いという心情を隠さずに息を吐く。
「ハァ、ガキにも分かるように言い換えないとダメかい。あたしは殺せって命令してるんだよ」
「殺す……」
「そうだよ。――赤い頭のあんた、前にあたしに向かって『マントを燃やしてやろうか』って吠えただろう」
「は? オレ?」話を降られて驚くアッシュ。
「ああ。平和ボケしたこの世の象徴みたいな甘っちょろい発言だと思ったね。口で脅すだけなんてさ。こっちの国じゃあ、城下からちょっと離れたところに住み着いてた孤児ですら、みんなあたしらがぶら下げてる武器や防具が欲しくてギラ付いてたよ。落馬したマヌケは構うなって気風も出来た。あんなふうに、あんたは怒りのままにマントを燃やしてもよかったんだ。そうすりゃああたしは喜んで叩き潰してやれたのに。まったく情けない連中ばかりだよ」
「今時、まだそんなこの世の終わりみたいなところがあるのかよ……」
「抜かすんじゃないよ。授業らしい授業をしてやろうってんだ。殺される前に殺せるよう、叩き込んでやろうじゃないか」
腰から鞘が付いたままの武器を抜き、異論は認めないといったふうに幹に叩き付ける。その容赦ない音に、生徒達は困惑した。恐ろしくて縮み上がっているわけではない。依頼の内容にケチを付けるつもりもないし、珍しい事に、ナタリアの命令にまともさを垣間見る始末。必須とまではいかなくとも、魔法を教える学校である以上、実戦経験は決して無駄にはならない。
にも関わらず、誰もが行動に至る一歩をなかなか踏み出せないでいたのは、彼らの中に一人、明らかにこの依頼に向いていない人物が混ざっていたからだった。その者は『殺せ』というワードを耳にした時からみるみる顔色が悪くなっていて、周囲も薄ら勘付くほどだった。
しかし生徒個人の事などまったく気にかけないナタリアは、怖じ気づいていると思ってか、平然と武器を振るって急かし始める。生徒達は大人しく受け入れるしかなかった。




